木梨憲武がニューアルバム「木梨ソウル」を10月30日にリリースした。木梨といえば日本の芸能界を代表するコメディアンであり人脈も幅広く、本作にもAK-69、CHEHON、RED SPIDERからAIや松下洸平まで、さまざまなジャンルのアーティストたちがこぞって参加している。また木梨といえば、日本のバラエティ番組にカルチャーを取り込んでいた人物でもある。今回のインタビューではアルバムの話題に加えて、彼の1980年代後半の夜遊びにフォーカス。木梨の人脈がどのように築かれ、彼は何を感じ取っていたかを聞いた。
取材・文 / 宮崎敬太撮影 / 佐野和樹
「どんな音楽もソウルの魂でやればいい」
──ニューアルバム「木梨ソウル」を聴かせていただきました。
どうだった? おじさんのソウルは。
──サウンド的にソウルやR&Bだけでなく、レゲエやダンスホール、スカもあれば、和のソウルもあり、タイトルにふさわしい内容だと思いました。
「どんな音楽もソウルの魂でやればいいんじゃないか」って解釈の作品です。意図的にジャンルをあんまり狭めないで作りました。
──自分は完全にとんねるず世代なので、木梨さんのおしゃれな遊び人感が出ているところがすごくカッコいいと思いました。ちょっと意外だったのが、6曲目の「パトロール」。自分は1980年代半ば~後半の遊び人は麻布や六本木にいると思っていたので「中目黒」とシャウトしていたのが意外でした。
あの頃の僕らは中目黒から六本木に行ったり、新宿に行ったり、芝浦に行ったりしてたんです。SNSはもちろん携帯電話もない時代でしょ。だから集合してからみんなで遊びに出かけてた。中目が拠点、基地みたいな感じ。この曲はたまたまLDHのスタジオでレコーディングしたんで、外の景色を眺めてたらいろいろ思い出しちゃったんです。
──僕はまだ小学生だったので、当時のクラブの雰囲気がわからないんですよね。
あの頃はクラブって言ったら、お姉ちゃんがいる銀座のお店だったんです。今みんなが使ってる“クラブ”ってネーミングはまだなくて。ニュアンス的に近いのはディスコかなあ。当時はマハラジャ、ゴールド、キング&クイーン、トゥーリア……都内各地にいろんなお店がありました。「今日はどこそこのVIPルームに誰々がいるらしい」って噂が入ってくるとみんなでパトロールにしにいくんです。
──だから「パトロール」というタイトルなんですね(笑)。
でもお店にいるのは5~10分だけ。1杯だけ飲んで帰る、みたいな遊び方。よく行くから従業員さんとも友達で。お金を払おうとしても受け取ってくれない。居座ることもあまりしなかった記憶がありますね。あとは新宿とか麻布十番とか。バーもいろいろ行きました。青春時代ですよ(笑)。
夜遊びから刺激を受けて
──木梨さんは90年代のバラエティ番組でG-FUNKの帝王みたいな服を着ていて、それがすごく印象に残っていたんですが、大人になって木梨さんがブラックカルチャーを愛していたんだなと気が付きました。
それは先輩からの影響ですね。バブルガム・ブラザーズのコンちゃん(Bro.KORN)とか、鈴木雅之さんとか。アパレルの人たちも周りにたくさんいましたから。どこが流行ってて、何が一番カッコいいのか、どういう遊び方をするのか、みたいな。僕らは意外とナンパとかはしてなくて、硬派なお酒の飲み方をしてたと思いますよ。
──失礼かもしれませんが、ものすごく意外です。
失礼だよ(笑)。でもリアルタイムであの頃のテレビを観てたら、僕らはナンパっぽく見えちゃうよね。実際は女子には目もくれない感じでした。というのも、先輩たちがカッコいいものをいっぱい教えてくれてたからです。ソウルはもちろん、ダンス、サーフィン、グラフィティアートとかですよね。
──それこそインターネットがない時代だから、海外の最新カルチャーなんて自分で見に行くか、人伝に教えてもらうしかないですもんね。
そうそう。僕も夜遊びからすごく刺激を受けて、テレビで何かできないかって生まれたのが「とんねるずのみなさんのおかげです」の「SOUL TUNNELS」ってコーナー。たぶん今観れば普通に理解してもらえると思うけど、もろ「SOUL TRAIN」(1971年~2006年に放送されたアメリカのソウル・ダンス音楽番組)へのオマージュなんですよ。あれは先輩の影響です。ディスコでダンサーの仲間たちがチャチャを踊ったりするのを僕はキョロキョロ見て、「こういうステップがあるんだ……」って勉強したり。
──「みなさんのおかげです」は21時台に放送されてましたよね。改めてすごい時代だったんだなあ。
今は今で楽しいけどね。それこそ当時のお友達の流れは今も広がり続けてますから。
──今作には木梨さんより若いアーティストたちが参加されてますもんね。
AK-69とかCHEHONも「みなさんのおかげです」を子供の頃に観てくれてた世代でさ。もともとは知り合いじゃなかったんですよ。でもカッコいいし、こっちから連絡して話してみたら「最初に買ったCDはとんねるずの『ガラガラヘビがやってくる』でした」とか言ってくれて。じゃあ話は早いじゃない。「曲書いて」って(笑)。
──木梨さんのアルバムだと思って「木梨ソウル」を再生したら、いきなりAKさんが歌い上げていてびっくりしました。
字数が多いから歌詞が覚えらんないし(笑)。AKに書いてもらって、僕はメロディのところに参加させてもらってます。2曲目の「No Pain No Gain」もCHEHONとREDSPIDERの曲だから。みんなに僕がフィーチャリングされてるんです。
──ちょっと話を戻しますが、1stアルバム「木梨ファンク~NORI NORI NO-RI~」に収録された「GG STAND UP!! feat. 松本孝弘」のミュージックビデオに菊池武夫さんが参加されていますね。菊池さんは日本でファッションとカルチャーをつないだキーマンですが、木梨さんは菊池さんからどのような影響を受けましたか?
僕が話すのは恐れ多いですよ。偉大な方です。今僕のスタイリングをしてくれてるが大久保(篤志)さんなんですけど、野口強とか馬場(圭介)ちゃんとかはみんな当時からの知り合いなんです。僕は芝浦のゴールドに毎日のように通ってて、今じゃKENZOをやってるNIGOくんが“藤原ヒロシ2号”としてお手伝いしてた時期ですね。そういう若者を引っ張ってくれていたのが菊池さんというイメージですね。音楽の横にファッションがあるっていう。
──MVへの出演はどんな経緯で?
菊池さんは大久保さんの師匠なんです。僕自身も菊池さんの服を普段からよく着させてもらっているから「MVに出ていただけませんか?」とお声がけさせてもらったんです。そしたら「喜んで」とおっしゃってくださって。本当にうれしかったです。こういうつながりこそが僕の財産なんです。先輩が元気でいてくださるとうれしいし、さっき話したAKやCHEHON、RED SPIDERみたいな下の世代の仲間たちもどんどん増えていきますし。
──木梨さんは現在もかなりアクティブなんですか?
昔みたいな夜遊びはしませんけど、家でゆっくりはしてないですね。さすがに家族にはいつも怒られてます(笑)。ミュージシャン活動以外にもアートとかいろんなことをやらせてもらっているので、とりあえず盛り上がってそうなとこに顔を出して、いつも「なになになに? 何が起こってるの?」っていろんなことを教えてもらっています。自分が関わってもよさそうなことなら、さらに深く入っていきますね。
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歌謡曲世代がプロデュースしたソウルミュージック