キタニタツヤが8月26日にニューアルバム「DEMAGOG」をリリースする。
アルバムには現代社会や時代に対するキタニの思想を提示するような、メッセージ性の強い全7曲を収録。ストーリー性のある歌詞、最新のグローバルポップとも重なるサウンドメイク、ボーカルの表現力など、キタニの多彩な才能がこれまで以上に発揮された作品となっている。
ソロアーティストとしての活動の傍ら、sajou no hanaのメンバー、ヨルシカのサポートベーシストとしても活躍し、そのほか神谷浩史、ナナヲアカリ、さくらしめじといったアーティストに楽曲提供するなど、幅広いフィールドで活躍を続けているキタニ。この特集では7つのキーワードによって、彼の音楽性やキャラクターを紐解いてみたい。
取材・文 / 森朋之
1ルーツ
──音楽に興味を持ったきっかけは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONだったそうですね。
はい。小学1年生の頃だったと思いますが、アジカンの「遥か彼方」が「NARUTO -ナルト-」のオープニングテーマとして流れているのを聴いて、「カッコいい!」と思って。あとはスペースシャワーTVの影響が大きかったですね。母親が音楽好きで、家でずっとスペシャの番組が流れていたんですよ。母親は昔洋楽一辺倒だったんですけど、アジカンをきっかけに日本のロックに興味を持ったようで、「このバンドいいよ」と2人でよく情報交換してました(笑)。小学生の頃はアジカンのほかに8ottoとVOLA & THE ORIENTAL MACHINEが好きでした。すごく聴き込んでいたし、間違いなく影響を受けていると思います。
──小学生のときから完全にロックキッズですね。しかも、どれも洋楽の影響を受けたオルタナティブなバンドという。
音楽性を意識したのは大学生くらいになってからで、ずっとただ“カッコいい日本のロック”という感じで聴いていたんですけどね。母親と一緒にライブにも行っていました。初めてのライブは「ARABAKI ROCK FEST.」で、最初に観たのがMO'SOME TONEBENDERだったと思います。「これがライブか!」と盛り上がりましたね。あとは恵比寿のLIQUIDROOMで8ottoのワンマンを観たり。
──最高の環境ですね。うらやましい。
(笑)。楽器を始めた高校生の頃は、先輩の影響でマスロックを聴くようになって。People In The Box、the cabsといった残響レコードのバンドを中心によくカバーしていましたね。オリジナル曲を作るようになったのも高校生のときでした。羊の群れは笑わない。というバンドを、高校から大学までの7年間、ずっとやっていて。メンバーは流動的だったんですけど、それでDTMも始めたことが、今やってることの礎になっている気がしますね。メンバーが見つからないときに、ドラムを打ち込んで、ギターを家で録って、そのオケを流しながらベースで弾き語りしていたので。
──洋楽は聴いていたんですか?
母親の影響で子供の頃からNirvanaやRed Hot Chili Peppersは耳にしていたんですけど、自分で本格的にチェックするようになったのはサブスクリプションサービスが普及し始めてからです。自分がやっている音楽にもつながるんですけど、ヒップホップやR&Bに影響された海外のポップスを聴き始めて。それは今も続いていますね。
──なるほど。音楽以外のカルチャーで影響を受けたものはありますか?
マンガはめちゃくちゃ読みますね。一番好きなのは松本大洋さん。「鉄コン筋クリート」や「ピンポン」、「Sunny」もそうですけど、登場人物の1人ひとりが強く生きている感じが好きで。あの雰囲気からはかなり影響を受けていると思います。
2Vocaloid
──キタニさんは2014年から“こんにちは谷田さん”名義でボカロPとしても活動していました。
高校生の頃からVocaloidミュージックが大好きで。バンドの音楽と並行して、ニコニコ動画でボカロPの曲もめちゃくちゃ聴いていたんですよ。イベントに参加してCDを買っていましたし、ロックミュージシャンと同じように、ボカロPにも憧れていたんです。じんさんの曲は特によく聴いていました。CDにギターのTAB譜が付いていたので、自分でも弾いてみて。コードの勉強にもなったし、モロに影響を受けていますね。「大学に入ったら機材を買ってボカロPになるんだ」と思っていたし、実際、大学の4年間はバンド活動と同時進行でボカロの曲も作っていました。
──Vocaloid音楽のどんなところに惹かれていたんですか?
僕がVocaloidを始めた頃は、すでに「Vocaloidのシーンは廃れてるね」「盛り上がってない」と言われていたんですよ。確かに有名な曲は出ていなかったけど、文化の土壌として成熟した感じはあったし、いろんな音楽が平等に扱われていた時期でもあって。それこそマスロックみたいな曲もあったし、ちょっと小難しいフュージョンみたいな曲もあって、いろんなタイプの人が集まる受け皿になっていたんですよね。僕くらいの20代半ばの世代は好き嫌いなく音楽を楽しめる人が多いし、実際、同世代のバンドマンと話をすると「ボカロもめっちゃ聴いてた」という人がたくさんいるんです。
──ボカロPとして幅広いジャンルの曲を作ることで、作曲やアレンジの経験値も当然上がりますよね。
トラックメイカー的というかDJ的というか、1人でアレンジまで作るというのがボカロ界隈のクリエイターのやり方ですからね。バンドだったらメンバーとみんなで作るだろうし、シンガーソングライターも編曲はほかの人に任せることが多いと思いますけど、ボカロPはすべて自分で完結させるのが当たり前だし、確かに音楽的なスキルも上がったと思います。ただ僕の場合、投稿した楽曲の反応はそんなになくて。ボカロPとして大した実績を上げられなかったことに対するコンプレックスはけっこうあります。
──なるほど。
そこで一番感じたのは、独りよがりではダメだということ。自分がやりたいことだけをやっていてもダメだし、「こうすれば人気が出るんだろ」というフォーマットをなぞるだけでもダメで。自分が作りたいものをいかに聴いてもらえるかを考えなくちゃいけないし、そのバランスがすごく難しいんですよね。当たり前のことなんだけど、大学生の頃はそれがわかってなかったんだと思います。憧れていたボカロPにはなれなかったし、理想と現実を見せつけられた。「じゃあ、どうする?」と考えたし、そのときの苦い経験もためになっていると思います。
3ベーシスト
──最初に持った楽器はベースですか?
はい。高校受験が終わったときに、「よし! バンドやるぞ!」と貯めていたお年玉を持って御茶ノ水の楽器屋でベースを買って。どうしてベースだったかはよく覚えてないんですけど、たぶん、仲がよかった友達の1人がギターをやってたから「じゃあ、俺はベースかな」という感じだったんじゃないかな。あと、いつもベースの音を意識して曲を聴いていたんですよね。家ではレッチリが流れてるし、8ottoもVOLAもベースの音がとにかくでかいので。
──好きなベーシストはいらっしゃいますか?
アジカンの山田貴洋さん、8ottoのTORAさん、VOLAの有江嘉典さん、あとはウエノコウジさん。この4人のベースはめちゃくちゃコピーしていました。ピック弾きで、リフっぽいフレーズが多くて、カッコいいんですよ。あと、高校の軽音部でいろんなジャンルの曲を弾いたことも役に立っていますね。決まったメンバーではなく、1曲ごとに違うメンバーと演奏するというシステムで、先輩と一緒にMetallicaの曲をやったり、女の子に「SEKAI NO OWARIのコピバンやりたい」と言われてシンセベースを弾いたり。この前、実家に帰ったときに当時使っていたTAB譜の束が出てきたんですけど、その数が尋常じゃなくて。こんなにいろんな曲をやっていたんだなと感動しちゃいました。
──現在はソロ活動と並行して、sajou no hanaに正式メンバーとして参加しています。ヨルシカのサポートなど、ベーシストとしても活躍されていますね。
誘われたらやるという感じですね(笑)。ヨルシカの場合は、バンドを主宰しているn-bunaくんがボカロ時代から仲よくしてる友達なんですよ。「バンドやるんだけど、ベースはお前じゃないとダメや!」と頼まれて、「そこまで言うならやるよ」って。ほかの現場もそうなんですけど、仕事としてベースを弾いている感覚はないんです。スタジオミュージシャンはもっとシビアな世界だと思うんですよ。僕はレコーディングに呼ばれても「ごめん、ミスった。もう1回やっていい?」という感じなので。プロのベーシストという意識はまったくないです。
──ただ、いろんなタイプのアーティストにベーシストとして関わることで、アレンジャー、プロデューサー的な視点を得られたのでは?
うん、そうですね。ベースって、バンドのすべてを見渡す楽器だと思うんです。音程のある楽器、リズム楽器をつなげる楽器なので、最初に手にしたのがベースだったのは、マジでラッキーでした。
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