昭和の音楽は“愛着”
──レコーディングではどんなやりとりを?
吉野 こういう作品を形にするなら、やっぱり売れたほうがいい。そのために必要な要素は、エネルギーだと思うんだよね。そこでまずは、ベテランをそろえるよりも、若手のミュージシャンで録ったほうがいいんじゃないかと考えて。うますぎると、つまんなくなって飽きるのが早い。なので最近よく一緒にやってる二十代のミュージシャンに集まってもらいました。若いとシンバルがうるさすぎたりするんですよ。
竜人 あはははは(笑)。
吉野 でも、必要なのはそこなんだよね。あんまりうまく演っちゃうと、大事なエネルギーが欠けちゃう。
竜人 いやあ、深い。
吉野 あとはテンポ感。けっこういろんな年代の人とやってるけど、やっぱり二十代がいいんじゃないかな。十代だとちょっと若々しすぎるし……27ぐらいが一番いいんじゃないかな(笑)。
──今は管楽器や弦楽器を生演奏にした作品が少なくなっていますが、「平成の男」はサウンドもリッチで華やかで、そこがいいなと思いました。
吉野 布施さんのアルバムで「君は薔薇より美しい」を作り直したとき、初めは管楽器だけの予定だったんだけど「弦も欲しい」と言われて。やってるうちにいろいろ思い出しちゃったんだよね。ゴージャスな音作りというのも昭和の歌謡曲にあった1つの手法だから、こういう形で残すのはいいよね。
──「平成の男」はストリングスがゴージャスに盛り上げるためのものだけじゃなく、ちょっとカオスな効果も含んでいて面白いですね。
吉野 僕も「モンキー・マジック」(ゴダイゴが1978年に発表した楽曲。堺正章が孫悟空を演じたテレビドラマ「西遊記」のオープニングテーマとして大ヒットした)なんかでヒューンなんて変なストリングスを入れたりしたけど、そのあと出てきたReggae Philharmonic Orchestraがすごく面白かったんだよね。そういう昭和の時代にあった感じを、曲に合うようにアレンジした感じかな。何回か聴いているとそういう細かいところに愛着が湧いたりするじゃない? そうやって愛着を持ってもらえる曲になったらいいなとは思っていました。確実に言えるのは、昭和の音楽って“愛着”なんだよね。愛着がヒットにつながっていくはずだし、今ヒットしなかったとしても、時間が経った頃に愛着を持たれることもある。100年後になるかもしれないけどさ(笑)。でも作るほうはそんな気持ちでいないと、音楽なんて意味ないよね。
竜人 うん。ミッキーさんとは世代も全然違うし、昭和の歌謡曲があった頃と今では状況も環境も、社会通念やイデオロギーも全然違う。だからこそ、今の僕が作詞作曲したものが、ミッキーさんの感性で色付けられていくことが面白いことだなと思っていて。時代のバランスの取り方を、ミッキーさんに一任しますと。そこでミッキーさんが若いミュージシャンに演奏をお願いしてバランスを取ったというのは興味深いですね。例えば、もっと昭和臭くすることだってできたと思うし、もっと今っぽくもできたと思う。それがミュージシャンの選定やアレンジメントの方向性、ハーモニーの乗せ方などで少しずつ変わっていくと思うんですけど、今回はミッキーさんに一任した結果、すごく“正解”が出せた気がしています。
平成浪漫
──ミッキーさんとのコラボレーションを経て、これまで作ってきた音楽とは違う、新しい発見や手応えはありましたか?
竜人 さっきミッキーさんがおっしゃっていたように、自分でアレンジしていたら絶対にならなかった完成図になっていて、自分では出せないポップネスが生まれていると思うんです。そこは今回のシングル、そしてのちに控えているアルバムのテーマとなるところですけど、温故知新で昭和、平成、そして次の時代へという。新古典主義的な発想でアルバムが作り上げられたらなと思っています。
吉野 今の話を聞いていて感じたんだけど……明治浪漫や昭和浪漫はないけど「大正浪漫」はあるんだよ。その流れで言うと、もしかしたらのちに「平成浪漫」があるんじゃないかな。
──なるほど。明治という時代を経ての大正浪漫があったように、昭和を経ての新たなロマン主義が「平成浪漫」として語られるかもしれない。
吉野 今は平成の曲と言ってピンとくるものがなくて、それは次の時代になったときに語られることだと思うんだけど、大事なのは、未来から来たり過去から行ったりすることができるのが音楽じゃん。
竜人 そうですね。
吉野 「平成浪漫」は語呂もいいよね。
──アルバムタイトルがまだ決まっていなかったら、それでいいのかもしれないですね(笑)。
竜人 あはは、確かに(笑)。
吉野 この間のライブ(参照:平成の男・清竜人、 新曲発表会で往年のスターさながら歌謡ショー)も観させてもらって、あのときはずいぶんおかしなことやってるなと思ったけどさ(笑)、思い返すと「平成浪漫」って言葉がぴったりくるんだよね。
時代にどう対応していくかを考えるのがアーティストの使命
──ミッキーさんはザ・ゴールデン・カップスとしてガレージシーンから世に出てきて、ゴダイゴでは洋楽の影響色濃い先鋭的なアプローチも試みつつ、同時に国民的支持を得る“大衆音楽”として成立していましたよね。
吉野 それはゴダイゴを始めたときから考えてましたよ。ヒットしないバンドをやっていてもしょうがないから。マーケティングも大事だと思っていたし、アレンジもきっちりしたい。1960年代にやっていた音楽で「違うな」と思ったものを排除して作ったのがゴダイゴなんです。でもやっぱりグループには限りがあって、楽しいけど追求はできないんですよ。
竜人 なるほど。ミッキーさんは当時を知っていて、今もこうして第一線で活動されているのが、やっぱり一流の証拠だなと。1つの時代だけを生きていくのはそれほど難しいことじゃなくて、継続して時代にどう対応していくかを考えるのがアーティストの使命だと思うんです。ミッキーさんの話を聞いていて、そこがすごく勉強になりますね。
吉野 時代が変わるときに振り落とされちゃう人たちはいるし、そういう人たちを見てきているから、自分がどうしなきゃいけないかは考えるよね。いつもヒットが出せるわけじゃないんですよ。そんなことしてたら頭がおかしくなっちゃう(笑)。とにかく楽しい環境、音楽が嫌いにならない環境を自分で作っていけば絶対平気だよ。それに勝るものはないと思うんだよね。
──「これ以上このまま行くと音楽嫌いになっちゃうな」という局面に当たったこともあるんですか?
吉野 あるよあるよ。ゴダイゴだってそれがあったから途中で止めたんだし、1980年代の後半には人の家の看板を塗るだけの仕事……商業音楽をたくさんやってるうちに「こんなことばかりしてられないな」と思って、アフリカに行ったんですよ。それはゴダイゴの曲に「アフリカに行って人生のキーを見つけよう」という歌詞(1980年に発売されたシングル「リターン・トゥ・アフリカ」の英詞で書かれた一節)があったからなんだけど(笑)、実際にそれをやってみようと思って。アフリカに行くとさ、日本のように便利ではないじゃない。不便なところに行ってみないと気付けない、自分の麻痺している感覚がよくわかる。
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生きていれば生まれ変われるんだよ
2018年7月31日更新