ナタリー Super Power Push - きゃりーぱみゅぱみゅ
なんだこれ!?な2ndアルバム「なんだこれくしょん」
宇川直宏が語るきゃりーぱみゅぱみゅ壱卍(万字)!!!!!!!
既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、多岐にわたるジャンルで縦横無尽に活躍を続けるアーティスト・宇川直宏。ナタリーでは彼がきゃりーぱみゅぱみゅにデビュー当時から注目しているという情報を得て、単独取材を申し込んだ。DOMMUNE主宰としても知られ、常に時代の最先端を走る彼の目にきゃりーぱみゅぱみゅはどう映っているのか。独特かつ鋭いその分析を味わってもらいたい。
グロテスク+カワイイの土壌
まず前提として、僕はきゃりーぱみゅぱみゅのことを“自分と隔たりのある新しい女子文化の象徴”だとはまったく思っていないことを強調したいですね。双方に共通しているのは“キモい”または“グロい”に、感覚的な地殻変動を与えようとする活動。僕は1989年にマックを購入しグラフィックデザイナーとしてのキャリアをスタートさせたのですが、当時は世紀末だったこともあって、やはり世の趨勢として退廃的なテイストをシンボリックに導入することは自然な流れでした。もちろんグロテスクな意匠は、アートの世界においては古代ローマ時代から装飾的な記号として見受けられるし、ルネサンスやマニエリスムやバロックや、さらにはのちのシュルレアリスムに美術運動としても受け継がれます。きゃりーは無意識だとしても、彼女のミュージッククリップから神秘主義的なアイコンを謎解きできるのは、その嗜好を奇想の歴史的変遷に位置付けることができるからだと思います。
このようにグロテスクの源流は明らかですが、僕がデザインを開始した当時は、奥村靫正さんや立花ハジメさんや羽良多平吉さんが牽引したニューウェイブや、杉浦康平さんの宇宙観がトレンドだったので、それを覆すには時間が必要だった。90年代のグラフィックデザインは、グロテスクをどんな濃度でクリエイティブに注入するかという命題を抱えていたわけです。つまり当時20歳そこそこ(つまりはほぼきゃりーと同い年)で男性である僕が、脳内の奇想を本気で視覚化すると、眼も当てられない直接的なグロになってしまう。つまり“グロキモコワイ”。
それをのちに女子が女子をディレクションすることによって融和させ、デザインとして成立させたのが、故・野田凪さんなんです。野田凪さんがグロテスクを女の子文化に直接的に接続させたといっても過言ではない。そしてきゃりーぱみゅぱみゅが踏襲し、独自テイストで変調する形で、世界共通語としての「グロカワイイ」(=「kawaii」)を提示してくれた。言い換えれば、根底できゃりーぱみゅぱみゅと僕や野田凪さんの世界も文脈としてつながっているということです。
さかのぼれば僕は90年代のDTP第一世代なんです。要するに先人や師匠など、お手本を示してくれる存在が皆無の状態で、コンピュータを使ったグラフィックデザインとはなんだ?と、英語のマニュアルと格闘しながら実験した世代。だからこそ横尾忠則さんや田名網敬一さんのような、まだグラフィックデザインという言葉が輸入された時代の、60年代の巨匠たちにシンパシーを感じ、隔世遺伝的な世界感を自然と醸し出してしまう。つまり彼らは“デザインとはなんだ?”を探求していった世代。要するにデザイン第一世代もDTP第一世代も、まったく何もない荒野に息吹を吹き込まないといけないので、簡略化や余白を考える術もない。足し算のデザインです。あとやっぱり1994年にPhotoshopにレイヤー機能が追加されたことは重要で、サンプリングしてレイヤーを重ねていくっていう行為は、それ自体がつまり初めて脱着可能な衣服を無限に手に入れたような、もしくは原宿のショップごと買い取ったような着替え放題な世界の到来で、ようやく“つけま”もつけられるし“ファッションモンスター”にも化けられる、僕らにとっての“ぱみゅぱみゅレボリューション”の到来だったわけです。
その環境下において、何を足していくか? 何を着飾っていくか?は人それぞれです。きゃりーのファッションは一目瞭然で、完全に“全部盛り”もしくは“ギガ盛り”の足し算ですよね。その中に「キモイ」や「グロい」と「kawaii」の相反する美意識がドロドロに溶解して融合している。僕の場合はその中に“バッドテイスト”や“スカム”や“カルト”があったわけです。あの時代はやはりノストラダムスの大予言が期限切れになる前だったので、終末思想にあふれていて、しかも阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きてしまった。時代の空気自体が終末感で充満している中、そこでバッドテイストブーム、悪趣味ブームを起こすことができて、僕らのセンスが有効な時代へとパラダイムシフトできた。ノイズ / アバンギャルドも、西海岸のローファイも、東海岸のジャンクも、カルト映画探求が最果てまでたどりついたインクレディブリーストレンジフィルムも、SKIN TWOを中心としたボンデージブームも、それに加えて世界中のシリアルキラーやカルト教団や「完全自殺マニュアル」までもが同じ土俵でうごめいていたという、空前絶後のエクストリームぱみゅぱみゅレボリューション!(笑) そういう赤インジケーターが明滅し続ける、振り切れた世界観に興味の対象が向かっていった、そんなリアルな狂気にむしろ「生」を感じていた時代でした。だからこそ僕自身も全力で覚醒することができたわけです。ただやっぱり女子には受け入れられなかった。なぜなら発狂し放題で「カワイイ」がごっそり抜け落ちていたからです。そこを打ち破ったのが野田凪さんだったのです。
野田凪さんはグロテスクな世界感をガーリー文化に持ち込んだクリエイティブディレクターでした。ラフォーレ原宿のグランバザールや、NIKEのスイムキャンペーンや、YUKIさんとの一連の仕事が著名ですが、言わば彼女の表現はガーリーに毒を盛る行為だったのだと考えています。終末感はとっくに敗北し、世紀末を生き延びてしまって、バッドテイストもかげりを見せた今世紀、漢字もしくはひらがな時代の「かわいい」にグロテスクな猛毒を混入させたのが野田凪さんで、彼女がその毒を肥やしに耕した土壌が原宿にはきちんとあって、それが「グロカワイイ」前夜を演出したのだと僕は捉えています。
そのようにして女子が女子をディレクションすることによって、グロテスクなイメージをまとい、流通可能なシステムが生まれました。そのうちにそれが女の子たちの中で共通言語になって、日常的な美意識に変わっていきます。例えば「下妻物語」において嶽本野ばらさんが世界的に伝承した“ゴスロリ”も重要なファンクションだと考えられます。そしてやはり、きゃりーのライブセットなどの美術を担当する増田セバスチャンさんの活動が現在の「Kawaii」の概念を構築した。海外では「Kawaii」自体がもはやグロテスクな意匠を含むものとして捉えられているようです。増田セバスチャンさんがアートディレクターを務めるブランド「6%DOKIDOKI」は元祖バッドテイストブームただ中の1995年にオープンしています。そういえば初期の時代から現代のジャパニーズポップを体現するような、水野純子や、ミヤタケイコ、そしてぴゅ~ぴるなどのアーティストとのコラボレーションも展開していました。そう考えると前世紀から長い変遷を経て「Kawaii」は世界に流通された。そして野田凪さんは2008年に亡くなり、それから3年後の2011年にきゃりーぱみゅぱみゅがデビューします。つまり毒を肥やしに耕された土壌にようやく魑魅魍魎が咲き誇った。それがきゃりーぱみゅぱみゅです。
不思議ちゃんの系譜を浄化させる存在
きゃりーぱみゅぱみゅのキャラクターについて考えるときに、いわゆる“不思議ちゃん”の系譜を例として挙げることもできると思います。でもここで重要なのは彼女自身がまったく不思議ちゃんじゃないということですね。いわゆるメンヘラ的な空気は一切かぎとれないし、至って健全だと思えます。例えば60年代のサブカルアイコンとしては、鈴木いづみや緑魔子、80年代なら戸川純さん。それまでの不思議ちゃんは基本的に怨念や情念をまとっていました。90年代にはそこから突き抜けて解放され、例えば篠原ともえちゃんのようなまったく病んでいないポップで乾いたエクストリームも発露し、時代のポップアイコンとしてシノラーを出現させたりもした。それをプロデュースしたのがテクノ / レイブカルチャーを牽引する石野卓球さんだったということが大変興味深いのです。
やはりファッションも含め、彼女はかつて当時誰もまとっていなかった和製キャンディレイバー的な世界観を築いたと思うんです。ルミカとチュッパチャプスとおしゃぶりのあの世界感を踏襲し、ハーフパンツとサスペンダーとSUPER LOVERS、前髪ぱっつんで団子頭、目玉の指輪もすでに取り入れていました。そういえばともえちゃんは生前の野田凪さんとも仲がよかったですね。それから少し接続が乱暴ですが、向島の半玉(芸者の卵)からボーカリストになってメイヨ・トンプソンやMERZBOWと共演し、現在は写真家として世界的評価を得ている花代ちゃん。彼女はジャンポール・ゴルチェのモデルになって、ロンドンの「Face」の表紙を芸者姿で飾って、後はドイツに移り住み、クリストフ・シュリンゲンジーフの舞台にも障害者の人たちと一緒に出演しています。彼女はいわゆる芸能から一線をおいた、アバンギャルドを体現しているアーティストの1人です。花代ちゃんの活動は先述の90年代のバッドテイストブームとも呼応していて、10リットルほどの血しぶきをまき散らしながら彼女の生首が飛んでいるCDジャケットを僕は当時デザインしました。彼女の世界観をアニエスb本人が愛しているのは、とてもよく理解できますね。彼女たちの存在は「Kawaii」の系譜を語る上では絶対外せません。そしてそこから今世紀まで、彼女たちに匹敵するエクストリームアイコンは長らくいなかった。
もちろん桃井かおりや藤谷美和子や西村知美やゆうこりん(小倉優子)が貫く、天然と演出が混在した芸能的な意味での不思議ちゃん文脈は別にありますよ。ただ今世紀、ここに現出したきゃりーぱみゅぱみゅは、そういった思想や言動や情念の物語世界からも解放されていて、それらの不思議ちゃんの系譜を浄化させる存在なのかなと思ったんです。だからここに存在する“不思議”はすでに内面じゃないんですよね。それは彼女が読モから活動開始したことがすべてを表していますが、まとっているアイコン自体が彼女の態度表明で、そこから彼女の感覚を読み取れるような気がします。グロテスクなものを愛するという偏執狂的な異形への嗜好のことです。
そのグロテスクへの嗜好を読み解く材料として彼女のブログを追いかけていると、彼女にとっての偏愛の究極はやっぱりサメなんですね。昔からサメに惹かれていたと話していますし、過去には「サメをボーイフレンドにしたい」といった発言もあった気がします。これを受けてサメのことをきちんと考えてみたなら、あれ以上に弱肉強食の掟を体現した、グロテスクで生々しい存在は自然界にいないですよね。しかも人の生命をも脅かすようなバイオレンスをはらんでいる。友達にはなりたいけどケンカはしたくない。海のギャングはシャチとホオジロザメですよね。つまりストリートを制圧するギャングスタラッパーに憧れる女子と嗜好は近いのではないか? それなのに「kawaii」。これは“不思議”なアティテュードです。彼女は1stアルバムのジャケットでサメのフィギュアを被っています。首狩り族が人骨をアクセサリーとするように、その“サメをまとう”という行為自体が彼女の態度表明なんだと思います。なぜならサメの一番の天敵は人間ですから。
- 2ndアルバム「なんだこれくしょん」 / 2013年6月26日発売 / unBORDE
- 初回限定盤 [CD+DVD+フォトブック] / 3800円 / WPZL-30633~4
- 通常盤 [CD] / 3150円 / WPCL-11518
CD収録曲
- なんだこれくしょん
- にんじゃりばんばん
- キミに100パーセント
- Super Scooter Happy
- インベーダーインベーダ—
- み
- ファッションモンスター
- さいごのアイスクリーム
- のりことのりお
- ふりそでーしょん
- くらくら
- おとななこども
初回限定盤DVD収録内容
- 「ファッションモンスター」ビデオクリップ
- 「ふりそでーしょん」ビデオクリップ
- 「にんじゃりばんばん」ビデオクリップ
- 「インベーダーインベーダー」ビデオクリップ
きゃりーぱみゅぱみゅ
1993年東京生まれ。フルネームはきゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ。高校生のときから原宿系ファッションモデルとして活動し、キュートなルックスとブログでの奔放な言動が話題を集める。2011年8月にはワーナーミュージック・ジャパンから中田ヤスタカ(capsule)プロデュースによるミニアルバム「もしもし原宿」でメジャーデビュー。2012年は5月に1stフルアルバム「ぱみゅぱみゅレボリューション」をリリースした後、初の全国ツアー、初の日本武道館ワンマンライブ、「NHK紅白歌合戦」初出場と怒涛の快進撃を続ける。2013年も1月、3月、5月にシングルを発表し、2月からはヨーロッパ、アジア、アメリカを回る初のワールドツアーを開催するなど、より精力的に活動。6月には2ndアルバム「なんだこれくしょん」をリリースした。
2013年6月26日更新