耳で楽しむ「王様戦隊キングオージャー」|あの最終決戦の音楽面をタカハシヒョウリが徹底解説 (2/2)

第49話の壮大なフィルムスコアリングを徹底解説

さて、「キングオージャー」の音楽の白眉となるのは、最終決戦を描いた49話「王はここにいる」である。

まずこの49話(続く最終話も)、冒頭にオープニング曲が入らない。これだけなら、情報量が増え連作になりがちなシリーズ最終盤ではよくあることなのだが、なんと49話放送時には本編の間にCMすら入らなかった。「そんなこと可能なの!?」と思うのだが、番組のお約束を徹底的に排除してまで、壮大な物語の最終盤をシームレスに構成している。

そして49話(続く最終話の一部も)については、劇伴に関しても特筆すべき点がある。それは、劇伴のほとんどが「フィルムスコアリング」で制作されている点だ。フィルムスコアリングというのは、できあがった映像に対してあとから音楽を付けていくという、映画制作の現場でよく使われる手法だ。先に必要な劇伴を発注して、それを場面ごとに当てはめていくことが多いテレビシリーズではなかなか採用されることはない。当然、スケジュール的にも作業的にも手間がかかる手法だ。

フィルムスコアリングで制作されたという49話の音楽を時系列に沿って追ってみよう。


(※ここから特にネタバレ要素を含むのでご注意ください)

49話は、絶望的な状況から始まる。6人の王の思惑は外れ、各国の民を乗せてチキューを脱出したはずのコーカサスカブト城は墜落する。

絶望に打ちひしがれ慟哭するギラ、宇蟲王ダグデドの前に倒れた仲間たち。この冒頭からの約4分間はBGMが一切使われず、絶望感を際立てる。

ここで静かにストリングスとピアノが鳴り始め、倒れたヒメノを何者かが抱き起こす。

「王に背き邪悪なる意志を抱く者たち(W-01)」の静かな盛り上がりに合わせ、次第に死んだはずの国民たちが王のもとに集ってくる。

このあたりの、映像とシンクロした盛り上がりは、まさにフィルムスコアリングの効果が発揮されているシーンと言えるだろう。

次第に音楽は力強さを増し、ラクレス(※2)による「王に背く、邪悪なる意志を持つ者は集え」「共に王を救うぞ!」という力強い演説に合わせ、第一のピークを迎える。そして「戦闘準備」とも言えるような“溜め”のパートに突入し、6王国の民たち全員がズラッと並んだ突撃寸前のところで「W-01」は終わる。ここまで約6分間、途切れることなくすべての展開が1曲に詰め込まれている。

一瞬のブレイクののち、「行くぞ、反逆者ども」のセリフとともに勇壮な「チキュー最大の決戦(W-02)」をバックに全軍突撃開始。勇ましい戦闘曲だが、宇蟲王ダグデドの圧倒的な力の前に劣勢になるにつれ、音楽も不穏な展開へとなだれ込んでいき、ギラの窮地に緊迫感のあるコーラスがクロスする。

その瞬間、死の国ハーカバーカからの援軍がギラの窮地を救う。直前の不穏なコーラスから一転、希望に満ちたコーラスとメロディの「死の国からの愛しい人々(W-03)」が予想外の救援の登場を印象付ける。ここの冒頭のコーラスをサントラと聴き比べると、映像ではフェードイン加工がされているのがわかるが、ギラの驚きが次第に膨らんでゆく様子にマッチしている。さらに「W-03」は、前期の敵役を務めたデズナラク8世(※3)の登場に合わせて重厚な男性コーラスへと変化してゆく。ギラとデズナラクの共闘カットに曲の第一のピークが重なり、ジェラミー(※4)とその母・ネフィラの再会シーンというインターバルをはさみ、ネフィラの戦闘シーン、ハーカバーカからの懐かしい顔ぶれとの再会と、音楽は次々に表情を変えてゆく。そして前王であるカーラスとイロキ(※5)の王鎧武装で第二のピーク! ここまでで、約5分間の「W-03」が終わる。

王鎧武装した前王2人を殿(しんがり)に、開始される反撃に合わさるのはヒロイックな「永遠に繋がっていく命(W-04)」。ただの前のめりな戦闘曲ではない、どこか悲壮感が漂う楽曲からも、これが特別な戦いだと伝わってくる。キングオージャーの面々が食事をするほのぼのシーンに合わせ楽曲もクールダウンし(ここの音楽、難しかったんじゃないかな……!と想像)、初代シュゴッダム国王ライニオールの登場を告げる威厳あるコーラス、楽曲は最大の盛り上がりを見せる。劇伴は「命の繋がり」に思いを馳せる6人に合わせ静かに終わりを告げる……と思いきや、最後に主題歌「全力キング」である。最終話の戦いへと臨む姿に、「勝つぜ、反逆者どもの子供よ」という歌詞が完全にシンクロする。この49話、「全力キング」以外のすべての劇伴がフィルムスコアリングで制作された新曲である。

フィルムスコアリングならではの難しさとは

「キングオージャー」49話のフィルムスコアリングでは、ある程度完成形になった編集映像を観ながら、上堀内佳寿也監督と選曲の宮葉さん、作曲の坂部剛さんで楽曲の方向性を決め、上がってきた楽曲をMA(音声を仕上げる作業)現場でさらに編集して完成させたそうだ。楽曲がすべて出そろったのはMAの直前で、さらに現場でバランスやタイミングの編集を行ったとのことで、限界ギリギリまで突き詰めたであろうことが想像できる。

このお話を聞いた際に、選曲の宮葉さんがフィルムスコアリングならではの難しさについて興味深いことをおっしゃっていたので、そちらもぜひ書いておきたい。スーパー戦隊シリーズ劇場版でもフィルムスコアリングを採用する機会があるそうだが、その際に「曲の盛り上がりと効果音のバランス」が難しいのだという。フィルムスコアリングでは、映像と音楽の盛り上がりをシンクロできるという効果が得られるのだが、盛り上がるシーンというのは効果音も盛り上がっているわけで、音楽のアクセントと効果音が重なると相殺してしまうのだ。そこでMAの段階で、音楽のアクセントと効果音のタイミングをずらす作業をして、お互いが殺し合わないように調整するそう。これぞ選曲歴33年、「鳥人戦隊ジェットマン」(1991年2月~1992年2月放送)からスーパー戦隊に携わっているプロの技である。ちょっと、そのあたりも意識して49話を見直してみるのも面白いかもしれない。

49話の音楽について、視聴時には「フィルムスコアリングだからどうだ」とか「音楽が突出して印象的」ということを、実は感じなかった。それは思い返してみると、ストーリーに溶け合いシンクロしていたために、むしろ音楽単体に意識がいかなかったのだ。だけど、それって劇伴としては超素晴らしいことだ。音楽が映像と一体になり、ただドラマの高まりに貢献しているというのは、劇伴として最大の効果を発揮しているということなのだから。

もちろんフィルムスコアリングなら何もかも偉いというわけではなく、テレビシリーズの「おなじみの曲がおなじみのタイミングで流れる」快感というのもあるだろう。だが「キングオージャー」が劇場作品のようなフィルムスコアリングに挑み、49話をひとつの壮大な抒情詩として完成させたことは、ファンタジー世界を描き切ってみせるという難題に挑戦した「キングオージャー」の「志の高さ」にまさにジャストフィットの気高い挑戦として記憶されるべきだろう。既成の概念に抗って新たな道を模索する、その姿はまさに「反逆者ども」だ。


(※2)本名:ラクレス・ハスティー。シュゴッダムの元国王で、弟であるギラに倒され失脚。在位中は独裁政治で他国を服従させチキュー統一を目論んでいたが、その真の目的はダグデドを討伐することだった。オオクワガタオージャーに王鎧武装する。

(※3)地帝国バグナラクを治める悪の王。人類を憎悪し、五大国に侵攻した。物語前半ではラスボス的な存在だった。

(※4)本名:ジェラミー・イドモナラク・ネ・ブラシエリ。スパイダークモノスに王鎧武装する。2000年前に人類を救った6人目の英雄である人間の父親と、バグナラクである母親の間に生まれ、“語り部”としてチキューの歴史を伝承してきた。人間とバグナラクの戦いを止めるため、デズナラク8世の遺志を継いでバグナラクの王となる。

(※5)カーラスはゴッカンの前国王兼最高裁判長、イロキはトウフの先代女王殿。カーラスは宇蟲五道化に殺害され、イロキはチキューに甚大な被害をもたらした災厄「神の怒り」の際に民衆の反乱によって命を落とした。

著者プロフィール

タカハシヒョウリ

4人組ロックバンド・オワリカラや、特撮リスペクトバンド・科楽特奏隊のボーカル&ギター。女性アイドルグループ・開歌-かいか-や、大槻ケンヂのソロプロジェクト・大槻ケンヂミステリ文庫への楽曲提供も行う。サブカルチャー全般、特に特撮への造詣が深く、文筆家として雑誌やWebメディアでコラムなどの執筆活動を行っている。