神様、僕は気づいてしまったが配信シングル「パンスペルミア」をリリースした。
「パンスペルミア」は激しくキャッチーなロックサウンドに、神僕らしい強いメッセージ性のある歌詞を乗せた1曲だ。音源以外のコンテンツも用意されており、6月11日発売の小学館「ゲッサン」では、「パンスペルミア」を原案としたマンガ作品の連載がスタート。YouTubeでは、同じく本作をもとに制作されたアニメーションミュージックビデオも公開された。音楽ナタリーでは、神僕のギタリスト・東野へいとにインタビュー。バンドの存在を再定義する作品として今年5月に発表された配信シングル「僕たちの」から、メディアミックス展開など神僕の表現をより拡張させた「パンスペルミア」の制作背景について話を聞いた。
取材・文 / 秦理絵
神僕の存在を再定義した「僕たちの」
──本題に入る前に、5月にリリースされた配信シングル「僕たちの」の話から聞かせてください。リリース当時、“自分たちを再定義する曲”というようなコメントも発表されましたが、どういった心境で制作したものだったんですか?(参照:神様、僕は気づいてしまったが新曲「僕たちの」配信&MV公開)
言葉の通り「このメンバーが発信することで意義のあるサウンドとは、いったいどういうものだろう?」っていうことを考えながら作りました。「20XX」(2019年5月発表の1stアルバム)では音楽的にいろいろなトライをしているんですけど、そうやって新しい挑戦をすると「もっとこういうことができたな」「これは意外と神僕っぽさが出るな」とか、いろいろな知見が貯まってくるんですね。でも今度はそれをフィードバックしていかないと、創作の意味というか、音楽の文化的な生産性がないなと思っていて。知見を1つのところに集約しなきゃいけない、みたいな焦りがあったんです。
──焦り、ですか。
今の時代、音楽の消費スピードが速くなってきている実感があって。コンスタントに音源をリリースしないと商業的には成り立たない。ただ、そういう時代であっても急かされて活動が惰性になってくるとか、思考を放棄するのは違うなと思うし、これだけ粒ぞろいのメンバーが集まってくれている神僕っていう場所を失いたくもないんですよね。
──バンドは続けていきたいと。
そう、神僕はそれぞれのメンバーを生かせる場所として活動を続けていきたいんです。だから楽曲をリリースしたときに「あ、こういう曲って俺たちじゃないとこうはならないよね」ってちゃんと納得の得られる部分はどこなんだろう?とずっと考えていたんです。
──振り返ってみて、「20XX」の出来に対しては自分たちでは納得できていたんですか?
その当時はまだ、納得するとかしないとかっていう段階まで活動が進んでいなかったと思うんですよね。いろいろなことにトライできたという意味では納得しているんですけど、今僕が言った納得よりももっと手前の話だったような気がします。
──要するに「僕たちの」に至るまでは、今の時代の消費スピードに焦りを感じながらも、バンドが次のフェーズに進むためにきちんと考えを整理する時間だったと?
そうです。音楽を作るのって、僕にとっては頭の中で鳴っている時点で終わっているんです。そうなると、音楽って何をする行為なの?と言うと、考えることなんです。そこが「作らなきゃ」になって、考えることをやめるのはいただけないなって思いますね。
──「作らなきゃ」という意識が先行することで自分たちの存在意義を見失ってしまう、そういう危機感もあったんですか?
ある種の見失いはあったのかもしれないです。自暴自棄になってすべてを投げ出すとか、そういうネガティブな感じではないんですけど。むしろ自暴自棄にならないために、自分自身を守るための迷いだったのかなと思いますね、今振り返ると。
70億通りの孤独
──その迷いに決着をつけたのが「僕たちの」という楽曲なわけですね。この曲で提示できた答えはなんだったと思いますか?
結局、神僕で書いてきたことは、「世の中には70億通りの人間が存在する」ってことなんですよね。70億通りの生活があれば、当然70億通りの感情があって。70億通りの感情があれば、70億通りの孤独がある。その中で70億通りの孤独は決して無視されたり、値踏みされたりしていい存在ではないと思うんですよ。ただ、そうは言っても社会からはそれが中二病とか、メンヘラとか、そういう言葉で値踏みされていく。そういう現実を直視したときに、改めて自分たちの襟を正して、その軽視された孤独を取り返しにいかなきゃねっていう部分に行き着いたんです。
──中二病とかメンヘラという言葉でないがしろにされてしまう感情を掬い上げて、音楽で表現しなきゃいけないと。
はい。そのためにはイデオロギー的な曲になってないとダメだなと思っていたんです。
──「僕たちの」は、神僕の原点回帰であり、ここから新しいフェーズに進んでいくような意思が込められた歌のようにも感じましたが、どうでしょう?
そうですね、1つの区切りの意味合いはあると思います。歌詞に“エンディング”という言葉が出てきたりしますしね。
──「僕たちの」までを1つの区切りとしたとき、これまでのバンドの道のりというのは、神僕にとってどんな時間だったと思いますか?
これまでの活動があったからこそ「今はこうしたい、ああしたい」っていうのが見えてきたんですよね。初めからすべてを見通して、どこか行きたい場所があってそこを目指して突き進んできたわけではないんです。結果として、いろいろなトライをする期間だったというか。次のフェーズに行くための材料集めになっていた。「していた」わけではないので「なっていた」っていう感じですかね。
──これまでの活動の中で、特に印象に残っている出来事は何かありますか?
出来事ではないんですけど、バンドは社会って言うじゃないですか。だいたいバンドが活動休止とか解散をするときって不仲説が出ると思うんですけど、実際にバンドをやってみたら「そういうことって意外とないのかも」と思いました。もっとメンバー同士のクリエイティビティがぶつかって火花が出て、それが創作になっていくのかなと思っていたんですけどね。いい意味でも悪い意味でも、神僕にはそういうのがなくて。
──全員がコンポーザーになれるバンドだから、うまくバランスを取り合えるのかもしれないですね。
そうなんですかね。「もっと思ったことを言ってもいいんだけどな」と思うことはありますが、お互い意思疎通できているのか、メンバーでバチバチになることがないバンドだなあっていうのは感じています。
神僕の表現を拡張させるためのメディアミックス
──ここからは最新シングル「パンスペルミア」についてお聞きします。本作はマンガ、MVが連動した楽曲として配信されますが、こういった展開のアイデアはどういうところから始まったんですか?
実は「CQCQ」(2017年5月発表のシングル)を出したときから、「プロデューサーや第三者を巻き込んだ活動をしたい」という話をしていたんです。バンドとして当たり前にやらなきゃいけないことが自分たちにとっては大きな壁で、それで苦渋を味わうこともあって。ただ、そういう環境でも自分たちにしかできない表現も絶対にある。そのために活動を支えてくれる人たちが欲しかったんです。音源を聴いてもらうだけで満足しないで、それ以上の部分でどこかに向かっていかなきゃいけないっていうのをずっと考えていたんです。
──もともとは音楽プロデューサーを立てるという案もあったんですか?
そうです。ただ曲を作って、メンバーと一緒にスタジオで録るときもそうなんですけど、僕がけっこう自分の意見を譲らない完璧主義なところがあって(笑)。プロデューサーという形で第三者が関わったところで、たぶん口論になると思ったんですよね。プロデューサーを迎えたいと言っておきながら、そのプロデューサーを認めないというか、そういう予感があって。自分たちが納得できるスタイルがメディアミックス展開だったんです。
──音楽制作はバンドとして責任をもって完結させるけれど、それに付随するクリエイティブな部分で周りの人たちの手を借りていくことにしたんですね。
はい。だから、最初からこういう活動をやりたいと言っていたわけじゃなくて、自分たちの中で譲れない領域もあるし、逆にもっと周りを巻き込みたい領域もあるから、それを組み合わせていろいろなものを整理した結果、行き着いたっていう感じですね。
──複数のコンテンツを用意することで、どういうことをやっていきたいと思っていますか?
音楽では自分たちの100点を出していくっていうのが前提としてあって。それを150点、200点にしてくれる人たちを探す作業になっていく気がしています。音楽とそこに込めた言葉がすでにあって、それを映像であったり、マンガであったり、ほかの何かと掛け合わせることで言葉以上の体験を得ることができる。そういう表現方法ができたらいいなと思うんですよね。
──言葉以上の体験ができる、というのは音楽の根源的な価値のような気がします。
言葉って、コミュニケーションの手法じゃないですか。だから、誰にでも伝わるものじゃなきゃいけないと思うんです。そもそも言葉として表現されるものは、誰にでもわかるものしか存在しないんですよね。誰にでも伝わるがゆえに、70億通りの表現にはならないんですよ。
──こと神僕が扱おうとする人間の感情は、言葉で表現するには限界がありますよね。
そう。そういう言葉の脆弱性みたいなものが、映像やマンガと掛け合わすことでより解像度が高まるというか。神僕としてやりたいことは変わってはいないんですけど、それをより突き詰めた形になっていくと思います。
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