小林私|気鋭のシンガーソングライターが語る 弾き語りや動画配信への思い、創作活動のルーツ

生配信とセラピー

──YouTubeの生配信は毎回、長時間やられていますよね。

「ヤバい、寝ないと」と思うんですけど、楽しくて気が付いたら時間が経ってる(笑)。そもそも、高校時代にニコ生やツイキャスでいろんな人の生配信を観ていて、「俺も配信したい!」と思ってやり始めたんですけど、「現在の視聴者数:0人、閲覧者数総数14人」みたいな、誰も一緒にいてくれないツイキャスを延々とやり続けて、心が折れまくってきた経験があったんです。なので今、いろんな人が観てくれてコメントしてくれる状況がうれしいし、面白いですね。

──小林さんの配信に来る人たちって何を求めているんだと思いますか? あるいは、その空間ではどういったコミュニケーションが発生しているのでしょう?

ちょうど最近、そのことを大学の先輩と話したんですよ。先輩が「小林くんの配信、たまに観るよ。コメント読んでくれると、すげえうれしいよね」と言っていて。いつでもLINEで話せる間柄なんだけど、YouTubeでコメントして、それが読まれるのはすごいうれしさがあるらしいんです。先輩は「小林くん、これはセラピーだよ」と言っていました(笑)。その人はシュッとしたカッコいい人なんですけど、実際は深夜アニメとかライトノベルを観たり読んだりしているような人で、「小林くん、こんなこと初めて言うんだけど……」っていろいろ話してくれて。そういう話しやすさとか、「こいつになら何を言ってもいいだろう」と思えてもらえているのであれば、それはいいことだなと思いますね。

──先輩のおっしゃる「セラピー」というのは、なんだかしっくりきますね。

小林私

もちろん、僕はセラピーだと思ってやっているわけではないし、「こいつらを救っているんだ」なんて考えながらしゃべっていたら頭おかしいけど、僕が発信するのはどちらかというとオタクっぽいナードな話題が多いので。そういうことって、普段、あんまり外で話せることではないんですよね。どうしても派閥としては日陰の人たちの集まりになって、日常的に気持ちの発散の機会がなかったりもするんです。例えば僕の配信って、うち以外だとどこの配信に行ってもブロックされる人とか、本当に人として問題がある人も来るんですよ。でも、僕はそういう人たちでもコメントをくれるだけでうれしいし、荒らされようが何されようがうれしい。面白いなと思ったのは、ずっと荒らし続けていた奴を放置していたら、普通にコメントし始めて、最終的に「小林さん、曲作ったんで聴いてください」と言ってきたこと。いい出来事だなって思いました。結果的にそういうことが起こるのは、それはそれでセラピーっぽいなと。

──意図せずとも、放っておいたり、受け入れたりする小林さんのコミュニケーションの取り方がそうさせていく部分があるのかもしれないですね。

あと、僕は美大出身だから、その方向に進路を考えている人たちの質問には真摯に答えたいなと思うし、音楽に興味がある人と話したりするのも面白い。彼らが何を求めているのかは最終的にはわからないですけど(笑)、いろんな人たちが配信をやっている中で、小林私を選んでくれるのはうれしいですね。僕自身、誰に共有するでもなく観ていた深夜アニメの話をしたときに反応があるとうれしい。一生通じない話もありますけどね。僕がやっていた「マジカ☆マジカ」っていうちょっとエッチなギャルゲーの話は、いまだに誰にも通じない(笑)。

──(笑)。でも、セラピーということでいうと、小林さんは、実際にセラピストをやられていたこともあるんですよね。

僕がやっていたのは、もみほぐしとかをやるタイプのものでしたけどね。「なんのバイトしてるの?」って聞かれたときに、答えたらウケそうだなという理由で選びました(笑)。

──でも、そこでセラピストを選ぶ感性って、小林さんの人間性や表現の独特さにつながっているような気もします。

小林私

接客は好きですね。基本的に人見知りなので、人と話すのは苦手なんですけど、パチスロのホールや居酒屋でバイトをしたときも、「心地よい接客をしてお客さんに帰ってもらおう」とか、「このお店にまた来たいと思ってもらえるようにしたいな」と思いながらやっていました。酔っ払いのおじさんにめちゃくちゃなことを言われても、それはそれで面白いし。

──僕の勝手な考えですが、小林さんは人やモノ、言葉の“調子”に敏感なんじゃないかという気がするんです。歪なものの歪さを残したまま、調子を整えることができるというか。例えば、「健康を患う」というタイトルのアルバムがありますよね。健康は多くの人が漠然と求めるものだけど、身体においても、心においても本当に健康な状態とはどういうものなのかと言われると、よくわからない。本当にみんなが求める“健康”って、同じものなのだろうかと。小林さんは不安定な感情や体調も歌によって美しく整えながら、なんとなくみんなが感じる「調子がいい」とか「調子が悪い」ということの細部を覗こうとしている感じがするんです。

あー、確かに。あのアルバムタイトルってそういう意味だったんですかね。インタビューであのタイトルの意味を聞かれても、いまいち言語化できてなくて。今のが一番、腑に落ちました。今後それにしましょう(笑)。

──いやいや(笑)。でも、そういう感じで周りを敏感に見ている視線はあるのかもしれないと、お話を聞いていて感じます。

確かに人の機微を見るのは面白いなと思いますね。「この人は今、どういうことを感じて、考えているんだろう?」って。もちろん、誰にでも興味があるわけではないけど、同じことをやっていても、人それぞれ、その人なりの感じ方があるじゃないですか。その“それぞれの感じ方”みたいなものを、友達や恋人の姿を見ながら考えるのは好きかもしれないです。

文学と「後付」

──今作の表題曲「後付」は映画「さよなら グッド・バイ」の主題歌ですが、「さよなら グッド・バイ」は太宰治の遺作「グッド・バイ」を原案とした映画だそうですね。でも、YouTubeの配信で小林さんは「太宰治は好きじゃない」とおっしゃっていました。

言いましたね(笑)。僕、純文学があんまり好きじゃないんです。僕は同じ時代に生まれて、今、生きている人の作品が好きだし、太宰治の言葉や行動に信憑性はそんなにないなと思っていて(笑)。太宰治は、「死にたい、死にたい」と言いながら作品を作った人じゃないですか。僕が自分の作品を作るときに絶対に外せないと思っていることは、「死にたい」とか「もう嫌になっちゃった」というネガティブな感情があったとしても、それを今、作品にして発表しながら生きていくなら、その意志もちゃんと作品に入れ込まないといけないということなんですよ。

──なるほど。「死にたい」という前提は同じだったとしても、「それでも生きる」という気持ちまで作品に刻むかどうか。

でも、太宰治の「グッド・バイ」は暗いですけど、「さよなら グッド・バイ」はいかにも邦画っぽい、ちょっといなたくてバカバカしい感じがあって好きでした。言い方は悪いかもしれないですけど、僕、バカ映画が好きなんです。「アクアマン」とか最高だなって思う。大きな目的もなく、ずっとバトルしているような映画(笑)。音楽を作るうえでも、あんまり大げさなことは言いたくないんです。大げさな問題を扱うよりは、「今日の朝食べたパンがおいしかった」みたいな、小さなことを広げて解釈したいっていう気持ちがある。

──「後付」は、映画をもとに作られたんですか?

そうですね。事前に映画を観させていただいて、それに対して自分が感じたことを反映させて。「ポップだけど文学的な感じ」というリファレンスもいただいていたので、それも頭に入れつつ、自分らしさを出すことができたらなと思って作りました。

──映画を観て感じたどんな思いをこの曲に入れ込んだんでしょうか?

僕自身、高校や大学を卒業したり、予備校を出たり、バイトを辞めたり、いろいろな別れを経験してきたので、自分なりの“別れ”に対しての考え方をこの曲で書けたかなと思います。最近だと大学の卒業が一番大きくて、めちゃくちゃ寂しいんですよね。みんな働いていて忙しいのに、「会おうよ」って連絡しちゃったりしていますね(笑)。

──ちなみに、本をたくさん読まれてきたということですけど、どんな本が好きですか?

1回しか読まない本と、繰り返し読む本があるんですけど、1回しか読まない本で好きなのは、三秋縋さんという方の本ですね。もともと2ちゃんねるにずっと小説を書き続けていた方なんですが、当時、僕はパソコンを持っていなかったのでPSPでその小説を読んでいて(笑)。繰り返しては読めないくらい心がしんどくなる話が多いけど、面白いんです。何回も読む本だと、米澤穂信さんが好きですね。「氷菓」とか、「古典部」シリーズとか、「インシテミル」とか。初めて小説を面白いと思ったのは、東野圭吾さんの「白銀ジャック」を読んだのがきっかけでしたね。あと上橋菜穂子さんも好きですし、小学生の頃は偕成社が出している上中下巻の「西遊記」をめちゃくちゃ読んでいました。結局、ドンパチしているのが好きなのかもしれないです(笑)。

アニメと美少女

──余談ですが、アニメに関してはどういった作品がお好きなんですか?

答えるのが難しいですけど(笑)、初めて「俺が好きなのってこれだ!」と思ったのは、「ドラゴンクライシス!」というラノベ原作のアニメです。いわゆるライトノベルっぽい、きれいなお姉さんが出てきてちょっとエッチな出来事が起こる話で。昔は最悪な子供だったので(笑)、小2くらいの頃は「周りの人間は全員バカだし、アニメなんてガキが観るもんだろ」と思っていたんですけど、家にあった「スマブラX」(Wii用ソフト「大乱闘スマッシュブラザーズX」)のゼロスーツサムスを見てざわつく心があって(笑)、そのざわざわした気持ちが、「ドラゴンクライシス!」で爆発したっていう(笑)。ほかに好きなのは「のうりん」「さばげぶっ!」、最近だと「ゆるキャン△」とか。「凪のあすから」みたいな重いアニメも好きっちゃ好きなんですけど、どちらかというと美少女が何もしないアニメのほうが好きです。美少女アニメ……言い方を変えると、萌え豚アニメ?

──(笑)。

そういうものが性分として好きっていうのはあります。

──美少女キャラを求めるのはなぜなんでしょうね。

ええっ、そんなこと聞きます? 美少女アニメを好きになる根本にあるのは、「ちょっとエッチなものが見たい」っていう気持ちだと思うんですけど(笑)。それはもう仕方がないじゃないですか(笑)。

──(笑)。僕は大学生の頃、深夜に放送していた「とらドラ!」を熱中して観ていて、原作も買って読んでいました。今も仕事用のデスクの上に逢坂大河のフィギュアが置いてあります。最初は櫛枝実乃梨が好きで、まあ今でも好きなんですが、歳を取るにつれて大河も好きになっていって。

わかります、僕も最初は実乃梨派だったんですけど、途中から大河派になりました。……ああでも、例えば「とらドラ!」の大河みたいな暴力系ヒロインの魅力って、こちら側の「許されたい」という感情にひと役買っているような気がします。そこには、美少女に対する「依存したい、依存されたい」みたいな感情もあって。例えば「パンツ見ちゃった」みたいな出来事が起こると、美少女アニメの世界だと「何すんのよ、バカ!」ってぶん殴られるけど、そこでちゃんと罪と罰が終わるんですよね。実際の女性とそういうことが起こったら、ひたすら気まずくなり続けるだけじゃないですか。そこを一発のパンチで許してもらえる。そういう空間、そういう状態を、美少女アニメが好きな人はもしかしたら欲しているのかもしれないですよね。罪に対して即座に罰がきて、それが当人同士の間で終わって、また話が進んでいく。その「許されたい」感情って、オタクが美少女に求めるものとして、あるかもしれないです。

──なるほどなあ。

例えば、すごいドジっ子で生活力のない美少女キャラがいたとして、その子に「まったく仕方がないなあ」って言いたいじゃないですか。そうやって、その子に「すがってもらっている自分」を作りだそうとするのは、結局、そのドジっ子に自分自身も依存している状態ですよね。その「許し合う」状態が、美少女キャラに求めるものはあるような気がしますね……っていうか、これ何の話ですか?(笑)

小林私