神はサイコロを振らないが3月2日にメジャー1stフルアルバム「事象の地平線」をリリースした。
2015年に福岡で結成され、全国で地道にライブを積み重ねてきた神サイ。彼らが2020年に発表した「夜永唄」はSNSで大きな話題となり、これを1つのきっかけに神サイは同年7月にメジャーデビューを果たすこととなった。メジャー1stフルアルバムには、ドラマや映画の主題歌、CMソングなどのタイアップ楽曲10曲をはじめ、n-buna from ヨルシカ、アユニ・D(BiSH、PEDRO)、キタニタツヤとのコラボ楽曲、セルフプロデュース楽曲を収録。彼らのメジャーデビュー以降の集大成と言える仕上がりとなっている。
音楽ナタリーでは本作の発売に際してメンバー全員にインタビューを実施。バンドの足跡を振り返りながら、柳田周作(Vo)のソングライティングやメンバーの演奏に対するこだわり、本作の制作エピソードについて聞いた。
取材・文 / 内田正樹撮影 / 後藤倫人
下積み時代があったからこそ今がある
──神サイは現在結成7年目で、コロナ禍にメジャーデビューを果たしました。まずは現時点までの活動を振り返ってみていかがですか?
吉田喜一(G) 不思議な感じです。もっと長く感じられるんじゃないかと思ったけど、今振り返ると一瞬でしたね。僕らなりのペースでやってこられた気はしていますが、それでもメジャーデビューから今日までは特に濃密で。今の神サイのバンドとしてのコアを築けた気がするし、それが今回のアルバムのバラエティに富んだ収録曲にもつながっていますね。
柳田周作(Vo) 超幸せでした。メジャーになってからは4人だけじゃ到底叶えられなかったことが1つひとつ叶っているし、同世代の仲間や偉大な先輩方とも一緒に音楽を作れて。何より今回のアルバムのために20曲も曲が貯まったという事実が不思議で仕方がない。「事象の地平線」に収録されている20曲を作るのに、僕らはトータルで1年半くらいかかっているんです。もともと制作のサイクルも早いほうじゃなかったし、インディーズの頃は予算がなくて1年くらいレコーディングができない時期もあって。とにかくライブを繰り返して、少しでも物販をしては、遠征のお金を稼いで機材車で全国を回るという生活をしていた。だから今の状況は本当に嘘みたいです。日々「ありがたいなあ」と感じています。
──神サイは現在、タイアップにも恵まれているし順風満帆のように見えますが、実はそういうバンドワゴン時代も経験されている。その歴史は最近聴き始めたリスナーは意外と知らないかもしれないですね。
柳田 そうかもしれない。移動車で生活しながら先輩方と吐くまで酒を飲み交わす、みたいな下積み時代があったからこそ今があって。「夜永唄」という曲がSNSを通じていきなり注目されたせいもあるのか、たまに「もしかしてイロモノみたく見られてる?」とか「ちょっとナメられてる?」と感じる瞬間も正直あります。だからこそライブでは誰にも負けたくないし、ハングリー精神も忘れていないつもりです。
──黒川さんはいかがですか?
黒川亮介(Dr) メジャーデビューしてから音楽性が広がりましたね。インディーズの頃なら「1on1」とか「巡る巡る」みたいな曲は絶対やらなかった。でも神サイは変わり続けることが1つのコンセプトでもあるので、そういう意味ではブレていない。まだまだ進化し続けていきたいですね。
──初期の神サイはオルタナティブやポストロック寄りのナンバーが多かったようですが、現在のポップな側面はどのように身に付いていったのでしょうか。
柳田 気付いたら身に付いていたという感じで。例えば「1on1」は、この曲を主題歌として提供させてもらったドラマ(FOD オリジナルドラマ「ヒミツのアイちゃん」)のストーリーから引き出された部分も大きかったですね。あと、もともと僕は神サイ結成以前の福岡在住時代、シンガーソングライターというか1人で弾き語りをやっていたんですね。東京や大阪まで路上ライブをしに行ったり東京の小さいライブハウスで歌ったりしていたんですが、当時、石崎ひゅーいさんのことがめっちゃ好きすぎて、ひゅーいさんに憧れて裸足で赤いマフラー巻いた姿でステージに立つという血迷ってた時期があって(笑)。
──おお(笑)。
柳田 先日、その頃のボイスメモを聴き直してみたんですけど、全部めっちゃポップな曲やった。全然ロックじゃない。そもそも僕はJ-POPも歌謡的なメロディもめっちゃ好きだったので、体に染み付いていた素養がだんだん目覚めてきた、とも言えるのかなと。
──なるほど。桐木さんはいかがですか?
桐木岳貢(B) よう7年続けられたなって思います。すでに辞めてしまった同世代のバンドも周りにたくさんいるし、今の環境を当たり前と思っちゃいけない。その緊張感は忘れずにいたいけど、一方で褒め称えたいような気持ちもありますね。この4人は精神的に弱いから(笑)。本来はパッと風が吹いたらバタっと倒れちゃうような奴らの集まり。でもスタッフの皆さんに支えられてどうにかここまでこられたというか。
バンド名は「絶対これしかないだろ!」
──ちなみにここまでのバンド史において、いわゆる「存続の危機」「解散の危機」みたいなエピソードはありますか?
吉田 全っ然ありますよ。エピソード3000話くらいあるかもしれない(笑)。
柳田 1年間、1曲も作らなかった時期もあったし、インディーズの頃はシンプルに未来が見えなさすぎて、上京後にコンビニの前で「もう無理じゃね?」という話にもなったし。そのときは僕が黒川からその雰囲気を察して。というのも、黒川は大学時代に教員免許を取っていて……。
黒川 (笑)。
柳田 それは「バンドやるなら教員免許ぐらい取らなきゃさせんよ?」という黒川の親御さんの愛情ゆえの指示だったんですが、俺はそれを「保険や!」とか言っちゃって(笑)。「お前には教員免許があるけど俺にはあとにも先にも何もないぞ! ふざけんなよ!?」と。
吉田 借金だけ抱えて東京に出てきたので、みんな不安だったんですよ。もっと昔の笑える話だと、それこそ最初の危機は柳田が送り付けてくる全裸の動画がイヤすぎて、俺が「このバンドでやるのどうしようかな……」と考えたことが(笑)。
柳田 送り付けてた。愛情表現で(笑)。
──神サイはそもそも同じ大学で知り合った4人で結成されたそうですが、そう言えば吉田さんの加入が決まった場面でなぜか柳田さんが全裸だった、というインタビュー記事を読んで吹き出しました。
吉田 大学時代の柳田は脱いでる姿しか思い出せないくらい脱いでたんですよ。バイト中も脱いでたよね?
柳田 脱いでた。カラオケ屋でバイトしてたんですけど、自由な店だったんで(笑)。
黒川 ただの犯罪者だよ(笑)。
柳田 愛情表現が下手くそだったんだよね(笑)。
──“神はサイコロを振らない”というバンド名は理論物理学者のアインシュタインの言葉から命名されたそうですが、どんな流れで決まったのでしょうか?
柳田 当時はまだ桐木が加入前で、横文字にするか日本語にするかを吉田の家に集まって3人でけっこう話し合ったんです。俺がヘンテコな名前にしたくて検索していたら、アインシュタインに関連したページに行き当たって“神はサイコロを振らない”という言葉を見つけた。その瞬間に電撃が走ったんです。「絶対これしかないだろ!」って。吉田はけっこうノってたけど、黒川は横文字を推してたから……。
黒川 「ついに血迷ったか?」ってめちゃめちゃ反対しました。でも翌日、柳田からLINEでこのバンド名に込める熱い気持ちが長文で送られてきたので「まあ、いいか」と(笑)。
柳田 もう1つ“ユークリッド幾何学”という候補もあったんだけど、神サイで正解だったな。いまだに「どっちが曲目でどっちがバンド名?」とか「神サイはバンド名変えた方がもっと売れるはず」みたいな声をSNSで目にするけど、この名前がちゃんと存在を気にしてもらえるきっかけにもなっていると思うし。
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現時点までの神サイの総まとめ