KREVAがニューシングル「Expert」を、「クレバの日」である“9月08日”に配信リリースした。
この曲のキャッチーでメロディアスなビートとラップ、歌の絶妙な一体感が生み出す説得力は、ソロデビュー20周年を来年に控えるKREVAの真骨頂と言っても過言ではないだろう。
新曲のリリースに際して、音楽ナタリーではKREVA本人にインタビュー。テレビ出演をはじめ多岐にわたる活動との向き合い方、先頃まで行われていたライブツアー「NO REASON」や6月にリリースされた「ラッセーラ」、今年も開催された主催イベント「908 FESTIVAL」、そして客演で参加し、大きな話題を呼んだOZROSAURUS「Players' Player feat. KREVA」などさまざまなトピックを経由しながら「Expert」誕生までのプロセスをじっくりと語ってもらった。
取材・本文 / 内田正樹撮影 / 須田卓馬
スタイリスト / 藤本大輔(tas)ヘアメイク / 中野愛
以前よりも強くなっている「必要とされたい」気持ち
──音楽ナタリーにおけるリリースタイミングのインタビューは、アルバム「LOOP END / LOOP START」の発表時以来およそ2年ぶりです(参照:KREVA「LOOP END / LOOP START」インタビュー)。そこで今回はここ最近のKREVAさんの活動をさらいつつ、新曲「Expert」のお話をうかがえればと思います。
よろしくお願いします。
──まずは音楽以外のトピックですが、2021年8月、今年6年とTBS系「マツコの知らない世界」に出演され、熱い“文房具愛”を語られていました(参照:KREVAがマツコ・デラックスに文房具を紹介、RONZIは朝ラーメンの魅力を語り尽くす / KREVAがマツコと意気投合、万年筆で話がドライブ)。
あれは石川さゆりさんと「紅白」(「NHK紅白歌合戦」)に出たときと同等か、それ以上のリアクションが周りからありましたね(笑)。
──ひと頃と比べてテレビ番組があまり見られなくなったという声もありますが、やっぱり出たら出たで多くのリアクションがありますか?
すごくありますね。「紅白」もそうだし、マツコさんの番組もたまたま観ていた人も多かったと思うし。文房具は毎日触れていたいと思っているくらい本当に好きなので、出演できてすごくうれしかったです。ただ、自分はとんでもなく文房具の知識があるというわけではない。都度、否定もするんだけど、どうしても“スーパー詳しい人”みたいな見え方になりがちだから、そこは気を付けながら収録を楽しませてもらいました。
──今、地上波における音楽番組の数は多くはありませんが、バラエティにせよ音楽番組にせよ、テレビ出演についてはどんな意識で向き合われていますか?
「出たい出たい!」ではないけど、「必要とされていたいな」という気持ちはもちろんあります。無理せず、機会をいただけたらという感じですかね。
──ほかにもKREVAさんは音楽劇「最高はひとつじゃない」を手がけたり、映画「シン・ゴジラ」「461個のおべんとう」などに出演したり、これまで多岐にわたる活動をされてきました。
まず自分が本当に行きたかった“日本一”という場所については、2004年にソロデビューして、2006年で到達できて(※「愛・自分博」で邦楽ヒップホップソロアーティストとして初のアルバムチャート1位を獲得)。かなり早い段階で行けたという感覚があった。今でも自分が目指す場所は“音楽で一番になってたどり着く場所”。そこは変わらないですね。テレビや映画は、あくまで音楽家としての自分があってこそ付随してくるものなので、必要とされるなら応えていきたいという気持ちです。むしろ、「必要とされたい」という気持ちは、以前よりも強くなっているんじゃないかな。
──では、また演技の場でのKREVAさんも観られるかもしれない?
正直、お断りしてきたお話もあるし、あとで「やっぱ出ときゃよかったな」と思ったものもありました(笑)。面白そうで、なおかつ本当に自分が必要とされているという熱意が感じられる機会であれば、喜んで力になれればと思っています。
コロナ禍はモラトリアム
──ではここからは音楽の話題を。KREVAさんは6月から「NO REASON」ツアーを展開中です(※取材は8月末に実施)。コロナ禍の制限を経て初めて声出しが解禁されたツアーでしたが、どんな感触ですか?
コロナ禍は無観客の配信ライブに始まって、マスクをしながらでもお客さんがいる段階を経て、ついに声が出せるライブまでたどり着いて。その間、コール&レスポンスが主体になる曲はほぼ封印していたので、今回はそれを全部やる=俺のベスト盤的なライブにしようと思って、ド頭から全開でいこうと決めていました。いざ当日にみんなの声を聞いたら「俺、泣いちゃうな」と思っていたので、とにかく泣かないと自分に言い聞かせていたんですが、ツアー初日のド頭にみんなの声を聞いたら、なんだか笑えてきちゃって(笑)。
──泣くを通り越して笑えた?
そう。もう想像以上にみんなの声がすごすぎて笑っちゃった。初日は仙台だったんですけど、本当にいいバイブスが充満している最高のライブでした。もちろんいきなりすべてが元通りになるわけじゃないから、徐々に戻している感じというか。まずは俺自身がコロナ禍前を思い出しながらステージに立って、自分の中での確認作業をだいたい終えたんで、今はお客さんが思い出す作業を手伝っているという感覚かな。
──「LOOP END / LOOP START」のインタビュー時はまだコロナ禍が予断を許さない状況で、ライブが中止になることに対して「もう期待して中止は怖い。あきらめの境地に入った」という発言もありましたが、KREVAさんにとって、この数年のコロナ禍は改めてどういう時間だったと言えますか?
モラトリアム、かな。急に与えられた学びの時間という感じでしたね。俺だけじゃなく、みんなが空白の時間を埋めるべくいろいろな配信をしていて、世界の有名無名さまざまなビートメイカーの制作手法がネットで観られた。強いて言えばポジティブな財産はそれかな。すごく勉強になったし刺激になった。インプットの制作の時間もたくさん取れたし、そこで成長できた部分はかなり大きかったですね。でもモラトリアムの終わりはより厳しい現実が戻ってくるということでもあって。俺はコロナ禍前からライブのチケットが即完というわけでもなかったから、今はそういう現実とまたしっかり向き合っていかなきゃなという気持ちです。
ついに行政からオファーが
──KREVAさんは9月14日に「908 FESTIVAL 2023」、15日に「NO REASON」の千秋楽を日本武道館で開催します。このインタビューの公開はライブ終了後ですが、今まさに準備の真っ最中である2日間のライブに対する思いは?
大きなライブの準備ってこんなに大変だったなって(笑)。やっぱりみんなに直に観てもらうものを作るのは、必要とされる体力が配信とまったく違う。配信だったら映像作品のような感覚でクールでいられる部分も多いんだけど……いやー、大変っすね!
──今、「本当に大変」って顔をされましたね(笑)。
本当に大変(笑)。みんなの前に出ていく感覚は思い出せたけど、裏の苦労は完全に忘れていたなって。もちろん方向性はもうつかんでますよ。まず「908 FESTIVAL」のほうは、今までは毎回違うものにしようと意識していたんだけど、今回はあえて「こうだったよな」とこれまでのフェスをリマインドしてもらいながら声を出してもらえるような作り方を目指す。一方、「NO REASON」は、とにかくストイックに曲をやりまくる。衣装や舞台装置も派手さを抑えて曲で勝負っていう感じ。2日間で97%は違う曲だから、それもまたかなり大変なんですけど、2日間とも来てくれるお客さんもいるんで、「両方行ってよかった」と思ってほしいんです。俺の中での俺のファンの評価はだいぶ厳しいんですよ。だから今回もかなり自分に課した感じですね。まあどっちも全部自分のやりたいことなんですけど。
──「908 FESTIVAL」もファンの間ですっかり定着しました。
最初はホントただのノリだったんで。「やったら面白くね?」みたいなちょいワラ感があったんですけど、続けるうちにブランド化していった部分もあって。それを引き受けながらやる感じですかね。
──フェス=祭りと言えば、6月には「ラッセーラ」という曲を配信リリースされました。これはKREVAさんの出生地である青森県の「ダンスを生かしたスポーツ振興事業」における「青森市オリジナルダンス」というオファーに応えたものでした。
ついに地方自治体の行政からオファーが来るようになったのかあ、と感慨深く思いました。
──こうした非常にマスな取り組みからオファーがかかるラッパーって、かなり限られていると思うのですが。
頼める人と頼めない人はいるでしょうね。タトゥーとか外見的なことも関わるでしょうし。何かやらかしそうな人にも、すでにやらかした人にも頼めないだろうし。責任のある仕事を頼んでもらえるラッパーの1人になったんだなあ、と背筋が伸びました。
──KREVAさんにとって青森とは?
生まれただけの場所なんですけど、幼い頃から身近には感じていました。僕は父が長野、母が青森の人で、小さい頃から母方の実家によく帰っていたので、母の兄弟姉妹にもすごくかわいがってもらっていたんです。その頃からねぶたにも触れていたし、家にも津軽塗が普通にあったので、「ラッセーラ」のジャケットも津軽塗でお願いしました。だから今回、DJの熊井吾郎とシンガーのSONOMIと一緒に青森ねぶた祭りの前夜祭で「ラッセーラ」を披露させてもらえたのはすごくうれしかった。ねぶたは青森の人にとって本当に特別なんです。そこに、もう20年以上も前に出会った青森県生まれの2人とそろって参加できたのは、俺の中で相当デカい出来事でした。
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ダサいやつとはやらないし、アンサーも返さない