筋肉少女帯インタビュー|「レティクル座妄想」から30年、あのとき筋少に何があったのか?

筋肉少女帯の新作「医者にオカルトを止められた男」は、メジャーデビュー35周年と1994年発表のアルバム「レティクル座妄想」のリリース30周年を記念して制作されたシングル。表題曲は「レティクル座妄想」のサイドストーリーとして作詞され、手を握るだけで他人の心が見えるアイドルと、医者にオカルトを止められたマネージャー、そして会場に紛れ込んだ爆弾魔の、握手会でのひと幕が描かれている。

「レティクル座妄想」は“妄想”をテーマに、1枚を通して死への歪んだ憧れや狂気を描いたコンセプチュアルなアルバムだった。筋少の長い歴史の中でも、最も実験的で、最も“病んでいる”と言われている。音楽ナタリーでは今回、メンバー4人に新作の制作エピソードについて聞くとともに、「レティクル座妄想」についてもインタビュー。どのような背景からあのアルバムが生まれたのか、そして30年前に筋少に何があったのかを振り返りながら、今だから話せる当時のことを明かしてもらった。

取材・文 / 秦野邦彦

これは長い長いストーリーの序章

──新曲「医者にオカルトを止められた男」は歌い出しの「サイキックアイドル握手会」から後半の怒涛の展開まで、これぞ筋肉少女帯!と言える1曲です。タイトルは大槻さんが「ムー」の公式サイトおよび「ムー」本誌にて連載中のエッセイと同じですよね。

大槻ケンヂ(Vo) そうです。「医者にオカルトを止められた男」はおいおい書籍化しようと思っていて、“1人タイアップ”じゃないけど、筋少で曲にしたら面白いなとずっと思っていたんです。

──作曲は本城さんですが、制作時はどんなことを考えていましたか?

本城聡章(G) 振り返ればコロナ禍があって、会場でお客さんが声を出せない状態がずっと続いてたので、曲を書くときに「オーディエンスの皆さんと一緒に歌える曲を作りたい」という思いがどんどん強くなっていたんです。それで今回このタイトルを大槻くんから聞いて、じゃあそういう曲を作ってみようと思って、去年の年末のLIQUIDROOMが終わった直後ぐらいから作り始めました。

大槻 まだタイトルはなかったでしょ?

本城 いや、あったよ。

橘高文彦(G) タイトル先行だった。逆に言えば、それだけ(笑)。

本城 で、何曲か作って、その中からこれになったという。前回の「50を過ぎたらバンドはアイドル」と同じやり方ですね。

大槻 当初、僕は「ソフトロックをやりたい」って言ったんだよね。

本城 言ったっけ?(笑)

橘高 まあ、そのようなニュアンスのことは言ってたね。

大槻 いや、ズバリ言ったけど、みんな感覚が違うんだなっていうのがまた面白かったね。

──大槻さんは当初どのようなソフトロックをイメージされてたんですか?

大槻 The Bandの「The Weight」みたいなのを、ずっとやりたくて。

本城 それはけっこう前の話だね。今回その話はしなかったよ。

大槻 したんだけど、まあいいね。「あんまりラウド系じゃないものをやりたい」っていうのは言ったと思う。

──筋少版「The Weight」はぜひ聴いてみたいです。

大槻 ねえ? 僕の中では「ドンマイ酒場」(2019年リリース「LOVE」収録)って曲が、ちょっと「The Weight」を目指して曲を作ったところはあります。……今思い出したけど、「医者にオカルトを止められた男」は歌詞を書くときにすごく悩んで、違うタイトルをいくつか考えてたんです。でも最終的に「医者にオカルトを止められた男」に戻った感じですね。

大槻ケンヂ(Vo)

大槻ケンヂ(Vo)

橘高 1回「サイキックアイドル握手会」ってタイトルにしようとしてたんだよ。

本城 そうそう。

橘高 だけど筋肉少女帯の35周年記念ソングでもあるんで、「ちょっとそのタイトルだとわかりにくい部分もあるからどうかな?」って再考して、最初の「医者にオカルトを止められた男」になったという。35周年だし、このバンドっぽいなということで。

大槻 そうだ。歌詞をよく読むと、主役はこのサイキックアイドルの女の子ではなく、医者にオカルトを止められた男のほうなんだなって思い直したんだ。だからこれは長い長いストーリーの序章で、基本的には医者にオカルトを止められた男のお話なんだけれども、発端はサイキックアイドル握手会から始まる、みたいな気持ちだったかな。楽曲が届いたとき、同じフレーズが何度も繰り返されるから、これは歌詞を聴かせる曲にしたほうがいいんだろうなと僕は思って。それで徹底的にナレーションものにしようと考えて作った経緯がありました。

橘高 あと、これは意図したのかどうか僕はわかんないけど、この物語が果たして現実なのか、それとも男の中だけのものなのかっていうニュアンスが30年前の「レティクル~」ともリンクしてる感じも面白いなと思った。

──歌詞の中にデヴィッド・クローネンバーグ監督の映画「デッドゾーン」(1983年公開)が出てきますね。

大槻 ちょうど歌詞を書く前に、声優の野水伊織さんとホラー映画についてのトークイベントをやりまして。野水さんオススメのホラー映画の中に「デッドゾーン」も入っていて、僕も昔観て大好きだったんでひさしぶりに観直したんです。「デッドゾーン」は手を握ると相手の未来が見えてしまう男の話なんだけど、この人、自伝を書いてサイン会をやることになったら握手を求めてきた読者の未来が全部見えちゃって大変だろうなって。そう思った瞬間、パパババッとこの歌詞ができたんです。ちなみに僕は今、ぴあのサイトで「今のことしか書かないで」というエッセイと小説の中間みたいな連載を持っているんですけど、実はこの歌詞はそれとも「レティクル~」ともつながっていく誇大妄想的な世界観を構築するつもりで書きました。

「トワイライト・ゾーン」のつもりが「木曜スペシャル」に

──レコーディング時のエピソードがあれば、ぜひ聞かせてください。

橘高 個人的にはミックスの段階で、遊び心っていうのかな? 聴いてくれた人へのお楽しみのつもりで、今までの35年の音をサンプリングして、いろいろと想起させるようなことをしてます。よく聴かないとちょっとわかんないんだけど。

内田雄一郎(B) 「レティクル~」的なね。

橘高 そうだね。あのアルバムでも最後にそれをやったんだけど、35年後の曲でもまた同じようなテイストの遊びをやっているっていうところに、ちょっとニヤッとしてもらいたい。何曲分見つかったかクイズやりたいぐらい(笑)。おそらくメンバーも全部はわかんないんじゃないかな。

内田 たぶんメンバーにも当てられないね。

大槻 「蜘蛛の糸」の笑い袋(ボタンを押すと録音された笑い声が再生される、70年代に流行ったジョークグッズ)の声が入ってたのはわかった。なるほどと思った。

橘高 たまたまだけど、あの笑い声がちょうどこの物語に出てくるサイキックアイドルの狂気感とか、会場が混乱で飽和していくタイミングで出てくるのもうまいこと重なって。「これは今いい方向に流れてるぞ」ってスタジオにいて感じて、個人的にとてもうれしかった。あと、普通こういうシンガロングするサビが繰り返される曲は1番で聞いた歌詞を2番以降みんなで歌うのが王道なんだけど、そのサビでストーリーテラーが語りまくる(笑)。それもまた象徴的だし、過去から現在までブレずにつながってきたバンドなんだなと思った。

大槻 全然違う歌詞でシンガロングするバージョンも考えたんだけどね。

──冒頭に入っている音は「木曜スペシャル」(1973年から1994年まで日本テレビ系で放送された特別番組枠)のUFO特集のジングルを彷彿とさせますね。

橘高 もともと俺は「トワイライト・ゾーン」(アメリカで1959年から1964年まで放送されたSFテレビドラマシリーズ)のテーマをギター5本ぐらい重ねて、アルペジオを逆回転して作ってたんです。

内田 「トワイライト・ゾーン」だったんだ!

内田雄一郎(B)

内田雄一郎(B)

橘高 でもこれちょっと弱いなと思って内田くんに投げたら、内田くんは「木曜スペシャル」を持ってきたという。俺と内田くんのオカルト的なものの捉え方のミックス。

大槻 「トワイライト・ゾーン」と「木曜スペシャル」の合体なんていうのはありそうでなかったやつだね(※「木曜スペシャル」のジングルも同じく「トワイライト・ゾーン」メインタイトルのアウトロ部分をアレンジしたもの。原曲はバディー・モロー「Twilight Zone」)。

橘高 それをやるのが我々の使命。

内田 お互い気が付いてなかった。

橘高 これが筋少だね。お互いがそうだと信じ込んで、それぞれ完成を目指してポンと出したときに何物でもないものになってる。35年目にもこれができたっていうのは面白いね。

大槻 歌詞に登場するサイキックアイドルはまだ若いから「トワイライト・ゾーン」も「木曜スペシャル」も知ってるはずがないわけですよ。だから、やはりこの物語の主役は、それを知ってる世代である「医者にオカルトを止められた男」なんだね。

──昨年は筋少メジャーデビュー35周年と同時に、昭和オカルト50周年の年もあったんです。

大槻 それは何から数えて50年?

──ベストセラーになった五島勉の「ノストラダムスの大予言」、映画化もされた小松左京の「日本沈没」など、1973年から始まってるんです。

内田 「エクソシスト」(1973年公開)もそうだ。

──そういう意味でも、皆さんと同じように年を重ねてこられたファンの記憶を喚起させられる要素が詰まった楽曲ですね。

橘高 および、我々の使命としてはそれを知らなかった人たちの「なんだろう?」という興味のツボを押すことだよね。我々もそうだったじゃない? 洋楽もそうだけど、お兄さんたちが興奮してたものを聴くところから入って今に至ってるから。