ナタリー PowerPush - 桑田佳祐
いとうせいこうが語るその魅力 「I LOVE YOU -now & forever-」
いとうせいこうが語る桑田佳祐
「I LOVE YOU -now & forever-」収録の「ジャンクビート東京」で桑田と共演し、ジャパニーズヒップホップの第一人者としても知られるいとうせいこう。多方面で活躍する彼はサザンオールスターズ初期からの熱心なファンでもあるという。そんないとうせいこうに桑田佳祐の才能と魅力について話を訊いた。
取材・文 / 大山卓也
ブルースと日本語がこんなに溶け合うことができるのか
──せいこうさんはサザンオールスターズのデビュー当時からファンクラブに入っていたそうですね。
うん、もう忘れちゃったけど会員番号100番台とか。
──最初にサザンオールスターズの音楽に触れたのは?
「EastWest」(ヤマハ主催のアマチュアバンドコンテスト)でサザンが賞をとったあと、デビュー前にラジオで曲がかかったことがあったんです。今度デビューするグループですって紹介されて、多分「別れ話は最後に」とか2曲くらい。僕は当時高校生だったんだけど、それを聴いてもう度肝を抜かれちゃって。
──ラジオで偶然聴いたんですか?
そう、それを聴いたときに、ブルースと日本語がこんなに溶け合うことができるのかっていうことにまずびっくりしたわけ。今の若い人はさ、日本語を外国語っぽく歌うことを普通だと思ってるでしょ。だけどそれは桑田佳祐が始めたことだから。彼以前にあんな歌い方をする人はいなかった。
──とにかく斬新だったと。
だから徹底的に叩かれもしたよね。「聴きとれない」とか「ちゃんとした日本語で歌え」とか。でもそれがあまりに見事だったから僕はもうぶっ飛んだわけ。日本語も聞こえるし、日本語じゃないようにも聞こえるし、これは一体なんなんだろうって。
──そしてサザンオールスターズは1978年6月にデビューするわけですね。
うん、「夜のヒットスタジオ」に出るってことを聞いて楽しみに待ってたの。そしたら歌ったのが「勝手にシンドバッド」なんて曲で、またびっくりしちゃうわけ。
──ああ、ブルースのバンドだと思ってたのに……。
「サンバじゃん!」みたいな(笑)。で、短パンにタンクトップみたいな格好で出てきて「夜のヒットスタジオ」のゴージャス感をぶち壊しにして。だから俺が日本人のアーティストで一番の衝撃を受けたのがデビュー前のサザンだったんだよね。
桑田佳祐のヒップホップをみんな理解できなかった
──1970年代当時はロックを日本語で歌うべきか英語で歌うべきか、という論争があったんですよね。
うん、内田裕也さんが英語で歌って、はっぴいえんどが日本語で歌って。で、桑田さんはその論争のあとで、日本語で英語っぽく歌うって手法を始めたわけ。論争を飛び越えたところに決着点を見出したとも言えるんですよ。それで桑田さんが批判も受けながら突き進んでいったおかげでそこに道ができた。日本語で歌うことが自由になったんだよね。つまり歌謡曲のときには歌えなかった単語も、英語っぽく歌えば歌詞として成立するようになった。
──日本語ロックの問題においては、ビートにうまく乗るかどうかだけでなく、歌として使える言葉と使えない言葉っていう基準もあったわけですね。
あった。要するに「ミスドで友達待ってたら」みたいなさ、普通の生活みたいなもの? そういうことってやっぱりはっぴいえんどが歌うべきことじゃなかったわけ。でも今はそれが解放された。一方ではヒップホップが違う軸で「俺たちもっといろんなこと歌えるぜ」「もっとやっちゃえ」ってやり始めて。少なくとも僕が日本語をどうヒップホップのリズムに乗せていくかっていうことを考えたり、歌謡曲では歌えない単語をヒップホップで散文的に入れようってことを考えるときに、自分が桑田さんのファンだったっていうことは大きいと思う。はっきりと意識したことはなかったけど「この手法があったか」っていう衝撃を当時の僕は受けたわけだから。
──それで1987年に「ジャンクビート東京」を一緒に作るわけですね。
不思議な話だよね。こないだ桑田さんと会ってずいぶん長く話したけど、当時桑田さんはヒップホップについて全然なんにも理解してなかったって言ってたから。
──でもあの曲で桑田さんがやっているのはラップですよね。
ラップなんだけど、それ以上に感じるのは桑田さんのボーカリゼーションのすごさだよね。そこにあるのは情とか音色とか意味だと思う。例えば「溶け出した」っていう詞があったら溶けてるように歌うわけ。で「火が出た」って場面では俺は歌詞書いてないんだけど桑田さんが勝手に「メラメラメラ」とか言ってる。原始人が言語以前にやってただろうってことをやってくるわけ。それはやっぱり桑田さんしかできないラップの解釈で、後にも先にもあんなラップ聴いたことないもん。ずいぶん後になって向井秀徳が似た志向性のことをやったと僕は思ってるんだけど。
──なるほど。
極めてポエトリーリーディングに近い形。桑田佳祐以前にはいないと思うよ、あの解釈をした人は。で、その解釈が当時のヒップホップに衝撃を与えることも残念ながらなかった。みんな理解できなかったから。
──でもせいこうさんは衝撃を受けたわけですよね。
僕はぶっ飛んでたけど、だけど僕は同じことはできないわけだから、違う道を行くしかなくて。だから1987年、「ジャンクビート東京」が出た年っていうのは本当は今から考えると、そこから日本のヒップホップをやり直してもいいような年だったんだよね。極めて意味を大事にした、何かを伝えるためのラップ。志人(降神)とか、ああいう系統のやり方をするラップの子たちは「ジャンクビート東京」以降の流れの中にいるんじゃないかな。
──そうですね。
進化の系統樹があるとしたらさ、そこで分かれた幻の枝が実はあるんだよね。多分桑田さんはヒップホップだけじゃなく、いろんなジャンルでそれをやってるんだと思う。
──桑田さん独特のやり方で?
逆に言うと、当たり前のことを当たり前にやる器用さがないの。ものすごい不器用で、自分の巨大なやり方、自分の手法しか持ってなくて、でもそれがどんなジャンルも食いつくしちゃうみたいな。だから「ジャンクビート東京」を聴くとわかるのは、ニューヨークにもロサンゼルスにもこんなヒップホップはなかったってことだよね。
──確かに聴いたことがないです。
ないと思うよ、あんな歌心を全面に出したラップはさ。
スペシャルベストアルバム「I LOVE YOU -now & forever-」 / 2012年7月18日発売 / タイシタレーベル・ビクター
DISC 1
- 悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)
- 今でも君を愛してる
- いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)
- Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)
- 漫画ドリーム
- 真夜中のダンディー
- 月
- 祭りのあと
- 波乗りジョニー
- 白い恋人達
- ROCK AND ROLL HERO
- 東京
- 可愛いミーナ
- 明日晴れるかな
- 風の詩を聴かせて
DISC 2
- ダーリン
- 現代東京奇譚
- MY LITTLE HOMETOWN
- 君にサヨナラを
- 声に出して歌いたい日本文学<Medley>
- 本当は怖い愛とロマンス
- 銀河の星屑
- 月光の聖者達
- 明日へのマーチ
- Let's try again ~kuwata keisuke ver.~
- 幸せのラストダンス
- CAFE BLEU
- 100万年の幸せ!!
- MASARU
- 愛しい人へ捧ぐ歌
完全生産限定盤ボーナスディスク
- 六本木のベンちゃん from 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
- ジャンクビート東京 from Real Fish featuring 桑田佳祐・いとうせいこう
- LONG DISTANCE LOVE from Lowell George Tribute Album「ROCK AND ROLL DOCTOR」
- 突然の吐き気 ~えりの思い出~ from 桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~ '06夏の思い出作りSP
桑田佳祐(くわたけいすけ)
1956年2月26日生まれ。神奈川県茅ケ崎市出身。1978年サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でデビュー。デビューして以来フロントマンとして、またソロアーティストとして常に日本のミュージックシーンのトップを走り続けている。ソロ名義では、1987年リリースの「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」で活動を開始。以降ソロ活動も精力的に続けており「波乗りジョニー」「白い恋人達」「明日晴れるかな」などヒット曲も多数。
いとうせいこう
1961年生まれのクリエイター。作家、タレント、作詞家、ラッパーとしても活動。作家としては1988年「ノーライフキング」でデビューして以降多数の著作を発表し、1999年のエッセイ「ボタニカル・ライフ 植物生活」は講談社エッセイ賞を受賞。ラッパーとしても卓越した才能を発揮し、1989年のアルバム「MESS/AGE」は日本のヒップホップを変革した名作として名高い。2009年には□□□に正式加入し、現在に至るまでジャンルを超えた多彩な活躍を続けている。
2012年7月31日更新