KERENMI特集|蔦谷好位置&峯田和伸、初対面レコーディングを語る

蔦谷好位置のソロプロジェクト・KERENMIの新曲「名前を忘れたままのあの日の鼓動 feat. 峯田和伸」がリリースされた。

YUKI、ゆず、米津玄師、back number、Official髭男dismなど名だたるアーティストの楽曲をプロデュースしてきた蔦谷。KERENMIは彼のトラックメイカーとしての側面を強く打ち出したプロジェクトで、さまざまなフィーチャリングゲストとともに独自の世界を展開している。「名前を忘れたままのあの日の鼓動」は、映画「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」の主題歌。ボーカルは峯田和伸(銀杏BOYZ)が務めた。

音楽ナタリーでは、本作のレコーディングが初対面となった蔦谷と峯田にインタビュー。それぞれの音楽観について語ってもらった。

取材・文 / 天野史彬撮影 / HIRO EDWARD SATO

野性の峯田さん

──撮影のあと、お二人でスポーツの話をされていましたね。

蔦谷好位置(KERENMI) 世代が一緒なので、見てきたものが一緒なんです。峯田さんがACミランのユニフォームを着ながら軟式野球をやっていた、という不思議な話を聞いていました(笑)。

峯田和伸(銀杏BOYZ) 部活が自由だったので(笑)。ACミランを着て、マッシュルームカットで、ピッチャーをやっていました。

──(笑)。今回、KERENMIの新曲であり、映画「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」の主題歌でもある「名前を忘れたままのあの日の鼓動」のゲストボーカルが峯田さんということで。KERENMIで蔦谷さんと同世代のアーティストの方がフィーチャリングされるのは珍しいことだと思いますが、まずは今回のコラボレーションの経緯から教えていただけますか?

蔦谷 きっかけとしては、「アングリースクワッド」の監督(上田慎一郎)が「峯田さんはどうかな?」とおっしゃったことですね。峯田さんのお名前が出たとき、「一緒にやれたら最高だな!」と思いつつ、「やっていただけるのかな?」という気持ちもあって。そんな淡い期待や不安を持ちながら曲を作っていたんですけど、一緒にやれると決まったときはうれしかったですね。

峯田 僕、こういう感じで人に呼ばれることがあまりないんですよ。なので「僕でいいのかな?」と思いましたけど、うれしかったです。蔦谷さんとは面識はなかったですけど、もちろん存在は知っていたし、手がけられた曲で好きな曲はいくつもありますし。なので「会える! やろう!」と思って。

左から峯田和伸、蔦谷好位置、上田慎一郎(「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」監督)。

左から峯田和伸、蔦谷好位置、上田慎一郎(「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」監督)。

──同じ時代を音楽で生きてこられたお二人だと思いますが、お互いのことをどのように見ていたのでしょうか?

蔦谷 僕は、峯田さんが階段を駆け上がっていくのを羨望の眼差しで見ていましたよ。峯田さんはほかの人たちとまったく違う、カッコいい広がり方をしているように見えていました。自分とはやっている音楽もまったく違うし、僕は峯田さんのようにはやれないし……いろんな気持ちがありましたね。嫉妬とも違うんですけど、「俺もなんとかがんばりてえ」という気持ちはありましたね。

峯田 なんというか……タイミングとしか言えないんですけどね。たまたまいろんな人に見つけてもらって、ワーッと広がっていく時期があって。でも、自分に才能があるかと言ったらそうでもないんですよ。そういうバンドは長続きしないし、やっぱり僕らもメンバーが抜けたり、いろんなことがあって。なので、ちゃんと音楽理論を理解して音楽活動されている人のことは尊敬していました。それは、僕にはないものなので。僕、YUKIさんが好きなんです。最初に蔦谷さんを知るきっかけになったのは「JOY」(2005年にリリースされたYUKIの9thシングル)で。あのとき、「すごい人がいるなあ」と思いました。ほかにも、蔦谷さんが手がけたYUKIさんの曲を、「すごいなあ。すごいなあ」と思いながら聴いていましたね。フィールドは違うけど、「こういう場所には、こんなすごい人がいるんだ」って。

──今回のレコーディングで初めて直接お会いされたときは、どのようなことを感じましたか?

蔦谷 思っていた通りというか、思っていた以上に、野性の峯田さんでしたね。本能的な部分と理性的な部分があったとして、僕はこう見えて、本能的に音楽を作っているつもりなんです。でも、それをあとから全部、理性で説明できる感じにしていく。もちろん峯田さんも理性で判断していると思うんですけど、そのスピードがすごく速いんです。その峯田さんの野生味こそが、今回の曲に必要なエネルギーだったんですよね。僕も峯田さんのエネルギーに背中を押される形で、その瞬間瞬間を捉えながらレコーディングをしていった感じがあって、楽しかったです。レコーディング、一瞬で終わりましたね。

蔦谷好位置

蔦谷好位置

峯田 40分くらいですかね。「よろしくお願いします」とスタジオに入って、蔦谷さんから「こうしてほしいんです」という説明を受けて、「とりあえず、やってみます!」とやってみて、それで40分後には「さよならー」って。

──(笑)。

蔦谷 あの40分間でめちゃくちゃ汗をかいていましたよね。一応、スタジオは空調も気を付けているんですけどね。「ものすごい熱量でやっているんだな」と思いました。

峯田 すみませんでした。カーペットを濡らしちゃって。

蔦谷 いやいや(笑)。

峯田 僕、勢いでやっているように見られるんですけど、普段、自分のレコーディングだとけっこう長い時間をかけてるんです。プロデューサーを立ててないので、自分がプレイヤーでありプロデューサーでもあって。「もう1回歌ったら、いいの出そうだな」と思うとまたやってみて、それでいいほうに転ぶ場合もあれば「あれ?」と思う場合もある。それの繰り返しで。なので、今回のように蔦谷さんのフィールドに入って「こういう感じでどうでしょう?」と提案されてやるのは、すごく新鮮なことでもあったんです。自分で「今いいの出たな」と思ったら、蔦谷さんも「今のいいですね」とうなずいてくれる。やりやすかったです。

どんどんOKを出しちゃった

──峯田さんは、今回のレコーディングに向かわれる際にどのような準備をされましたか?

峯田 蔦谷さんが歌っているデモを聴いたんですけど、その状態で十分いいんですよ。そのうえで自分が歌うとしたら、もっとこうしたほうがいいのかな?とか、そういうことはスタジオに向かうまでごちゃごちゃと考えていたんですけど、いざスタジオに入り、ヘッドフォンを付けてマイクに向かって歌って、自分の声が聞こえた瞬間に「あ、これで行こう」と。それまで考えていたことはすっ飛ばして、オケを聴きながら、ただ歌う。それだけでした。もしハズしていたら修正してくれるだろうし、臆せず、思うようにやってみようと。なので、気持ちよかったです。もし蔦谷さんに何か言われたら、全部従おうとも思っていたし。「もう1回」と言われたら、もう1回歌う。僕はレコーディングで誰かに従ったことがないんですけど、今回はそうしようと思いました。

──峯田さんにとって蔦谷さんは信頼できる相手だったということですね。

峯田 僕より先にこの曲のことを考えているのは、絶対に蔦谷さんなので。映画で言うと、最初からずっとその映画のことを考えているのは監督だし。そういう人の言うことを聞くだけなんです。委ねられる人だから委ねた、ということです。

蔦谷 ありがとうございます。

峯田 もっと簡単に言ってしまえば、蔦谷さんは、あの「JOY」という曲を作った人なので。僕が言いたいこと、わかってくれると思います。

蔦谷 わかります。すごくわかります。

峯田 あんなすごい曲を生み出す人なので、細かいことをこちらが言わなくても、わかってくれるんじゃないかと思えたんです。

──峯田さんにとって、ご自身で作られた歌を歌うのと、ほかの方が作った楽曲を歌われることは、きっとまったく違うことでもありますよね。

峯田 僕は、ほとんど自分が作ったメロディを歌ってきたことしかないんです。そこにこだわりがあるわけではないんですけど、そのスタイルでしか作ってこなかったんですよね。今回はライブでほかの誰かの曲をカバーするのとも違いますからね。僕が歌うことを想定して他人が作ってくれた曲を歌ったことは今までなかった。なので、「楽しもう」とは思いましたけど、「うまくいくかなあ?」という気持ちも最初はありました。僕からは出てこない音階やアレンジに対して、「(自分の声が)この音に乗るかな?」と。でも、そういうことは家でどうこう思うより、まずはスタジオに行って、マイクの前に立ってみて、それからでいいやって。歌ってみて生まれてくるものに忠実にやってみようと。なので新鮮でしたよ。蔦谷さんが作ったメロディや言葉を生かせるように、壊さないように、同時に、そこに僕として存在できたら、一番カッコいいなって。

峯田和伸

峯田和伸

──レコーディングを終えられて、曲が完成して、どのような思いがありますか?

峯田 ほかの人が作った曲を歌うの、これからもやってみたいなと思いました。楽しいだろうなって。今までやってこなかったのも、嫌でやってこなかったわけではないですから。自分の価値観や自分のメロディだけでやっていくと、どんどんと凝り固まっていくんです。そのよさもあると思うけど、外部の人と音楽を作る楽しさもあるんだなと思いましたね。

蔦谷 あの、「We Are The World」のボブ・ディランみたいな……。

峯田 ははは! あれ、最高ですよね。

蔦谷 「どうやって歌えばいいか、全然わかんねえ?」みたいな顔をして、スティーヴィー・ワンダーに教えてもらう、みたいな(笑)。

峯田 やっぱり、みんなあのディランには惹かれますよね(笑)。

蔦谷 周りはみんなボブ・ディランに優しくて(笑)。あれを見ると「ボブ・ディランって素直な人なんだな」と思いますけど、峯田さんも「やっぱり、正直な人なんだ」ということが歌から伝わってくるんです。レコーディングをしていく中で、峯田さんの歌が、僕の想定していたメロディからたまに離れていくことがあったんですけど、その離れ方が僕にとっては気持ちよかったりうれしかったりしたんです。そういう部分を音源にたくさん残すことができてよかったし、何よりレコーディングのときに峯田さんの歌を聴いていて僕も無性にうれしかったんですよね。だから、どんどんOKを出しちゃったのかもしれない(笑)。

慣れて上手になる前の状態

──蔦谷さんは、曲作り自体はどのように進めていったのでしょうか?

蔦谷 峯田さんが参加してくれると決まる前に2、3曲ほど作っていたんですけど、打ち合わせで監督から「峯田さんどうですかね?」という言葉が出てきて、すぐに思い浮かんだものを曲にしたのが、「名前を忘れたままのあの日の鼓動」なんです。峯田さんに寄せたということではなく、「この映画で峯田さんが歌うなら?」というイメージで作った曲ですね。映画のエンディングで流れる曲なので、映画が終わって、峯田さんの声が映画館で流れることを想定して。映画が終ったあとの感情を掻き立てるような曲を書きたかったんです。

峯田 この曲の前に作っていたのは、まるっきり違う感じの曲だったんですか?

蔦谷 現代的なハイパーポップっぽい曲もありましたし、激しさのあるバラード寄りの曲もありました。改めて、自分も本能的に音楽を作っている部分が大きいんだと感じるんですけど、この「名前を忘れたままのあの日の鼓動」は、監督から峯田さんの名前が出てきたときに、本当にパッと思い浮かんです。それは「降りてきた」という言葉とも違う、自分の中のどこかの引き出しが勝手に開いたという感覚。そこから生まれたものを突き進めていった感じでした。

峯田 「歌いやすいな」と思いました。歌詞を読んで「ん?」と思う部分があったりすると、気持ちが乗りにくいと思うんですけど、そこは何も考えずに歌えましたね。

──歌詞はどのようなイメージから書かれましたか?

蔦谷 タカノシンヤくんという、最近よく一緒に歌詞を作っている方にも映画を観てもらって、彼とディスカッションをしながら書いていきました。映画の内容的に「葛藤は描かなければいけない」という思いがまずあって、そのうえでエンディングで流れることを想定したとき、「スカッとするようなものを書こう」と。僕は今48歳なんですけど、映画の主人公は50代くらいで、このくらいの世代って、我慢し続けてきた人が多いと思うんです。人口も多いし、社会に出ても「正直なことを言わないほうがうまく生きていける」と感じながら生きてきた人たちが多かったと思う。だからこそ、正直な気持ちを呼び起こすような曲にしたい、という話をしました。「なんかわかんねえけど力が湧いてきたぞ」というときの感覚って、言語化が難しいじゃないですか。そういう感覚が、このタイトルにつながったんです。

──蔦谷さんに近い世代感をイメージして書かれた歌詞でもあるんですね。

蔦谷 そうなんです。20年近くプロデューサーの仕事をやっていると、「こういう場合はこれが最適解だ」ということが、パッと思い浮かんだりする。でも、それは自分の経験の中から思い浮かんでいるだけなんですよね。「こういう場合はこうしたほうがいいよ」なんていうことを、まるでお医者さんのようにアーティストに向けてしゃべっていると、重宝される反面、「俺自身はまったくクリエイティブじゃないな」と思うことがあって。30代半ばくらいの頃ですね。年間に3、4枚のアルバムをプロデュースするという忙しすぎるスケジュールで動いて、結果は出ているんだけど、「自分はいったい何者なんだろう?」と行き詰ってしまったことがあって。人のお手伝いをしてクオリティの高い作品を作ることは自分に向いていることだけど、いざ自分に向き合って曲を作ろうと思ったとき、まったく曲が浮かばなかった。

峯田 うん。

蔦谷 その瞬間に、「あれ? 俺ミュージシャンじゃねえじゃん」と。小中高くらいの多感な時期、誰に何も言われずに曲を作っていた時代の自分が見て、今の自分めちゃくちゃダサくねえか? ただただ働いているだけじゃんって。それは絶対によくないと思って始めたのがKERENMIなんです。今はKERENMIで少年時代のような気持ちで曲作りをできているし、今回の曲は、まさにその少年時代の衝動や粗さみたいなものが出た曲と歌詞になったと思います。しかも峯田さんのレコーディングが40分で終わったことによって、慣れて上手になる前の状態のものを捉えることができた。慣れてしまうと、面白いことやドキドキすることが減っちゃうこともありますから。

峯田 ……僕は蔦谷さんとレコーディングの日が初対面で、今日は2度目で、取材で2、3時間くらい一緒にいますけど、もし今の話を聞いたうえで歌っていたら、たぶんボーカルのレコーディングは一発で終わっていましたね。そのくらいの勢いでいけそうです。多少音程がハズれていてもいいから。ライブと一緒で、ワンテイク。それは今度一緒にやってみたいですね。

蔦谷 うん、そうですね。

左から蔦谷好位置、峯田和伸。

左から蔦谷好位置、峯田和伸。

──「この身ひとつ」と言えるような感覚を、峯田さんはずっと大切にされているような印象があります。

峯田 そういうところには、どんどん意識的になっているかもしれないですね。どんどんテクノロジーは進化していくし、それによって、なくなっていくものもあるし。そんな中で、修正なしの一発を大事にしています。ハズれていようが、もたっていようが、その一発を出せること。普段から、どういう場所であろうが、誰が相手であろうが、そういう意識をして生きていること。周りがどうなろうが、もういいんですよ。テクノロジーがどう発展しようが、それはお任せします。ただあくまでも自分は、生っぽさをずっと保ってい続けられるかどうか。そういうところですね。

──そしてまた、蔦谷さんがおっしゃった少年時代の衝動や感動は、峯田さんの表現の根幹にあり続けているもののように感じます。

峯田 それがうまくできていればいいですけどね。僕が夢中になった90年代の音楽、その中でもロックが、自分の内側にはずっとあって。あの音楽に衝撃を受けた15歳の頃の僕の、あの気持ちさえ持っていれば、体は老けていこうが、世の中がどうなろうが、「なんとかなるんじゃないかな」と思うんです。それだけなんです。「うわっ、これだ! 僕の全部がここにある!」という感覚……あれだけは覚えているんですよ。ほかのものでは感じたことがなかった感覚だったんです。あれさえあれば、なんとかなるような気がするんですよね。