北海道出身の3ピースバンドKALMAが、3月4日にメジャーデビュー作となるミニアルバム「TEEN TEEN TEEN」をリリースする。
2018年よりコンスタントに作品の発売を重ね、同年には高校生として初めて「JOIN ALIVE」に出演するなど、地元を中心とした活動を通して知名度を獲得してきたKALMA。そんな彼らが作り出す10代特有の青臭い思いやエネルギーを感じさせる楽曲は、同世代を中心に支持を集めている。
メジャーデビューを目前に控えるKALMAは、どのような経緯で結成され、これからどこに向かうのか。音楽ナタリーではメンバー3人にインタビューを行い、メジャーデビューを控える彼らの思いを聞いた。また特集の最後には、メンバーのルーツとなった楽曲をプレイリストをメンバーのコメント付きで紹介するので、インタビューと併せて楽しんでほしい。
取材・文 / 天野史彬 撮影 / 吉場正和
2人に声をかけたときにはもう本気だったんだよ
──バンド名が-KARMA-からKALMAへ変わり、メジャーデビューも控え、まさに変化のタイミングだと思います。改めてKALMAがどのようにして生まれたバンドなのか教えてください。
畑山悠月(Vo, G) 高校1年生のときに同級生と組んだバンドが始まりですね。(金田)竜也は違う高校だったので結成時はメンバーではなくて、俺と(斉藤)陸斗を含めて最初は4ピースバンドとして始まったんです。でも、バンド特有のいろいろがありまして……(笑)。ギターが抜けて3人になって。本来ならサポートギタリストを入れたりすると思うんですけど、当時、My Hair is Badとか3ピースバンドが流行っていたので「3ピースってカッコいいな」と思い、3ピースになったんです。でもその体制でライブを何本かやったあと、またいろいろあり……ドラムが抜けてしまって。それで同じ高校にドラムをやっている人がいなかったので、札幌の高校生バンドのイベントとかで面識があった竜也に声をかけました。最初に声をかけたときは、「返事、1週間待って」と言われたけど、「イヤだ、2日間しか待たない」と返して(笑)。
──ははは(笑)。
畑山 ライブもレコーディングも決まっていたから急いでいたんですよ。最初は「サポートでやらせてくれ」と言われたけど、それも俺が「イヤだ。正式メンバーで入って」とわがままを言って(笑)。
──新作「TEEN TEEN TEEN」にもありますね、「わがまま」という曲が。
金田竜也(Dr) 悠月はわがままですよ!
畑山 わはは(笑)。陸斗にも、無理やりベースを始めさせたんですよね。高校でバンドを組む前、地元で仲のいい友達同士でバンドをやることになったんです。そのとき、俺はギターボーカルをやりたいし、ほかの2人も楽器経験者でベースだけ余っていたから「陸斗、ベースね」と。次の日の朝イチで、自転車で1時間くらいの距離にある中古ショップでベースとアンプを買わせました。
斉藤陸斗(B) あれは無理やりだったね……。
畑山 で、その日の夜は俺の家に泊まらせて、Mr.Childrenの曲を1曲覚えさせました。
──すごい勢いですね……。
畑山 そのくらい俺はバンドに対して本気だったんです。陸斗にも竜也にも、俺の本気度は伝わってたでしょ? 俺はもう、ミスチルみたいなドームレベルの人に憧れていたから、最初からバンドで有名になるビジョンはあったんだけど。だから、2人に声をかけたときにはもう本気だったんだよ。
金田 あ、そうなんだ。
──斉藤さんと金田さんはいつ頃からバンドと本気で向き合うようになりましたか?
畑山 「Eggs」に曲を出したときじゃない? 竜也が入ってすぐにレコーディングした曲を「Eggs」という配信サイトで公開したらランキング上位になって。ずっと1位に残ったりしたんですよね。そのへんから本気になってきたでしょ?
斉藤 いや、俺はもうちょっと早いよ。高校1年生のとき、まだ結成してから半年くらいでバンドが4人だったときだけど、ビクター主催の「ワン!チャン!!」のオーディションで東京に行くことになったんです。まさかバンドで東京に行くなんて思ってもいなかったから驚いて。悠月に「東京行きが決まったよ」と言われたとき、自分の気持ちは固まった気がする。
──金田さんは「Eggs」に曲を出したタイミングでしょうか?
畑山 竜也は入った頃からあんまり変わっていない感じもする。
金田 そうだね。最初から悠月が作ってくる曲に対して常に本気でドラムを付けてきたから。そのスタンスはずっと変わっていない気がします。
──金田さんはずっと本気ということですね。この3人が集まった段階から、音楽的な方向性は定まっていたんですか?
斉藤 いや、けっこう変わりました。
畑山 最初はMy Hair is Badとかback numberとか、同じ3ピースバンドの真似をしている感じでした。そこから「どんな曲を書けばいいんだろう?」と悩み始めたんですけど、当時、ゲスの極み乙女。の曲を聴いたときにびっくりしたんですよね。どの曲も歌詞やフレーズが頭に残るものばかりで。音楽性で近いことをやりたいというよりは、1回聴いたら絶対に頭に残るような音楽を作りたいなっていう意味で、「自分もこういうバンドになりたい」と思いました。最初に「Eggs」に曲を出したときも、そこは自信があったんですよ。頭に残るような歌詞やメロディを作りたい気持ちはその頃からずっとありますね。
金田 作るメロディが頭に残りやすい、そこだけが悠月のいいところだと思います。
畑山 もっとあるだろ!
──インタビュー中にケンカしないでください(笑)。
斉藤 あと、悠月の作る曲は歌いやすいよね。
畑山 それは意識してる。俺の作る曲でシンガロングできる曲が多いのは、陸斗と竜也の2人が歌っているところを想像できる曲を作っているから。それに、伝えたいことは声を重ねて歌うことで伝わると思うし。
いまだにミーティングとかしない
──音楽的な方向性は、バンドで共有しているものなんですか?
畑山 俺らいまだに3人でミーティングとかしないんですよ(笑)。先輩たちを見るとライブ終わりやスタジオ終わりに居酒屋に行って飲みながら話したりしているので、そういうのはいいなと思うし、大人になったら自分たちもそうするのかなと思うけど、今は本当に3人で真面目に音楽の話をすることがないんですよね。
斉藤 「このバンド、カッコよくない?」みたいな感じで、ほかのバンドの話ばかりするんです。
──最近はどんなバンドの話をしましたか?
畑山 今日、移動の車に乗っているときにサンボマスターの話はしていました。竜也がスマホでサンボマスターを流していたんですよ。それをみんなで聴いて、「俺らが最後に対バンしたいバンドって、サンボマスターじゃない?」ということになって。
金田 サンボマスター、熱いよね。
斉藤 お客さんも巻き込むようなバンドだよね。サンボマスターが「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に出演したときにライブを観たんですけど、お客さんの熱気もすごくて。カッコいいなと思う。
畑山 すごいよね、元気なのに泣けるのは。ああなりたい。
──皆さんは、ルーツとしてもバンド系の音楽が大きいですか?
畑山 そうですね。俺は音楽を始めるきっかけになったのはさっきも言ったようにミスチルで、バンドをやっていくうえでめちゃくちゃ参考にしたのはandymoriとかSaucy Dogとか。基本的にはそのとき聴きたい音楽を聴くほうで、最近はシティポップを聴いたりします。Yogee New Wavesとか。あとはTENDOUJIやHelsinki Lambda Clubも好きですね。
斉藤 俺はもともと、ONE OK ROCKが好きだったんですけど、高校2年生の頃に悠月にハルカミライを教えてもらってめちゃくちゃハマりました。ライブの見せ方もすごいし、相当影響を受けていますね。
金田 俺はお父さんが聴いていた音楽がルーツで。車でかかっていたマキシマム ザ ホルモンを「かっけえ!」と思って聴いていました。
畑山 マジかよ……すごい親だな!
金田 自分から好きになったのは、SEKAI NO OWARIですね。友達がカラオケで歌っていて、「めっちゃいい!」と思ったのを覚えています。
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