ナタリー PowerPush - かりゆし58
人間の素晴らしさを歌う ファン投票ベストアルバム
デビューミニアルバム「恋人よ」から約5年。沖縄を拠点としながら全国区の支持を獲得したかりゆし58がベストアルバム「かりゆし58ベスト」をリリースした。ファンからの投票によって収録曲を決めたという本作は、バンドだけではなく、みんなで一緒に作り上げたとも言える作品。新録の「恋人よ」、新曲「このまちと」を含む全17曲。そこに込められた思いを聞いた。
取材・文/遠藤妙子
ここまでの道のりはあっという間だった
──結成から6年、デビューしてから5年ですよね。
前川真悟(Vo, B) はい。結成してすぐにデビューが決まって。
──めまぐるしいと言えばめまぐるしいですが。
前川 そうですね。
──長かったですか? 短かったですか?
前川 うーん、時間を数えるのって難しいんですけど、長いと思ったこともあるし、でも過ぎてしまえばあっという間だし。ここは短かったってことにしましょう(笑)。
──皆さんはいかがです?
宮平直樹(G) 振り返ると早いですよね。僕は結成当時はメンバーじゃなくて、「アンマー」(2006年)を出したあとからサポートで加わって、2008年に正式なメンバーになったんですけど、やっぱり早かったですね。
新屋行裕(G) 早いですね。
中村洋貴(Dr) 早かったです。
前川 俺以外の3人が人見知りなのは、今も変わりませんけどね(笑)。
音楽は人の生活の中に入りこんでいくもの
──ミニアルバム「恋人よ」のあとのシングル「アンマー」がロングランのヒットとなりましたが、そうした中で意識の変化のターニングポイントはあったんでしょうか?
前川 「アンマー」を作ったあとですね。あの、バンドをやるとか音楽をやるのって、極論、家の中でもできるじゃないですか。1人で楽しむだけでも音楽は成立する。でもそれを誰かに形として届けたいって気持ちが生まれて、しかもその相手から時間やお金をもらって自分たちの音楽を聴いてもらうわけで。そうやって聴いてくれた人たちの生活の中に僕らの音楽が入っていく。結成当時はその当たり前のことをあまり考えずにやってたんですね。「どうだ、カッコいいだろう!」って、そんな気持ちだけでライブハウスに出ていた。でもそういう中で作ったデビューミニアルバムは共感をあまり得られなかったんです。次の作品もダメだったら契約はやめにしようかねってとこまでいって。それで音楽について初めてちゃんと考えて、人々の生活の中に入りこんでいくものだって気が付いたんです。
──それまでは投げっぱなしだったけど、投げただけで終わりじゃなく、その先を考えるようになった。
前川 はい。投げっぱなしじゃなくて、投げたものが返ってくるほうが楽しいに決まってる。で、「アンマー」を作ったんですけど、もう売れる売れないはまったく考えてなくて、とにかく誰かに届くような、最後の作品になるんだったらメンバー各々の母ちゃんが「いいもの作ったね」って言ってくれるような曲を作ろうって。小言言いながらもバンド活動を応援してくれた母ちゃんに伝えたいっていう、行き先がはっきりした曲なんですね。そしたら周りの人も自分の母ちゃんのことを思ったり、自分を当てはめることができたようで。
──「アンマー」は自分のお母さんの顔だけを浮かべて作ったけど、だんだん友達やリスナーの顔も浮かべて作るようになって。
前川 そうですね。伝えたい対象は増えていったんですけど、人に伝えたい、人に伝わることの素晴らしさは、「アンマー」で実感できましたね。そこから意識が変化していったと思います。
CD収録曲
- 恋人よ(アコースティックver.)
- アンマー
- オワリはじまり
- ナナ
- 手と手
- ウージの唄
- アナタの唄
- 電照菊
- 心に太陽
- 風のように
- 全開の唄
- ウクイウタ
- 会いたくて
- ただひとつだけ伝えたいこと
- 流星
- さよなら
- このまちと ※新曲
かりゆし58(かりゆしごじゅうはち)
2005年に前川真悟(Vo, B)、新屋行裕(G)、中村洋貴(Dr)により結成。バンド名は沖縄の方言で「めでたい / 縁起がいい」の意味を持つ「かりゆし」と、沖縄のメインストリート国道58号から。2006年2月にミニアルバム「恋人よ」をリリース。続くシングル「アンマー」がロングヒットを記録し、同年末の第39回日本有線大賞新人賞を受賞する。2008年には新メンバー宮平直樹(G)が加入し、現在は4人編成で活動中。2009年2月リリースのシングル「さよなら」が松山ケンイチ主演ドラマ「銭ゲバ」主題歌に抜擢され大きな話題に。2011年9月からは今回のベストアルバムを携えて初の全国ホールツアーも実施。沖縄で生まれ育った彼らならではの“島唄”を全国に向けて歌い続けている。