大槻ケンヂと内田雄一郎が高校進学を機に筋肉少女帯(当時の名前は筋肉少年少女隊)を結成してから、今年で40周年を迎えた。11月9日にリリースされる「いくぢなし(ナゴムver.サイズ)」は、このアニバーサリーイヤーを記念して制作されたシングルだ。
収録されるのはいずれも、彼らがキャリアの初期に発表した楽曲を新録したもの。有頂天のケラ(現・KERA)が主宰するナゴムレコードより1985年に発売された筋少の1stアルバム「とろろの脳髄伝説」から「いくぢなし」と、大槻、内田、ケラの3人によるユニット・空手バカボンの楽曲「KEEP CHEEP TRICK」「7年殺し」という初期衝動により生み出された3曲が、ベテランとなった現在の筋少メンバーによってリメイクされている。
本作が発売されることを受けて、この記事ではメンバー4人に1980年代の話題を中心としたインタビューを実施。各収録曲について解説してもらいつつ、大槻、内田、本城聡章のナゴム期のメンバーは当時どんなことを考えながら活動し、その頃のことを今どう思っているのか、そしてメジャーデビュー後に加入した橘高文彦はナゴム時代の筋少を外部からどのように見ていたのかを聞いた。バンドシーンのみならずサブカルチャー全般に多大な影響を与えた筋少が始まった時期の、貴重な証言をとくとご覧あれ。
取材・文 / 秦野邦彦
若くてぶっ飛んでるやつって誰だろう?それは10代から20代前半までの筋肉少女帯だ
──80年代の筋肉少女帯をリアルタイムで知る者として今作に圧倒されました。ナゴムレコード時代の曲をセルフカバーしようという話は皆さんの中でどんなふうに進んでいったのでしょうか。
橘高文彦(G) 今年は結成40周年だから何かお祭り的なことをやれば我々もファンの皆さんも楽しいよねってことで、まずは今年最初のライブを結成40周年のお祝いとしてやりましょうと(2022年5月12日に神奈川・CLUB CITTA'で開催された「祝!筋少結成40周年記念ライブ」)。その映像が付属のDVDに収録されてるんですけれども、加えて40周年にふさわしい新録音源も記念作品として出そうよってことになったんです。
大槻ケンヂ(Vo) セルフカバーはこれまでもいろいろやってきたので、少し範囲を広げてほかのアーティストに提供した曲とかいいんじゃないかという話をしている中、若い表現者とのコラボというアイデアを僕は考えたんです。じゃあ若くてぶっ飛んでるやつって誰だろうと考えたとき、「それは10代から20代前半までの筋肉少女帯だ。あいつらとコラボできたら面白いんじゃないかな」と思いまして。あと、個人的にポエトリーリーディングに近年興味があって、「いくぢなし」は非常にその要素が強い曲なので、やろうってことになった感じですね。
──空手バカボンの楽曲がピックアップされたのは意外でした。
大槻 これだけ年数が過ぎると、“若い頃に作った曲”ってことで筋少も空バカもあまり変わりないですから。「KEEP CHEEP TRICK」も「7年殺し」もリード曲的なものではなかったんですけど、そういうのをやるのが逆に面白いんじゃないかと僕なんかは思いましたね。
橘高 ナゴム時代の筋少と空バカの活動が今につながってるのは横から見ていてもわかっていたから、大槻くん、内田くんの色濃い血の部分を40周年でやるのは、とてもお祭り的でいいことだと思います。
いくぢなし(ナゴムver.サイズ)
オリジナル:筋肉少女帯「とろろの脳髄伝説」(1985年)
──「いくぢなし」は橘高さん、本城さんが参加していないメジャー2ndアルバム「SISTER STRAWBERRY」(1988年)でも再録されています。「シスべリ」バージョンは9分を越える大作でしたが、今回は“ナゴムver.サイズ”ということで4分に凝縮されています。
橘高 このメンバーでも「シスべリ」バージョンをベースに幾度となくライブで演奏してきたんです。筋少の曲の中でも「いくぢなし」は特にインプロビゼーションの塊で、長いときは20分弱やったこともあるぐらいで。ただ、今回はナゴムバージョンとして改めてトライするわけですから、俺と本城くんの立ち位置としては「内田くんが新曲を持ってきたと」いう感覚でしたね。
本城聡章(G) 僕は「いくぢなし」以外の2曲は今回初めて聴いたんですよ。「いくぢなし」もナゴムバージョンは断片しか憶えてなかったので、今回の3曲はまず内田くんにベーシックのアレンジをやってもらうのが一番いいと思って、お任せするところからスタートしたんです。とりあえず原曲を聴かずに内田くんが作ってきたデモテープを聴いて、新曲にトライする気持ちで。すごく新鮮で、懐かしさとか一切ない状態でレコーディングに入った感じですね。あとで原曲を聴いたら80年代の世界観に圧倒されました。
──「いくぢなし」はドテチンズ(大槻、内田が中学生のときに結成したバンド)の頃からあったことを考えると(当時のタイトルは「空手チョップは負けないぞ」)、まさに筋肉少女帯の原点と言える曲ですね。
内田雄一郎(B) 中学の頃のドテチンズから詞も曲もどんどん変わっていって、最終的に「シスべリ」バージョンまで広がっていったんですけど、その中間の状態というか、一応の完成形がナゴムバージョンですね。
大槻 「とろろの脳髄伝説」を作ってるときは、おいちゃん(本城)がメンバーにいたんだよね。
内田 「いくぢなし」を作ってアレンジして「とろろの脳髄伝説」が出る前に辞めちゃった。
本城 そうみたいですね。あんまり憶えてなくて。
大槻 どこでどう作ったか憶えてる?
内田 エピキュラスのスタジオでみんなでジャムりながら作ってたのはなんとなく憶えてる。全然曲になってなかったから形にしていこうって。で、エディ(三柴理。当時は三柴江戸蔵)もいたかな?
本城 いたんじゃないかな。僕が辞める直前だと。
内田 でも、ずっとゲスト参加だったんだよね。なぜか。
本城 僕がエディを連れてきたんだよね。「筋少入んない?」って。
内田 それで自分が辞めちゃった(笑)。だからナゴムバージョンにもおいちゃんが作ったところがあったんだよね。
本城 らしいんですけど、全然憶えてなくて(笑)。
内田 「とろろの脳髄伝説」には「マタンゴ」も入ってるんですけど、それまでの「マタンゴ」はものすごくテンポが遅くて、「うろこの顔」ってタイトルだったんです。
本城 そうそう。ポジティブパンクを意識したダークな曲だった。
内田 それをハードコアパンクにしようってことで「マタンゴ」になったんです。僕はそこが筋少のターニングポイントだと思っていて。それまでの下手くそな高校生バンドから脱皮した状態が刻まれてます。
──「いくぢなし」の歌詞は当時から独特な世界観が確立されていて、非常に完成度が高かったです。
大槻 さすがにドテチンズのときはいかがなものかと思いますけど(笑)、「とろろの脳髄伝説」の「いくぢなし」に関しては僕は相当なもんだと思いますよ。日本のロック史に残りうるエポックメイキングな曲。結局「ロックだ」「パンクだ」と言っても最終的には社会の歯車として終わってしまうんじゃないかという若者の不安感と、そうなってしまった人へのマウンティング。でも、実際は自分自身がやがて世俗にまみれてしまうんじゃないかという、もう1回ひっくり返った恐怖を歌詞に紡いでいて、こんな歌詞書けるやつはすごい! 天才です。僕が現国の先生だったら逆に畏れるなあ、こんなの書いてくる生徒がいたら。「70年代だったら寺山修司のとこ行ってたかもしれないが、お前は生まれた時代を間違えた!」って0点以下をつけると思います。だけど、最近のボカロとか若い歌い手さんの曲の歌詞を読むと、かなりこの「いくぢなし」みたいなことを歌ってますよね。
──それはすごく感じます。
大槻 そういうものの元祖だと思いますよ。特にボカロは機械が歌うから信じられない数の言葉が入ってるんですよね。言いたいことをいっぱい詰めるのは今の人も昭和の若者も変わらないんだなって。歌詞の世界観も僕から見ると筋少とクロスするところが増えてきてるし、こういう気持ちっていうのは普遍的なんだなと思います。特に「いくぢなし」なんて、世代を超えてグッとくる人がたくさんいるんじゃないかな。
内田 「とろろの脳髄伝説」の「いくぢなし」は青春の一夜のパーティで生まれた曲みたいな感じで、今さらいじれないから当時のままみんなにやってもらおうと思ったんです。そのとき、これは「犬神家の一族」(1976年に公開され、2006年にリメイクされた映画)だと思いまして。市川崑監督が同じシナリオ、同じ役者で30年後に撮ったように、ほぼそのままのアレンジでデモを作ったら、みんなどう出るかなって。
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KEEP CHEEP TRICK / 7年殺し