筋肉少女帯インタビュー|「レティクル座妄想」から30年、あのとき筋少に何があったのか? (3/3)

ツアーの初日、「ハッピーアイスクリーム」で感動しちゃって

内田 あと、この頃やたらテレビに出てたよね。「香菜~」でNHKの「ポップジャム」に出たり。

大槻 出てた出てた。

橘高 「蜘蛛の糸」で「ミュージックステーション」にも出てるし。

大槻 それは覚えてない。「スーパーJOCKEY」にみんなで出たのは?

橘高 もっとあと。「ステーシーの美術」(1996年発売のアルバム)の頃だね。

大槻 「トゥルー・ロマンス」のときか。そのときブルマ1枚の蛭子能収さんが廊下で「大槻さーん」って追っかけて来て、「ダメですよ大槻さん、こんな番組出ちゃ」って言ったんだよなあ(笑)。懐かしい。その頃の「スーパーJOCKEY」めちゃくちゃだったから。僕がテレビタレント的な仕事をいっぱいやらせてもらっていた時期。

橘高 「モグラネグラ」(1993年4月から1994年9月までテレビ東京系にて放送)とかね。

大槻 楽しかったなあ。あれはあれで。

──内田さんは「レティクル~」の思い出はありますか? 例えば、内田さんが作曲された「ハッピーアイスクリーム」とか。

内田 「ハッピーアイスクリーム」には「恐怖奇形人間」っぽさはないですね(笑)。だけど、ラフなロックのテイストを入れたいなと思ってた頃で。あれは僕にとってのジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)なんです。そういうものを筋少に打ち出したいなと思った曲です。

──その後の「大槻ケンヂと絶望少女達」などにつながる曲でもあります。

大槻 あれは女性とコラボするきっかけになった曲ですね。この間も、あるバンドのセッションで女の子たちにコーラスしてもらって「ハッピーアイスクリーム」をやりました。

内田 ずっとワングルーヴだから、上で遊んでもらえる曲。

大槻 ジミ・ヘンドリックス感ありますよね。

橘高 今思えば、あの頃の内田くんが作ってくるデモは一番ギターを弾いてることが多かったな。

内田 ブラック菩薩(Black Sabbathにインスパイアされ、フミー橘高こと橘高文彦がボーカル、トニー内田こと内田雄一郎がギターを務めるバンド)をやってた頃だ。

橘高 内田くんの、ギターが楽しかった時期(笑)。デモの段階で筋少としてどうなるのかなと思ってたら、大槻くんがあのアイデアを乗っけてきて、これはすげえと思った。

──大槻さんと少女たちが「アッハッハ」「イッヒッヒ」「オッホッホ」「ハッピーアイスクリーム!」と言い合うところですね。

大槻 「このコーラスはすごい!」って、当時のドラマー・太田明くんに褒められたこと、今思い出した(笑)。

橘高 あれは本当にうまくいったよね。

──もともと「ハッピーアイスクリーム」は1970年代後半に10代の女の子の間で流行った、会話中に2人同時に同じ言葉を口にしたとき「ハッピーアイスクリーム!」と言い合って、先に言ったほうがアイスクリームをおごってもらえるという遊びです。

大槻 あの掛け合いは当時の筋少の事務所のスタッフの女性陣に助けてもらって作ったんだよね。

橘高 ディレクションは大変だったけど、よくできたと思う。

内田 予算があって高いスタジオを使ってるのに、コーラスは事務所の女子社員を使うという(笑)。

橘高 ライブでは女性たちの声をお客さんがやってくれたんだよね。ツアーの初日、感動しちゃって。結果的にものすごいコール&レスポンスのあるロックな曲になって。これから筋少のライブにいらっしゃる方も、ぜひやってほしいな。

ノストラダムの予言通りに絶対死ぬと思ってて、その先の人生設計がまったくなかった

──本城さんは何か当時の思い出はありますか?

本城 みんなよく覚えてるなあと思いながら聞いてました(笑)。僕がレコーディングで覚えてるのは、みんなでゲームやってたことです。「いただきストリート」とか。真面目な話だと、ちょうどこの頃、けっこうサンプリングに凝ってたことを今思い出しました。それが1曲目の「レティクル座行超特急」につながった感じで。あと、個人的にはこのレコーディング中に長いこと飼ってた猫が死んじゃって、凹んでいた時期です。あとはなんにも覚えてない(笑)。

橘高 4階のスタジオの隣にある応接室のテレビでみんなゲームやりまくってたね。「ストII」とか。俺はその頃ギター弾いてた思い出しかないけど(笑)。

大槻 その頃ゲームのハードはなんだった?

内田 スーファミだね。

大槻 まだプレステは出てない?

橘高 出てない出てない(初代プレイステーションは1994年12月発売)。

──「ノゾミ・カナエ・タマエ」はその後「望み叶え給え」「望みあるとしても(ノゾミ・カナエ・タマエ完結編)」と続く三部作が発表されましたが、今回の「2024Ver.」のイントロはマイク・オールドフィールドの「Tubular Bells」のオマージュが過去最大に強く感じられました。

橘高 「レティクル~」のときは、もともと俺がイントロを「Tubular Bells」っぽくやってほしいって秦野猛行くんに頼んでやったんだけど、それを今回エディ(三柴理)が弾いたら本物になったという(笑)。そこに内田くんも加わって、2人でやりたい放題やったんだよね。

内田 やっぱ「エクソシスト」の存在は大きいですよ(「Tubular Bells, Part 1」の冒頭部分は1973年12月公開の映画「エクソシスト」のテーマ曲として使用された)。

橘高 我々の世代はトラウマ的にあの音楽と不気味なものがリンクしてるから。さっきの「トワイライト・ゾーン」もだけど、どうしたって逃げられない。あのループの上で大槻くんが物語を歌えば怖いに決まってるじゃんと思って。そういうニュアンスはほかの楽曲でもよく使ってたけど、これが最たるものになってるね。

──このアルバムでヒル夫妻誘拐事件(1961年9月、アメリカ人夫婦がレティクル座の惑星から来たUFOに誘拐された事件)など知った方は多かったと思います。ちなみに大槻さん以外の皆さんはオカルトやUFOをどのように捉えてたんでしょうか?

橘高 そりゃみんな世代が一緒だから大好きに決まってますよ。ただ、横に大槻ケンヂという人物がいるから、逆にその件は語んなくなっちゃうだけで(笑)。

本城 ノストラダムスの予言通り(1999年7月に人類が滅亡するという予言)、絶対死ぬと思ってました(笑)。

橘高 だからロックバンドやってたもんね?

本城 2000年から先の人生設計がまったくなかった。そしたらさらにそこから25年も生き延びちゃった(笑)。

橘高 責任取ってくださいって話だよ(笑)。

本城 でも、おかげでまた別の新たな楽しいことをいっぱい経験できたからいいんですけどね。

本城聡章(G)

本城聡章(G)

大槻 「レティクル~」の頃は僕、オカルトにどハマりして、のべつまくなしにそういう話をしていたから、みんなにウザがられてたよね?

橘高 スタジオの机の上とかソファの周りに、マジでオカルト本しかなかったから。

大槻 すみません!

橘高 あと、東スポね(笑)。

大槻 オカルトハラスメントだね。略してオカハラ(笑)。その頃、僕が熱くオカルトについて話していたら、橘高くんに「それはいろいろある派閥の1つに過ぎない」と言われたんだよね。で、僕は「いや、これが公平な目から見たオカルト的な話なんだ」って言ったけど、今にして思うと橘高くんが正しい!(笑) まあ、ロックミュージシャンがオカルトにハマるのは「あるある」なんだよね。ジミー・ペイジの時代からけっこういるから。

橘高 タロットカードとか黒魔術とかね。

大槻 むしろ日本は少ないから、筋肉少女帯にそういうやつがいたのは面白かったんじゃない?

橘高 アルバム「エリーゼのために」(1992年5月リリース)のとき、大槻くんは「ソウルコックリさん」って曲を書いてきたわけ。なるほど、日本のバンドがオカルトをやるとこうなるのかと感心した。

大槻 考えたらメジャーデビューアルバム(1988年リリースの「仏陀L」)で「イタコ・LOVE」って歌ってるもんね。なんだよ、「イタコ・LOVE」って(笑)。

本城 オカルトとともに歩んだ35年(笑)。

橘高 まあ、オカルト自体の捉え方は時代とともに変わっていったけどね。

大槻 でも、またオカルトブームが来てるらしいよ。知り合いの怪談師の人が言ってたもん。「大槻さん、今の怪談界はバンドブームと同じ状態です!」って(笑)。

公演情報

「ノゾミ・カナエ・タマエ」~デビュー35thファイナル&「レティクル座妄想」発売30周年!

2024年5月13日(月)神奈川県 CLUB CITTA'


「さらば桃子」~デビュー35thファイナル&「レティクル座妄想」発売30周年!

2024年5月31日(金)東京都 LIQUIDROOM


「#筋少の日2024」~筋肉少女帯メジャーデビュー36周年!

2024年6月21日(金)東京都 豊洲PIT

プロフィール

筋肉少女帯(キンニクショウジョタイ)

1982年に中学の同級生だった大槻ケンヂ(Vo)と内田雄一郎(B)によって結成。ナゴムレコードでのインディーズ活動を経て、1988年にアルバム「仏陀L」にてメジャーデビューを果たす。1989年に橘高文彦(G)と本城聡章(G)が加入し、「日本印度化計画」「これでいいのだ」「踊るダメ人間」などの名曲を発表。特に「元祖高木ブー伝説」はチャートトップ10入りを記録し、大きな話題に。大槻による不条理&幻想的な詩世界とテクニカルなメタルサウンドが好評を博すものの、1998年7月のライブをもって活動を“凍結”。各メンバーのソロ活動を経て、2006年末に大槻、内田、橘高、本城の4人で活動を再開する。2015年5月には人間椅子とコラボバンド「筋肉少女帯人間椅子」でシングル「地獄のアロハ」を発表。2024年5月には、メジャーデビュー35周年とアルバム「レティクル座妄想」のリリース30周年を記念した作品「医者にオカルトを止められた男」をリリースした。