Ken Yokoyamaの8thフルアルバム「Indian Burn」がリリースされた。
東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)でのワンマンライブ、ライブハウスやホールを巡る複数のツアーを開催しつつ、シングル3部作をリリースするなど、ベテランバンドでありながら2023年がキャリアの中で最も忙しい1年になったというKen Yokoyama。横山健(Vo, G)は過去のインタビューで昨今の音楽業界を取り巻く環境、世の中における音楽の価値の移り変わりについてたびたび口にしてきたが、怒涛の2023年を経てフルアルバムを完成させた今、音楽やバンド活動に対してどのような思いを抱いているのだろうか。バンドとしてのステートメントが色濃く現れた「Indian Burn」を紐解くべく、音楽ナタリーでは横山とHidenori Minami(G)の2人に話を聞いた。
取材・文 / 矢島由佳子撮影 / 苅田恒紀
1億3000万人に向けて音楽をやっている
──「Indian Burn」はいくつものメッセージと、どう生きたいのかというステートメントが濃く刻まれているアルバムだと感じました。いろんな角度からお話を伺いたいのですが、これまでのナタリーのインタビューでも語られていた、健さんの「音楽の価値が落ちているのではないか」「アルバムを作っても聴かれなくて、制作に向けた情熱が無駄になるんじゃないか」という疑問についてまず聞かせてください。シングル3部作をリリースし、そしてアルバム「Indian Burn」を完成させて、それらの思いに変化はありましたか?
横山健(Vo, G) アルバムを作ったけど、まだ世の中に出てないので気持ちは変わってないですね(※取材は2023年12月に実施)。すごく自虐的に言うと、アルバムはミュージシャンとして作りたくて作ったし、コアファンは待っていてくれるけれども、きっとライトユーザーには届かない。「アルバムって何?」くらいの人もいっぱいいる世の中で、劇的な広がりは望めないなと思います。アルバムの価値なんて……まあゼロにはなってないですけど、大きく落ちたなというふうには思ってます。
Hidenori Minami(G) でも受け入れるしかないですよね。この時代にKen Bandが「こだわってアルバムを作りました」と世の中に出したからといって、どれだけ世界を変えられるかという。小さいところで僕らのやっていることに賛同してくれる人はいるでしょうけど、悪く言うと自己満足というか、“やりたいことをやっている”ということに自分たちで喜びを感じるしかないのかなって。
──昨年、Ken Bandは音楽シーンの潮流に合わせて新曲のリリースペースを上げ、露出を増やすことを目的としつつ、5月、9月、11月にシングルを発表しました。リリースペースを変えてみた結果として、どのようなことを感じていますか?
横山 バンドと、よくライブに来てくれる人たちにとっては、ものすごくいい1年だったと思うんです。1年の中でシングルリリースというトピックが3つもあって、その都度ライブで新曲をお披露目するという形をとれて、それはそれでやる側にとって刺激があるんですね。たぶん、いつも見てくれる方にとっても、少しずつ楽しみが増えていくから楽しかったと思うんです。僕たちにとっては現場がすごく大事で、それがすべてだと言っていいと思うんですけど、その反面、世の中から見たらほんの一部でしかないわけで。本来僕たちは、ミニマムに目がけて音楽をやっているわけではない。すごく極端な欲求としては、日本に1億3000万人いたら、1億3000万人に向けて音楽をやっているんですよね。どこまで広がったのかはまだわからないですけど……ポンポンポンと3つ作品が出ることで、少しずつ、今まで僕たちのことを知らなかった人にも届いているんじゃないかという、微かな感触はあります。
──これまでいくつもの伝説を作ってきて、Ken Yokoyamaとして活動20周年を迎えてもなお、1億3000万人に届けることに貪欲である。それはどういったところから湧いてくる思いなんですか?
横山 才能っすね(笑)。欲は才能ですよ。1億3000万とは言わないですけど、100万人に聴かれているアーティストがいるわけだから、僕だってそうなれるはず。そりゃ細かく考えれば、そうなれない理由だってあるけど、そこをあきらめちゃったら音楽をやってる理由がないと思うんですよね。仕事でしかなくなる。だから欲がなくならない自分に安心もするし、なくなったらもうダメだなと思います。
──アルバム収録曲の「The Show Must Go On」では「Even if only few show up(たった数人しか 目の前にいなくても)」とつづっているけれども、本心としては……。
横山 実はこれはツネ(Hi-STANDARDの恒岡章)に対して書いた曲です。「たった数人しかいなくても」というのは、あくまでもバンドの原風景としての描写という感じです。
ずっと負け続きの人生
──「音楽の価値が落ちているのではないか」ということに関しては、私も感じるところがあるんですね。スマホゲームとか、永遠に動画が流れてくるTikTokやYouTube Shortsなど、脳を動かさずに時間を潰せちゃう“脳死コンテンツ”が多すぎて、嫌なことや向き合うべきことがあっても逃げることできる。簡単に逃げられることのいい側面もあると思うんですけど、思考力の低下や心の鈍感さに影響を及ぼしているんじゃないかなと。だから、人生の道標や心の治癒方法を教えてくれるものとしての音楽の需要がかつてより低くなっているんじゃないか、もしくはそういうものを必要とすることすら冷笑される時代になっているのでは、と感じているんです。
横山 同じことを思いますね。スマートフォンが普及し始めた頃から、お金や時間の使い方が変わったと思うんです。音楽で心を癒そうなんて人はもうマイノリティですよね。そういう世界でずっと生きてきた我々からしたら、やっぱり嘆かわしいなと思います。
Minami すごく身近な話になっちゃうんですけど、僕、バンド以外でも仕事をしていて。仕事先の若い子にとって、これだけの存在のバンドをやっていることが「ふーん」くらいな感じなんですよ。ロックバンドをやっていることに対して、僕らが若い頃の「すげえ」みたいな感覚がない。たまにテレビとか出ると、それはすごいと思ってくれるんですけど、バンドをやってること自体は「へえ」くらいの感じで。
横山 まあ時代は変わりますからね。音楽はなくなりはしないし、バンドもなくなりはしないけど、なぜか冷遇されているというか、受け入れられていない感があるんですよ。それはどこから来るものなんだろうな……きっと複合的な理由だと思うんですけどね。サブスクの登場もそうだろうし、脳死コンテンツの登場もそうだろうし。あと、もしかして90年代に流行ったものの生き残りとしてしか見られてないのかなとか思ったりします。実際、音楽って「流行り」とか「生き残り」とか関係なく、本人たちはずっと真剣にやっているものなんだけど、音楽をそういうふうにしか捉えてない人がやっぱり多いんだろうなって。
──ミュージシャンの価値を売れる / 売れないでしか測らない目線も、世の中にはありますよね。
横山 僕にせよMinamiちゃんにせよ、若いときから大きいバンドに所属して、今もまだうまくやれていて、あるバンドマンの層からしたら「あの人たちは勝ち組だ」と思われてるかもしれないですけど、ずっと負け続きの人生ですね。
Minami ……カッコいいですね(笑)。
横山 ずっとずっと負けてんすよ。でも僕、やっぱり希望は持ってるんです。誰かには刺さってるはずだって。目立っているのがそうじゃない子たちなだけ、という捉え方もできる。そもそも僕ら自身がマイノリティだったんですよ。みんなが興味あるものに興味を持てなくて、自分で好きなものを見つけて人生を切り開いてきたタイプの人間なんで。今でもそういう子はいると思う。同世代だったらなおさら、僕たちがなんでこの時代にこういったサウンドや主張をしているのかを理解、共感してくれるんじゃないかという希望はあります。
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