古いものも新しいものも好き
──蔦谷さんも峯田さんも歩まれてきた道はそれぞれ違いますが、音楽活動をされてきて「覚えているもの」や「思い出したいもの」があるという点は、やはり共通しているんですね。
蔦谷 そうですね。アウトプットや感じてきたことは違うかもしれないけど、通じるものがあるんだと思います。僕が多感な時期に美しいと思い、感動した音楽って、構築されているものだったんです。「なぜ、こんなに美しいバランスで、こんなに美しい音楽が作れるんだ!?」というものが好きだった。「それを自分で作りたい」と思ったし、そのためにたくさん練習してきたし、たくさん実践したし、そうやって積み上げてきた。今回、峯田さんとやれてめちゃくちゃうれしかったです。きっと本質の部分で重なる部分があるんだろうなと、今のお話を聞いていて感じました。ただ、やっぱり自分と違うなと感じるのは、さっきも言ったけど、あの「野生」ですよね。僕だったら「きれいにしちゃおう」と思うけど、峯田さんには「一発で決めてやる」という覚悟がある。峯田さんが生むものは、そういう歌だし、そういう音だと思います。
峯田 「本当はもうちょっと伴えばいいな」と思う部分もいっぱいありますよ(笑)。
蔦谷 構築されたものもお好きなんですか?
峯田 はい。あのー……公民権運動に意識的になり始めた頃の、ニーナ・シモン。
蔦谷 ああ、ニーナ・シモン。
峯田 あそこにあるのは、野性であり、構築されたものであり……。あれがやりたいんです。
蔦谷 なるほど。技術もあるし。エネルギーもすごいですからね。
峯田 あの時期のニーナ・シモンの、彼女自身の人間っぽい部分も、バックの演奏のすごさもひっくるめて、世の中をグッと鼓舞していくような力。あれが理想なんです。ニーナ・シモンの声って、ライブによって毎回違うんです。同じ曲を聴いても、音源ごとに毎回表情が違うから。そのくらい再現できないものなんですよね。ただ、毎回変わるけど、絶対に変わらない核の部分もずっとあって、そして理屈の部分もちゃんとある。そして感動させられる。本当にグッときます。
──峯田さんがニーナ・シモンのような理想像を明確に持たれるようになったのはいつ頃なんですか?
峯田 この10年くらいです。昔は「ただいい曲を書いて、いいライブをやればいい」と思っていたんですけど、「ロックとは血であり、涙であり……」みたいな衝動の部分だけを考えても、続かないなと思ったんです。「音楽をずっとやっていたい」と思ったので。だって、音楽って楽しいから。なので少し見方を変えて、「こうすれば長生きできるんじゃないか?」ということを考え始めるようになったんだと思います。で、長くやるからには「歌が下手になったね」なんて言われたくないから、声の出し方も変えなきゃとか。そういうことをこの10年くらいで考えるようになりました。
──蔦谷さんは、峯田さんにとってのニーナ・シモンのように「こういうことがやりたい」と思う存在はいますか?
蔦谷 僕は昔から、ジョン・レノンのような人間力の強い存在に「うわぁ……」と尻込みしてしまうタイプだったんです。ジョン・レノン、好きなんですけどね。でもね、やっぱりポール・マッカートニーが大好きなんですよ。彼は「この人、マジで音楽が好きなんだな」と驚愕するくらい研究しまくっているし、うまいし。同じような意味でスティーヴィー・ワンダーも大好きだし、クラシックの作曲家で好きな人もたくさんいます。僕も峯田さんと同じように音楽をやるのが好きだし、音楽を一生やっていたいので。「これができるようになった!」とか、「これはこうなっていたのか。わかったぞ!」とか、そういうことを喜び続けている感覚があります。昔、「パワプロ」(KONAMIのゲーム「実況パワフルプロ野球」)で選手を作っているときに、「ホームラン王も最多勝も全部獲る」みたいな、大谷翔平さんみたいな選手を作るのが大好きだったんですよ(笑)。
峯田 ははははは。はい、はい。
蔦谷 音楽でもそういう部分がずっとあるんです(笑)。音楽作り続けて、知らなかったことを知りたい。そういう好奇心がすごくあります。僕は古いものも新しいものも好きなんです。音楽の進化って技術の進化でもあると思うし、今の渋谷のクラブでハイパーポップみたいな音楽をやっている子たちを見ていると、そこには70年代のパンクのエネルギーに通じるものが詰まっている気がするんです。彼らにとって今それはとても新しいもので、そこにいる若い人たちの熱量を見ていると「素敵だな」と思う。僕は僕で、若い子たちがやっていることをそのままやるのではなく、10代の頃から音楽が好きで、「とにかく作り続けたい」「作っているのが楽しくてしょうがない」という僕自身の衝動を、今まさに実践しているという感じがします。「これは面白い音ができた!」と発見しながら作り続けていくのが、本当に好きです。
脳内に分泌されている“アレ”
──峯田さんは、蔦谷さんが作られる音楽にどんな魅力を感じていますか?
峯田 蔦谷さんは、ポップミュージックシーンの「匂い」を作ってきた人だと思うんです。蔦谷さんが作られてきた音楽は、その時代その時代にピッタリな音なんですよね。「今こういうことが起きている」ということを冷静に見ている。そして、そうした時代を見る軸と、それに対して蔦谷さん自身がずっとやってきたことの個人的な軸があって、その2つの軸がバランスよく重なる場所に、蔦谷さんの音楽はあるような気がします。「JOY」がリリースされたのは2005年ですよね。あの音は、あの時代にしか生まれなかった音だと思うんです。そういう感じで、その時代その時代の蔦谷さんの肌感覚が音楽になっている。そこがすごいなと思いますね。いろんなミュージシャンと仕事をされても、そのミュージシャンのよさを引き立たせるアレンジをするし。そこにあるのは、つまるところミュージシャンを見る「眼差し」ですよね。「器用に卓をいじれる」とかじゃない、「もっとこうしたら、絶対によくなる」という眼差し。それができる人は、すごいなと思います。僕、自分のことだけで精一杯ですから。優しいんですよね、きっと。
蔦谷 よく言えば優しいですけど、余計なお世話をするのが好きなんですよ(笑)。
峯田 ははははは。
蔦谷 僕が子供の頃、うちの親父が野球を見ながら「ピッチャーちゃんとやれ!」とか文句を言っていたんですけど、僕も小5くらいの頃から、テレビの歌番組を見て「そこのセブンス、いらねえだろ!」とか言っていましたから(笑)。
峯田 同じ血なんですね(笑)。
蔦谷 今はそんな言い方はしないですけどね(笑)。でも、友達のバンドには「曲も歌もアレンジも歌詞もいいけど、スネアのピッチだけは下げたほうがいいと思うよ」とか言っちゃうんです。仲のいい人にだけ、ですけどね。
峯田 それはありがたいと思いますよ。音楽を聴くとき、蔦谷さんはどこを聴くんですか? 「僕はベースを聴くんだよね」とか言う人いるじゃないですか。
蔦谷 こんな言い方をすると偉そうに聴こえるかもしれないですけど、スタンド能力のように、曲全体がブワーッと分解して聴こえるんです。集中すると、マルチトラックで聴いているように聴こえる。
峯田 へえー。そんな蔦谷さんがリラックスできる場所ってどこなんですか。パチンコとかはするんですか?
蔦谷 パチンコはね、去年か一昨年に2時間だけ空き時間があって、数年ぶりに行きましたね。
峯田 パチンコ屋ってものすごい轟音じゃないですか。気が狂ったりしないですか?
蔦谷 それは大丈夫でした。
峯田 僕、数年前にレコーディングに本当に行き詰まっていた時期があって。一度レコーディングを中断したんですけど、そのときに唯一リラックスできたのがパチンコ屋だったんです。
蔦谷 騒音すぎて、ですよね。
峯田 そう。座っているだけで何もしないんですけど、サウナで整うみたいな感じになって。「あー、リラックスできるなあ」って。
──峯田さんは、銀杏BOYZのアルバム「光のなかに立っていてね」をリリースした2014年頃のインタビューで、パチンコ屋の轟音をイメージしてサウンドを作った曲があるとおっしゃっていましたよね。ご自身が落ち着く音の空間を作品で表現しようとする、という部分もあるのでしょうか。
峯田 当時はありましたね。今もエンジニアさんと作業するときにほかのアーティストと比較したりすることはないんですよ。音を足したり引いたりしていく中で、「今の気持ちよかった!」という瞬間がある。そこを探っていく感じですね。あとは、女の子の画像ってあるじゃないですか。「うわーっ、かわいい! これ、誰だ?」みたいな。あのときに脳内に分泌されている“アレ”。“アレ”の音楽をやりたいという気持ちはずっとあります。広末涼子さんだったり、「時をかける少女」の原田知世さんだったり……ずっと写真を見て、「降りてこい!」みたいな(笑)。
蔦谷 ははははは!
峯田 そういう感じです(笑)。
蔦谷 でも、わかりますよ。僕は数年に1回、ただだた恋に落ちたような気持ちになる音楽に出会うことがあるし、音楽や女の子だけじゃなくて、映画でも料理でもなんでも、インパクトがあるものに触れると衝撃を受けるじゃないですか。何かに衝撃を受けた、その瞬間の気持ちになりたいし、人にもそういう気持ちになってもらいたい。そう思いながらずっと音楽を作っていますね。
峯田 蔦谷さん、またいつかご一緒したいです。
蔦谷 そんなこと言っていただけて、最高です。次一緒にやるとすれば、一発で行くのか、構築するのか、どっちになるでしょうね。でも、衝動をもとに生きているところは僕ら同じなので。きっとまた一緒にできれば、面白いことができますね。
プロフィール
KERENMI(ケレンミ)
YUKI、ゆず、エレファントカシマシ、米津玄師、back number、Official髭男dismなど数多くのアーティストへの楽曲提供やプロデュースを担当するほか、映画やCM音楽なども幅広く手がける音楽プロデューサー・蔦谷好位置による変名プロジェクト。トラックメイカーとしての側面を強く打ち出したプロジェクトで、“KERENMI”は外連味(ケレン味:意表をつく・奇抜・ハッタリ・粋)を意味する。
峯田和伸(ミネタカズノブ)
1977年12月10日生まれ、山形県出身。1996年にロックバンドGOING STEADYを結成し、CDデビュー。2003年にGOING STEADY解散後、銀杏BOYZを始動させた。音楽活動と並行して、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」をはじめとしたドラマや映画にも出演している。