Karin.|揺るぎない決意を込めた高校生活最後のアルバム

歌詞と私生活のギャップ

──こうやって話を聞いていても笑顔でお話されるじゃないですか。だから、何に悶々とされているんだろうと不思議で。

普段からマイナス思考ではないですし、負の感情を狙って曲にしているわけでもないんです。歌詞に書くことはすべて日記のようなもので、こういう元気じゃない曲ができるのは、普段、そういった感情をまったく表に出さないからだと思います。音楽でしか吐き出せないんです。

──じゃあ、普段の学校生活を知っている先生や友達からしたら、Karin.さんの曲を聴いて、「こんなことを考えていたんだ!」と驚くでしょうね。

たぶんそうだと思います。学校で友達と話していたら「うるさい!」と言われますよ。でも音楽でしか私を知らない人は、私のことを友達がいないと思っているでしょうね。

──ご友人の方々はKarin.さんの音楽活動についてどう思っているんでしょう。

友達には「音楽があるからいいよね」と言われますけど、まだ音楽で生きていくことへの不安がちょっとあるんです。だから学生の間に、高校生として最後のアルバムを出せてよかったと思います。今まで、ここが自分の居場所だと胸を張って言えるところがなかったんです。部活動もやってないですしね。だから死にたい理由もないけど、このために生きてますというのもなかった。でも、なんで不満を感じるんでしょうね?

やりたいことは絶対に実現したい性格

──何かしら不満は持たれていますけど、それを打破したいという気持ちも持ってますよね。

行動力って大事だと思っているんです。周りの人にも普段から「行動力がすごい」と言われることが多くて、ライブをしたいと思ったらライブハウスに行ったり、CDを作りたいと思ったらどうしたらいいかを調べて作ったりしてたからですかね。でもそれは音楽に限らず、自分のやりたいことは絶対にやりたい性格だからなんですよね。ちょっと恥ずかしいんですけど、前にプライベートで友達としゃべっていたら、急に大学芋を食べたくなって、自分で材料を買いに行って作ったんですよ。自分で作ったことを友達に話したら、「えっ!? 行動力すごいね!」と言われて、そのとき初めて自分に行動力があることに気付きました。

──それは、いつ頃の話ですか?

本当に最近です。それまでは気付かなかったですし、今までは「これやりたい人?」「これ食べたい人?」と聞かれても、自分から意思表示できなかったので、そのせいで後悔とか罪悪感を感じていましたね。

Karin.

救われる側から救う立場へ

──音楽に出会ってなかったら、どうなっていたと思いますか?

進学をしていたと思います。音楽じゃない夢を追いかけていたかもしれないですし。

──そういう選択肢だってあったというのに、どうしてKarin.さんは音楽が必要だったんですかね?

Karin.

(しばし考え込んで)音楽ってなんなんですかね? 「音楽がすべて正しいか?」と聞かれたらそうじゃないとも思いますが、でも私は音楽に助けてもらった立場ですし。

──実際、音楽に救われたという具体的な体験はありますか?

小学校6年生のあたりに。その頃って、友達だと思っていた人たちがグループに分かれ始めて、その感じになじめなかったんです。そんなときにカゲロウプロジェクトに救われましたね。大人に立ち向かうというか、10代の意見を貫いている感じがしたんです。「少年少女前を向け」(2012年8月にリリースされたじん「チルドレンレコード」収録)という歌詞があって、勇気をもらいました。

──それが今は音楽で救う側の立場になりました。

自分が発信する立場にいるのは不思議な気分です。もし私が普通の高校生だとしたら、Karin.の曲を聴いてるかわからないですね。「メランコリックモラトリアム」に入っている「命の使い方」は、私自身あまり聴かなかったりしますから。この曲は、いろいろなことを思い出して悲しい気持ちになりますし、歌うこと自体がつらかったりもします。もしかしたら、この曲で傷付いている人もいるかもしれません。そう考えると全員に好かれる曲ではないと思います。それでも特に自分の気持ちを強く表している曲なので、つらくても歌い続けなければと思います。