楠木ともり、4曲入りの新作「遣らずの雨」で発揮した豊かな歌唱表現と作家としての才能

楠木ともりの新作「遣らずの雨」がリリースされた。

本作はタイトル通り、楠木が雨をテーマに据えた全4曲入りの作品。大切な人との間で生まれる苦しみを描いた表題曲をはじめ、儚さと温もりが共存する「山荷葉」、ササノマリイが作曲とアレンジを手がけた「もうひとくち」、ライブの景色を想起させる「alive」が収録されており、いずれの曲にも楠木本人のこだわりが存分に詰まっている。

「遣らずの雨」で浮き彫りになった、楠木の豊かな表現力と独自の作家性とは。楠木本人が各収録曲の制作秘話についてつぶさに語る。また最終ページでは楠木の音楽的ルーツも垣間見える、「雨の日に聴きたくなるプレイリスト」を紹介する。

取材・文 / 西廣智一撮影 / 星野耕作

「遣らずの雨」の意味に惹かれた

──前作「narrow」から7カ月ぶりの新作「遣らずの雨」は、梅雨の時期にリリースされることもあってテーマは「雨」。楠木さんは雨にどういうイメージを持っていますか?

雨は嫌いではないですし、特に憂鬱になったりすることもなく、どちらかというとドラマチックな印象があります。雨の音をずっと聞いていると落ち着きますし、雨の日に聴きたくなる曲もいくつかあります。雨独特の匂いを嗅いだり、薄暗い街中でいろんな人が色とりどりの傘を差しているのを見たりすると、ちょっと特別な気持ちになります。

楠木ともり

──そういうシチュエーションをテーマに楽曲制作を進めていく中で、まずどういった作品にしようと考えましたか?

雨というテーマを決める前に、次の作品かそれ以降でやりたい曲をリストアップしてまとめていて、その中で、透明感のあるアンビエントやエレクトロニカをやりたいと提案しました。最初に作った「山荷葉」はそのアイデアのもと完成した1曲です。そこから、作品全体としても透明感を意識しようということをまず決めました。今までは全体的にビビッドな印象があったのですが、そこから引けるものを引いていきながら、今までとはちょっと違った儚さや透明感を出していけたらと。

──なるほど。タイトルに用いられている「遣らずの雨」という言葉は「帰ろうとする人を引き止めるように降ってくる雨」という意味だそうですね。このワードはどうやって導き出されたんですか?

「新作のテーマを雨にするのはどうでしょうか?」と提案してくださったスタッフさんが、雨に関するワードを並べてくださって、その中に「遣らずの雨」という単語もあって。私もここで初めて知った言葉だったのですが、その意味にすごく惹かれてすぐ頭の中でストーリーが浮かんできました。それで、「このテーマで曲を書いてみたい」と思い選びました。

楠木ともり
楠木ともり

身近にあった輪廻転生の考え

──その言葉が先にあったんですね。ここからは、1曲ずつお話を伺っていきたいと思います。まず、「遣らずの雨」について。この曲で伝えたかったことは?

今まで主観的な苦しみをたくさん描いていて、今回はその周りの人に視点を向けるのも面白そうだなと思いました。人と人との関わりの中で生まれてくる、誰かから伝染する苦しみであったり、そこに寄り添いたいがゆえの痛みだったり、人と人との境界を超えていく中から生まれる苦しさを描きたくて、「遣らずの雨」のストーリーを考えながら言葉を紡いでいきました。

──そのテーマ自体、SNS中心の現代社会に通じるものがあり、とても2022年的な歌詞だなと思いました。

ありがとうございます。実は……「遣らずの雨」という言葉を調べたときに真っ先に思い浮かんだのが、自ら命を断とうとする人を引き止める苦しみです。「かえる」という言葉からは一般的に「帰る」という漢字を連想して、別れを想像すると思うのですが、私の中では2Aメロで出てくる「還る」なんです。輪廻転生に近い考え方をしていて、ゼロから始まってゼロに返っていくみたいな部分から「還る」や「別れ」に「死」をイメージして、そこからストーリーを膨らませて書いていって。悲痛な叫びや苦しみだけでなく、温かさや優しさもあり、その中で必死にもがいているような歌詞になったのではないかなと思います。

──それが、儚くも力強いサウンドやエモーショナルなメロディにつながっていくわけですね。メロディは歌詞を書く流れで作ったものでしょうか?

先に歌詞ができて、今回はメロディより先にサウンドのイメージが浮かんでいました。シンセ系を控えめにしたバンドサウンドで、サビと平歌で大きくメリハリを付けつつ透明感と衝動的な部分を出したかった。あとは雨が降ったり止んだりするような不安定さを表現できればと思っていました。それに対して、メロディはもう少しわかりやすくて聴きやすいほうがいいかなと考えたのですが、なかなか自分の理想とするメロディが思い浮かばなくて。結局、会社のピアノがある会議室で30分くらいの短い時間でバーっと書いたメロディが採用されました。

楠木ともり

──この歌詞がテーマなら、もっとストレートに爆発力のあるロックサウンドでもおかしくないですが、あえてポストロック色を強めることで、ちょっとワンクッション置いたような伝わり方になっていて。そのさじ加減がいいなと思いました。

ありがとうございます。主観的ではなく他者がいる前提での歌だったので、あまりダイレクトに届ける感じにはしたくなくて、うまく表現できてよかったです。

──アレンジはラムシーニさんが担当していますが、今回はどのように進めていったんでしょうか?

「遣らずの雨」に関しては、初めて編曲のコンペをしました。歌詞とメロディができた状態で、お二人のアレンジャーさんに同じリクエストをして編曲をしていただいたんです。そのリクエストというのは、知らない人が聴いたらバンドの楽曲かなと思うようなサウンドであることと、コーラスも楽器の1つのように組み込まれていること、そこに変拍子が入るような不安定さや平歌の透明感、サビの爆発力を表現してほしいということです。その中で選んだのがラムシーニさんのアレンジでした。

──そうだったんですね。また、この曲はミュージックビデオもすごく印象的な仕上がりです。

もう少し「遣らずの雨」という曲をはっきりとしたものにするといいますか、歌詞だけでは描ききれない部分をMVで伝えられるよう意識しました。

──白い服を着た楠木さんと黒い服を着た楠木さんの間にそびえ立つ壁が、ひとつ象徴的と言いますか。その両者の対比や葛藤も伝わってきます。

そうですね。先ほどお話したテーマをMVの監督、スタイリスト、ヘアメイクの皆さんにも同じように共有してから取り組んでいただいたので、より世界観が際立った内容になったと思います。

──最後の笑みがすごく印象に残りました。

そこまでほとんど笑顔がないですしね。最初に、黒い服を着た私の口元が笑っているのだけが見えて、最後に白い服の私が笑うのを観たときは、自分でもすごく鳥肌が立ちました。

──どこか怖さもありつつ、でも視点を変えるとハッピーエンドにも感じられるし。

結末は視聴者の皆さんの捉え方次第で、正解を1つにはしませんでした。私のいろんな表情が想像を広げる役割を果たせたのかなと思います。

楠木ともり
楠木ともり

楽曲から浮かび上がる山奥の神社

──インパクトの強いリードトラックが完成しましたね。続いては「山荷葉」について。アレンジはChouchouのarabesque Choche(アラベスク・ショシェ)さんが、「sketchbook」(「Forced Shutdown」収録曲)に続いて担当しています。

最初にアンビエントやエレクトロニカ系の曲を作ろうと考えたときに、またarabesqueさんにお願いできたらと考えていました。雨というテーマが決まったときに、雨に濡れると透明になると言われている山荷葉という花について書きたいなと思っていて。「sketchbook」では部屋の中でたった1人でいる閉鎖的な世界を書いていて、「山荷葉」もメッセージ性は近いんですがもう少し開けた感じにしたかったんです。さらに温もりも表現したかったので、女性らしくて柔らかい言葉遣いを意識しました。メッセージはわりとストレートだけど、「催花雨(さいかう)」や「追風(おいて)」といったあまり馴染みのない言葉を入れて自分らしさも出してみました。リリックビデオに出てくる白い服を着た少女……幼く見えるけれど、どこか達観した子が優しい言葉を話しかけてくれる、そんなイメージをしながら書いた曲です。

──儚さとともに浮遊感の強さも伝わるアレンジは、非常に気持ちのいい仕上がりです。

arabesqueさんにアレンジをお願いする際、「sketchbook」のときに自分が考えている景色をお話したらスッと伝わった印象があったので、「鳥居があって、苔生しているような湿度感のある山奥」をイメージしてそれに近い写真をいくつかお送りして、「こういった景色が私の頭の中に思い浮かんでいて、それに合うような曲にしたいんです」とお伝えしました。さらに「和の雰囲気にしたいです」と希望して和楽器を入れてもらったり、「今回はエレクトロニカっぽく、ちょっとノイズが入っているほうがいいです」と伝えてその通りにしてもらったり、本当に細かく話し合いをしました。そのおかげで自分がイメージしていた以上のものをarabesqueさんに作っていただきました。

──楠木さんの頭の中のイメージって、他者にそのまま見せることはできないわけですよね。しかし、結果として同等かそれ以上のものが返ってきたと。

そうなんです。さらに不思議なのが、「山荷葉」を聴いていただいたファンの方からも、まだリリックビデオのイラストが公開される前から「山奥の神社が想像される」という声がちらほら聞こえてきて。サウンドだけでも同じ景色を想像してもらえているんだなと実感できました。それはarabesqueさんの編曲やミキシングがあってこそだと思いますし、自分としてもそれに合わせた歌い方ができたのかな、とすごくうれしかったです。