「どうも、KASHIFです」
──そもそもPan Pacific Playaというにぎやかなクルーの中でも、KASHIFさんの存在感は独特ですよね。現在に至る音楽活動の起点になっているPPP加入からの歩みを、少し振り返って聞かせてください。
PPPのオリジナルメンバーであるKESくんが、僕とは高校大学が一緒だったんですが、彼は当時からテクノや宅録が好きで、僕とは音楽の話をする仲間だったんです。卒業後はしばらく会わない間もあったんですけど、あるとき彼から「ユニットをやらないか」という連絡が来たんです。それがPALM STREETという彼の作るトラックと僕のギターという組み合わせのユニットでした。それを始めてしばらくしてから「PPPっていう横浜の友達と組んだクルーがあるんだけど、PALM STREETでそこに入らない?」って誘われたんです。
──それがいつ頃ですか?
2006年くらいですかね。僕はKESくん以外そこに知り合いはいなくて、まったく知らない人たちの中に突然入っていった感じでした。でも、そうやって行ったところが、ある種劇的な場所だったという(笑)。
──学校ですごくマンガがうまいやつが不良に認められたりする、みたいなパターンですね(笑)。
自分は部屋で好きなメタルやハードロックやソウルやらのギターをコピーして弾いて満足するタイプだと思っていたので、外に向けて音楽をやるやり方というものを一切知らなかったんです。バンドをやっていた時期もありましたが、自分の経験不足もあり、なかなか軌道に乗らなかったりで。それがいきなりPPP絡みのオールナイトイベントなどに出た際にフロアでギターを弾きまくったら、すごく歓迎されたというのが衝撃的だったんですよ。「あれ? 外でギター弾いて喜ばれたりするようなことって、俺なんかにも起こるんだ!」みたいな(笑)。
──KASHIFと名乗るようになったのは、PPPに加入してからですか?
PPPでKESくんが僕をいろんな人に紹介してくれたわけですけど、そのときに彼が僕の本名をもじって「この人、KASHIF」って言ってたからなんです。「へー、俺、これからそう呼ばれるんだ」とやや困惑しましたけど、自分でも「どうも、KASHIFです」ってそれに乗っかって軽い気持ちで名乗り始めました(笑)。
引く手数多のギタリストに
──僕がKASHIFという人の存在を意識したのは、(((さらうんど)))にサポートギタリストとして参加した2010年頃が最初でした。それと、やっぱり一十三十一さんのアルバム「CITY DIVE」(2012年発売)は大きいですね。
自分としてもすごく大きかったです。特に「CITY DIVE」では、歌モノオリジナルで他人のトラック制作や編曲をするのもほぼ初めての経験だったんです。今思えば、一十三さんもよく僕をピックアップする勇気があったなと思うんですが(笑)。まあ、JINTANA & EMERALDS(一十三十一、XTALもメンバーの“ネオドゥーワップ”バンド。参照:JINTANA & EMERALDSニューシングル発表、カップリングに愛奴カバーも)での活動などを通じて、僕がそういうことができるだろうという認識を持ってくれてたんだと思います。
──(((さらうんど)))のサポートはどういう経緯だったんですか?
イルリメくんの存在は一方的にずっと知ってましたし、XTALくんとケンヤくんとはPPPが始まったくらいにすでに知り合っていました。そういう自分の活動をよく知ってくれている人たちでもあったので、サポートに誘ってもらえたんだと思います。結成当初に聞いた(((さらうんど)))で彼らがやろうとしているポップス観に僕もすごく共感したし、まさに同じ方向を向いていた部分もかなり多かったので、そこに誘ってもらえたのは自分としてはかなりの事件でしたうれしかったです。
──「CITY DIVE」も(((さらうんど)))のデビューアルバム「(((さらうんど)))」(2012年3月発売。参照:イルリメ×Traks Boysシティポップユニットが初アルバム)も、シティポップ的な音楽性が復権する時代を少し先取りしていたようなところがありました。
僕も彼らもシティポップだけが土台の人たちではないんですけど、自分たちの年齢と経験で今ポップスをやるとなるとそれがシティポップ的なサウンドに向かう、というのはあのタイミングではとても自然な流れでした。みんなのコアな部分の大きいキーワードとして、やはり山下達郎さんが明確にありました。一十三さんも達郎さんやユーミン、小沢健二さんの大ファンだったし。あのとき、そういった計算をしたわけではないみんなのタイミングのシンクロがあったんだと思います。常々思うんですが、約束や契約じゃなくて、気が付いたら同じような意志が集まって、そういう方向に向けて行動を共にしているというのが一番いいと。まさにあのときもそれに近い状況で、その中にいられたのはすごく貴重な経験だし、幸運だったと思っています。
──しかも、そこからさらに活動の幅が広がっていきますよね。2013年の12月からは、スチャダラパーのライブバンドには欠かせないギタリストとしてサポートに抜擢されています。
もともとのご縁は、サイプレス上野とロベルト吉野とのつながりからなんです。彼らが所属する横浜のクルーであるZZ PRODUCTIONも、PPPと以前からお互いに交流があったんです。僕もときどき上野くんたちのライブサポートやトラック提供などをする機会がありました。その縁もあって、2013年の秋に上野くんの結婚パーティにLUVRAW & BTBのギターとして出演したんですが、その日、スチャダラパーさんもライブで出演していたんですよね。そのとき自分は「うわー、スチャダラパーのライブが観れる! 上野くんさすが、すごいなあ」って思ってました(笑)。そのライブ後に機材を片付けていたら、スチャさんのマネージャーさんから「KASHIFさん、12月のこの日のスケジュールは空いてますか?」と突然聞かれたんです。「スチャダラパーの年末ワンマンに参加してもらえませんか」と。
──そりゃびっくりですね。
びっくりしました。普段ギターで参加されている木暮晋也(ヒックスヴィル)さんがその日はどうしても出演できないということで、急遽代役として声をかけていただいたんです。過去に事務所の方が上野くんたちのバックなどで僕が演奏するのを観る機会が何度かあったこともあり、サポートの代役として考えてくれていたんだそうです。
──そこからはレギュラーとして定着し、さらにキャリアも開けていって。
スチャさんの現場ではそれまで経験したことのない大きな会場が多かったですし、場数を重ねていく中でプロ意識的なものが気持ちの中で芽生えた感じがあります。
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作詞家・イルリメの才能
- KASHIF「BlueSongs」
- 2017年5月3日発売 / Billboard Records
-
[CD] 2592円
HBRJ-1025
- 収録曲
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- Breezing
- On and On
- The Night
- Clean Up
- Desperate Coffee
- PPP I Love You(Part2.1)
- You
- Neverland
- Be Colorful
- BGM
- PPP I Love You(Part3)
- KASHIF(カシーフ)
- 横浜を拠点とする湾岸音楽クルー「Pan Pacific Playa」所属のギタリスト、作・編曲家、ボーカリスト。同じくPan Pacific Playaに所属する“ネオドゥーワップバンド”JINTANA & EMERALDSのメンバーでもある。2006年よりKASHIFとしてPan Pacific Playaで活動を始め、インディーズシーンでさまざまなアーティストのサポートを務める。ギタリストとしての活動を主軸としつつも、楽曲提供やサウンドプロデュースでも頭角を現し、ソロではDJをしながら同時にギターを弾く形でセルフセッションする“ギターDJ”スタイルでも活動中。2017年5月に初のソロアルバム「BlueSongs」を発表する。