西中島きなこがバンドTHEハオルチアオブツーサを結成。3月22日より3週連続で新曲「Matching Spacy」「Sweet Dreams」「Chinese Session」を配信リリースした。
宅録を中心とした創作活動をベースに、2020年まではソロプロジェクトを通して多数の音源を発表してきた西中島は、2020年の西中島きなこandういーどアイランド結成以降、西中島きなこandハオルチアオブツーサ、バンドTHEハオルチアオブツーサなど、複合的な展開を見せている。ソロとして楽曲を発表しながら、ユニットやバンドとしての活動を充実化させてきた。宅録アーティストとして活動を始めた彼がユニットやバンドを組んで活動するようになったきっかけはなんだったのか? 音楽ナタリーでは西中島へのインタビューを実施。彼の表現欲求がどのように変化し、これまでは避けていたという“バンド結成”という結論にたどりついたのか、その思考の変遷を追う。
取材・文 / 石橋果奈
普段の僕とは違う創作の冒険を
──音楽ナタリーでは、2019年9月以来約3年5カ月ぶりのインタビューです。2019年の西中島さんは毎週音源を配信しており、かなり多作な時期でした。そこから数年が経ち、最近の西中島さんの活動はコラボワークやプロデュースワークを含めたかなり複合的なものになりつつありますが、コラボやプロデュースにも軸足を広げたきっかけはなんだったんでしょうか?
2020年の4月に鎮座DOPENESSさん、8ottoのマエノソノマサキさん、モーモールルギャバンのゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)くんを招いてチャリティライブイベントを企画していたんですが、新型コロナウイルスの影響により会場から開催NGが出てしまい、結局このイベントが中止になってしまったんです。ものすごく楽しみにしていたイベントだったので、なかなかモチベーションを回復することができなかったんですけど、その時期にたまたま「出れんの!?スパソニ!?」(「SUMMER SONIC」に変わる音楽フェス「SUPERSONIC」への出演権を懸けたオーディション)の記事を目にして、締め切りギリギリだったんですが急いでエントリーして。「出れんの!?スパソニ!?」に興味を持った一番の理由は、僕の地元である大阪の会場でライブをさせてもらえることでした。チャリティライブが中止になって沈んでいた自分を持ち上げるひとつの重要な手段だと思い、「西中島きなこandういーどアイランド」というユニットで参加することにしました。
──なぜソロではなく、ユニットとしてオーディションに参加したのでしょうか?
「FUJI ROCK FESTIVAL」の「ROOKIE A GO-GO」や「出れんの!?サマソニ!?」といえば、いい感じの新人バンドが輩出されているイメージがあったからですね。ただ僕は新人じゃないし、とりあえず遊びのノリでエントリーだけしてみようと思い、一緒にレーベルを運営しているスタッフと母を誘って応募してみました。応募用のアー写も、近所の高架下で適当に撮影したものなんですよ。
──ユニット名の「ういーど」はヒップホップ界隈のスラングですよね。
ういーどアイランドという名前を付けた時点で、ヒップホップを軸にしようと考えていました。普段の僕がアウトプットする表現とは違う創作の冒険を、ういーどアイランドで試したくなって。より自由度の高いアプローチ方法として、ヒップホップを選択してみました。ヒップホップといえば、少し悪そうなクルーがラッパーの周りにいるイメージが僕の中であったので、レーベルスタッフと母には特に何をするわけでもなく「ういーどアイランド」というクルーとして、ただ存在してもらうことにして。
──結果として、西中島きなこandういーどアイランドは最終審査まで駒を進めることになります。
2次審査が投票制のオーディションだったのですが、僕はそのシステムがどうしても好きになれず、SNSで投票を呼びかけるようなことは、ほとんどしませんでした。ユーザーによる投票と、審査員のジャッジによって最終審査に進出するアーティストが選出されたので、きっと僕らは審査員の方に評価してもらえたんだと思います。それがすごくうれしくて、一気に「スパソニ」への本気度が急上昇して。でも「スパソニ」の開催も新型コロナウイルスの影響で中止になってしまい、残ったのはエントリーの際に作った「西中島きなこandういーどアイランド」というユニットだけになってしまい……。だったらコロナ禍で人と会えない時期だからこそ、仲間とのつながりを今まで以上に重要視した活動をしてみようと思い、ソロからユニットとしての活動、プロデュースワークなどに範囲を広げたのだと思います。
──西中島きなこandういーどアイランドとしての活動は「スパソニ」後も続いていますよね。
「スパソニ」が中止になった時点で、初期メンバーの形はリセットしました。そこからよいまつり、有頂天まも、□□□に“契約社員”として参加している山本笑という3人の女性に声をかけて。みんなソロ活動でつながりがあり、信頼している人たちなので、形にするのはスムーズでした。実は、「出れんの!?スパソニ!?」は、2020年のファイナリストに次回のシード権が与えられる約束だったので、そのライブのために新しいういーどアイランドを作ったんです。でも、運営さんの都合でシード権の話がなくなってしまって。運営さんに抗議もしたのですが、最終的にはメンバーと相談して「スパソニ」を辞退しました。
──そうだったのですね。
でも、ういーどアイランドは配信シングル曲「パキッパキ」がApple Musicのヒップホップ公式プレイリストに入るという結果を残せましたし、ライブもできたのでいい思い出です。もしかしたら、また1回きりのライブで復活するかもしれません。また、ういーどアイランドのメンバーとしても活動してくれた有頂天まもに関しては、二人三脚で作ったアルバム「有頂天まも」の収録曲のすべてがApple Music公式プレイリストに選曲されました。そのことは、僕の中でかなり大きな手応えになりました。
ディープな部分には嘘がない
──ういーどアイランドと同時期に、ソロでも“ヒップホップの表現者”として活動することを発表しました。そもそも、西中島さんがヒップホップに興味を抱いたきっかけは?
かなり昔に少しだけビクター(エンタテインメント)のスタッフと関わっていた時期があり、そのときにもらった2パックのサンプル盤を聴いて、ヒップホップへの興味が強くなったような気がします。日本のラッパーさんだと、5lackさんやTHA BLUE HERBのBOSS(ILL-BOSSTINO)さんが特に好きです。失礼な話なのですが、最初は日本語ラップにあまりカッコいい印象がありませんでした。でもサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんがPSGとコラボしている曲を聴いたときに、5lackさんのフロウがいいなと思い、そこからソロ音源をいろいろと聴かせていただきました。自分にしか出せないヒップホップをされているところと、素晴らしい音楽センスに魅力を感じています。ゆるい雰囲気も大好きです。
──THA BLUE HERBについては、どういう経緯で好きになったんですか?
もともとは、くるりのイベント「百鬼夜行」で名前を知りました。クラムボンとのコラボ曲「あかり from HERE ~NO MUSIC, NO LIFE.~」をきっかけに興味を持ち始めて、いろんな曲を聴くようになりました。トラックのオリジナリティや、BOSSさんの声質とメッセージには、胡散臭い感じがなくて好きです。THA BLUE HERBとして独特のスタイルを構築し、地元から唯一無二の発信をしているところに魅力を感じます。
──そこから西中島さんの表現がヒップホップに傾いていったのはなぜでしょう?
ヒップホップという音楽ジャンルを自分なりに研究することが、自分の中で刺激になったからです。まずはラップを乗せやすいトラックの組み立て方やビートを考えて、そこからさまざまなフロウを試し、どういった形が自分にフィットするのかを試行錯誤しました。自分の中ではまだまだ発展途上ですし、リリックやトラックによって表現の仕方は変わっていくと思います。それと、僕は日本語ラップに、より自由な魅力を感じるんですよね。制作していると、歌モノだとなかなか歌詞にしないようなリリックが自然と浮かんでくるんです。
──2022年には、“自分流の濃厚なヒップホップ作品”としてソロアルバム「2022」をリリースしました。コラボを多数展開する中で、ソロ名義の音楽はご自身の中でどんな立ち位置にありますか?
コラボレーションは、基本的にきれいな世界観が多い気がします。僕は京都の花見小路など、上品で風情のある街の世界観が好きなのですが、大阪の西成にあるあいりん地区のディープな空気感も好きなんです。ユニットやコラボ曲が花見小路なら、ソロ活動での表現は、西成のようなイメージになりつつあります。
──西中島さんはこれまでも西成など、ディープな方向に寄った表現をしてきました。西中島さんにとって、改めて西成の魅力とは?
西成には、いろんな人間を受け入れてくれる寛大さがあります。許してくれているというか、「お前はそれでいいんだよ、大丈夫だよ」と言ってもらえている気分になれる街です。華やかでキラキラとした世界にあまり魅力を感じないのと、ディープな部分には嘘がない気がするので、それを表現したくなるのかもしれません。音楽においても、キャッチーでわかりやすい商業的なアーティストよりも、どこかクセがあって自分のやりたい世界観を貫いているアーティストに魅力を感じます。とは言っても、NiziUとか村方乃々佳ちゃんとか、キャッチーな音楽も好きですけどね。売れたいならわかりやすい恋愛ソングを作ったほうがいいのかもしれませんが、それを自分がやる必要はないのかなと思います。
──西中島さんは西成でチャリティイベントを開催したり、「子供食堂でライブをしたい」と語っていたりと、社会貢献活動にも積極的です。そういった活動に対する思いの根源は、どんなところにあるのでしょうか?
僕は経済的に裕福な家庭環境で育ったわけじゃないし、マイノリティな部分を感じながら生きてきた気がしています。そこで自然と、気になる視点が社会的マイノリティへと向かっているのかもしれません。自分のことを価値のない人間だと思うことは多々ありますし、自己肯定感は低いのですが、音楽を通じていろんな人と交流したり、作品を評価してもらったりすることで、自分を肯定することができているのだと思います。チャリティ活動には、やってあげるのではなく、やらせていただく気持ちでチャレンジしてきました。人の役に立てば、それは生きがいになりますから。また機会があれば、チャリティ活動をやりたいです。
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自分を鼓舞するようなアクションがバンド結成だった