ライブやるなら絶対アルバム作んなきゃ
──実家のお話が出たところで、今回のアルバム「鯛 ~最後の晩餐~」には小林さんの故郷・広島県福山市について歌った「FUKUYAMA」という曲が収録されています。
「FUKUYAMA」は3回ぐらい歌詞が変わってるんです。前のバージョンは、「瀬戸内海があまりにも静かで平和だから、サーフィンノーキャンドゥー。鯛やヒラメがジャンピングハイ」みたいな歌詞だったんです。
──(笑)。ひさびさとなるアルバム「鯛 ~最後の晩餐~」ですが、どういういきさつで制作することになったんですか?
5年ぐらい前からライブをやろうよっていう話がメンバーから出ていたんだけど、僕が体調を悪くして、なかなか実現できなくて。ライブやるなら絶対アルバム作んなきゃって言ったらみんな「えっ、アルバム作んの?」って(笑)。
──今回も洋楽をモチーフにするという部分は変わっていませんね。
佐藤くんもラジオのディレクターを長年やってるし、僕も特に「ベストヒットUSA」をやるようになってからは洋楽の看板を背負っていたから、インスピレーションの源になってるのは洋楽なんです。そうすると日本にないものをどうしてもやってみたくなるんですよね。ラップだって日本になかったジャンルじゃない? それで「うわさのカム・トゥ・ハワイ」でやってみた。海外で最近流行している曲を聴いても、「これは日本にない。これはナンバーワン・バンドで使えるぞ」とか、そういうのをしょっちゅう考えてるんです。例えば、エド・シーランの「Shape of You」なんかも1コードの中にまったく違うサビが出てきたりして、すごく面白い曲だよね。それでアルバム1曲目「ナムアミダブツ IN 九品仏」に取り入れてみたんだけど。
──そうでしたか。アーティスト写真がお寺で撮影されたものだったので、悟りの境地がテーマなのかなと思っていました。
いやいや、あの写真は単に面白がって撮っただけで(笑)。ただ、今回のアルバムは全体的に歌詞を書くのが難しかったです。「ナムアミダブツ IN 九品仏」も佐藤くんが最初のデモで歌っていたのは「ものすごく君のことが恋しい」という歌詞で、サビが「I love you」だったんです。でも最後にオチがあって、その対象は自分の愛犬だったっていう。それはいくらなんでもプライベートすぎるよ、みんなの曲にしようよってことで、今の形になったわけです。
──「LET'S MAKE LOVE ~REGGAE ONDO~」は、大瀧詠一さんの「レゲエは音頭である」という言葉から着想を得たそうですね。
佐藤くんがずっと大瀧くんの「ゴー・ゴー・ナイアガラ」というラジオの深夜番組を担当していたから、大瀧くんのことはよく知ってるんです。大瀧くんが番組を作るときは1日スタジオとスタッフを押さえるんですよね。午後からレコードを選んで、音を決めるのにめちゃくちゃ時間をかけて、収録が終わるのが夜中過ぎ。門下生はみんなそうじゃない? 山下達郎くんもだし佐野元春くんもそう。佐藤くんはそういう作り方に死ぬほど付き合っているわけで。収録時に大瀧くんが言っていた「向こうのレゲエは日本の音頭と同じようなものだ」という発言をもとに佐藤くんが作ったんです。
エルヴィス、ファルコ、フランシス・レイ……根底にある洋楽の要素
──そして「SHOWA WOMAN」はキング・オブ・ロックンロールことエルヴィス・プレスリーをイメージさせる曲で。
プレスリーは今までやったことなかったからやってみようということで、「昭和の女」っていうコンセプトから昔の演歌や歌謡曲の世界を、プレスリーの音に乗せちゃったっていう。
──プレスリーは小林さんが多大な影響を受けたアーティストですね。
多大どころじゃないです。これは何度も話してきたことですが、ジョン・レノンは僕より1歳上で、ポール・マッカートニーは1歳下なんですけど、彼らも僕と同じく「Heartbreak Hotel」で人生変えられてるんです。でも、The Beatles時代の彼らからはプレスリーのプの字も出てこない。プレスリーには敵わないと本能的にわかってたんじゃないですかね。
──偉大すぎるゆえにナンバーワン・バンドでもあえてやってこなかった、と。
日本でも平尾昌晃とか小坂一也がプレスリーをカバーしてたし、今さらやっても余計小さい感じが出てくるよなっていう思いがあってね。ちなみに「Rock Me Amadeus」を大ヒットさせたファルコっていたでしょ? 僕はあれは新しいプレスリーだと思ったんです。4曲目の「あるパティシエの愛」のノリはちょっとファルコを意識したものです。
──「豊満な満月 ~フムフム・ヌクヌク~」は心地よいハワイアンですが、歌唱法が独特で耳に残りますね。
去年、山下達郎と一緒に「COME ALONG 3」を作ったとき、33年ぶりの3作目なんだからただのDJではなく自分の作ってきたものを出さなきゃダメだなと思って、詩を書いたんです。満月の光が海面に反射して、女性の脚が延びてるみたいなイメージの。そのとき「豊満な満月」ってフレーズが出てきて。これもちょっと歌い方にプレスリーが入ってます。山下達郎は英語を勉強してて、特に「M」と「N」の発音がすごくうまいんです。英語がうまい人は「Fly Me To The Moon」を歌うと、よくわかる。「豊満な満月」も日本語だけど「M」と「N」を強調する歌い方にしてるんです。だからサビでそれをやると山下達郎が乗り移るという(笑)。
──そういう部分もきちんと音で捉えられているんですね。
最初から意図していたわけではなく、やってから気付いたという感じです。
──続いて「FUNKY KISS」はSly & The Family Stoneふうのファンクナンバーです。
ファンクはナンバーワン・バンドの得意なところで、ほかのバンドにはないノリがあるんです。これは余分なエピソードですけど、「うわさのカム・トゥ・ハワイ」はいい曲ができたねっていうことで、山下達郎リズムセクションでやったらもっと面白くなるんじゃないかという話になって、実際にフュージョンの達人を招いて録ったんです。でも、やってみたらこちらのイメージと違ってボツにしたんです。レコードになったものはすごくファンキーでしょ? とにかく成田昭彦のドラム、琢磨仁のベース、深町栄のキーボードがあるとすごいです。「うわさのカム・トゥ・ハワイ」はスティーヴィー・ワンダーふうのクラビネットを入れているのがポイントですね。
──ラストの「ナミマニ」は、読経とニューオリンズのセカンドラインのリズムを融合させた面白い曲ですね。
以前作った同タイトルの曲(2004年リリースのミニアルバム「バナナ・ドリーム」に収録)があるんですけど、あまり満足いくものにならなくて。今回はそのときとは違う発展のさせ方で、フランシス・レイの「男と女」みたいな静かな感じにしてみました。「豊満な満月」でもコーラスを付けてくれたAsukalleさんという女性シンガーソングライターとデュエットしてるんですけど、彼女はバークリー音楽大学で勉強したとても才能のある方なんです。「ナミノマニマニ」って、ずっと繰り返し歌ってもらって。「リズムが細かいから大きなメロディがすごく似合うよね」ってことで、歌詞も「スキスキスー」しかないなと思って。まあまあ気の利いた作品になったと思います。
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俺たちのも立派な「サージェント・ペパーズ」だよな
- 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
「鯛 ~最後の晩餐~」 - 2018年3月21日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
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完全生産限定盤 [CD2枚組]
5940円 / VIZL-1355 -
通常盤 [CD]
3240円 / VICL-64984
- DISC 1 収録曲
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- ナムアミダブツ IN 九品仏
- The Noh Men
- LET'S MAKE LOVE ~REGGAE ONDO~
- あるパティシエの愛
- SHOWA WOMAN
- ふるえる君に ~Tears For Fears~
- FUKUYAMA
- FOOL FOR YOU ~コンチキショウ~
- 豊満な満月 ~フムフム・ヌクヌク~
- FUNKY KISS
- STRAWBERRY FIELDS
- 夢
- お茶物語
- ナミマニ
- 完全生産限定盤 DISC 2 収録曲
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小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド
Live in Nagoya 1983.10.20- ナンバーワンバンドのテーマ(Live in Nagoya 1983.10.20)
- うわさのカム・トゥ・ハワイ(Live in Nagoya 1983.10.20)
- ダイアナ(Live in Nagoya 1983.10.20)
- ジャック&ダイアン(Live in Nagoya 1983.10.20)
- 港の女(Live in Nagoya 1983.10.20)
- キャント・ゲット・イナッフ(Live in Nagoya 1983.10.20)
- 六本木のベンちゃん(Live in Nagoya 1983.10.20)
- 野球小僧(Live in Nagoya 1983.10.20)
- ダウン・アンダー(Live in Nagoya 1983.10.20)
- ジョニーの青春(Live in Nagoya 1983.10.20)
- ケンタッキーの東(Live in Nagoya 1983.10.20)
- マイ・ペギー・スー(Live in Nagoya 1983.10.20)
鯛 ~Special Bonus Tracks~
- コンニチワ・エブリバディ
- CRYING
- まもる
- DO YOU REMEMBER
- 小林克也(コバヤシカツヤ)
- 1941年3月生まれ、広島県出身。29歳でラジオのDJとしてデビューし、低く渋い声と流暢な英語で人気を博す。ラジオ番組「スネークマンショー」の構成を手がけたことをきっかけに、1976年に伊武雅人らと同名ユニットを結成。1982年には小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドを結成し、アルバム「もも」を発表した。以降もコンスタントにリリースを重ねていたが、1993年にリリースした「ます」以降は活動休止状態に。2018年3月に25年ぶりとなるオリジナルアルバム「鯛 ~最後の晩餐~」を発表した。音楽番組「ベストヒット USA」で長年VJを務めている。