東京は厳しさと可能性を感じた場所
──オリジナル曲はいつ頃から作り始めたんですか?
中学2年くらいのとき、軽い気持ちで楽器屋さんが主催するコンテストに応募して、コンテストのために初めて曲を作りました。でもそのときはまだコピーのほうが大好きで、ギターテクニックとかボーカルを学んでいる最中で。そういう、自分が習得したものを表現者としてアウトプットできないかって思い始めたのは高校に上がってからですね。
──そしてその後福岡の大学に進学し、2010年の春に上京したそうですね。
はい。大学在学中、「トンコツTV」っていうNHK福岡放送の番組に出演したことがきっかけで今の事務所とのつながりができて、デビューの準備を始めたんです。で、大学は卒業していいっていう話だったんですけど、音楽で道を作ってもらっているのにまだ福岡で大学生活をしている現状にだんだん矛盾を感じてきて。それでもう音楽1本でやっていこうと決心して、すぐ旅立ちました。
──実際に、東京に来てからは本格的にアーティスト活動がスタートして、夢が現実のものとなり始めました。そんな時期って充実感と同時に挫折感も味わうと思うんですが、伊藤さんはいかがでしたか?
夢って故郷にいたときはものすごく輝いたものに見えてたけど、東京に来てそれに向かっていざ突き進んでいくとなると、いろんな厳しさにも直面しましたね。ギターもボーカルも曲作りも、まだまだスキルが足りないなと思いましたし。でも厳しさと同時に、今自分が知ってる音楽はごく一部で、まだまだいろんなことができるっていう可能性も感じました。東京は、そういう良いことも辛いことも本当に表裏一体なんだと教えてくれた場所です。
──東京という厳しい場所でネガティブな面に支配されなかったということもそうですし、今までのお話を聞いていても、伊藤さんはかなりポジティブな精神をお持ちだなと感じます。
落ち込んだりネガティブになることもあるけど、最近は、必ず音楽が自分を起き上がらせてくれると感じてるんです。自分のルーツとなったアーティストたちが自分を鼓舞してくれるというか。そこに対する愛とか情熱がある限りは何事もポジティブに捉えていけるのかな。それに、落ち込んだからこそ生まれてくる音楽や歌詞もあると思うので、プラスもマイナスも自分のエネルギーに変換して全部音楽にぶつけていけるように、と思ってます。
今度は僕が感動を与える立場に
──今回、ワーナーミュージック・ジャパンというメジャーのレーベルから作品をリリースしますが、元々「メジャーデビューしたい」という気持ちはあったんでしょうか。
ありましたね。今まで自分は影響を受けたアーティストたちを見て憧れて、自分の音楽を高めていったんですけど、今度は逆の立場になりたいっていう思いもあったんですよ。
──逆の立場?
今度は僕が表現者として活躍して、自分のようなギターキッズが生まれてくれたり、感動を与えたりできたらって。それには自分の音楽を広く知ってもらったり、たくさんの人に聴いてもらうことが大事だから、メジャーは目指していた舞台です。それから、自分の作る曲がポップスだっていうことに気付いて、メジャーシーン向きなのかなという気持ちもありました。
──ポップスだなと気付く出来事があったんですか?
人から「祥平くんってブラック好きだけど作る曲はポップだね」と言われたことがあって、そうなんだ、と思って。そう自覚してからは、明るいポップスも作れるし、ブラックな匂いも出せる、両パターンでやっていけたらと思うようになりました。
先人たちの奏法をオリジナル曲に消化
──先日ライブを拝見させてもらったんですが、MCで"伊藤祥平スタイル"について演奏を交えて説明していて、とても興味深かったです。ルーツミュージックの奏法を自己流にアレンジしてオリジナル曲に落とし込んでいるんですね。
はい。じゃあ弾きながら説明していいですか(笑)。(ギターを構える)例えば、僕はこういうふうにボディを叩いてリズムを刻みながら弾く奏法をよく使うんですけど、その起源の一部はゆずさんの「する~」っていう曲の奏法なんです。小学生のときにこの曲を飽きるほど弾いてたので、リズミックなスリーフィンガーがいつの間にか身に付いて。そこからラウル・ミドンやロドリーゴ・イ・ガブリエーラを真似たりしてるうちにどんどんブラックミュージックの裏打ちが混じってきて、さらに自分でベース音を加えたり、ハーモニクスを入れたり……と、先人たちの奏法を真似ながら徐々に僕なりのやり方を見つけていきました。
──デビューシングル「Dream of Life」収録の3曲でも、そのギターテクニックは堪能できますね。
音楽通の人が聴くとピンとくるようなエッセンスを入れるのも、自分のスタイルではあると思うので、今後もうまくオリジナル曲に消化していけたらと思ってます。
──また、ボーカルについてもギターと同じように好きなアーティストを研究して現在のスタイルになったんでしょうか。
ボーカルはルーサー・ヴァンドロスの影響を強く受けてますね。高校2年のとき、YouTubeでルーサーの動画を見つけて、人の声の持つパワーってすごいなと圧倒されてから、歌もちゃんと練習して自分なりに表現していきたいという意識が芽生えて。で、これも憧れのアーティストになっちゃうんですけど(笑)、ルーサーを教えていたボイストレーナーが、アメリカで"ボイストレーニング界のドン"と呼ばれているセス・リグスという人なんです。なのでセスの著作を取り寄せて、辞書を引きながら読んだり、付録のデモCDをマネしたりして練習しました。そこからだんだんボーカリストとしての意欲も強くなっていきましたね。
伊藤祥平(いとうしょうへい)
1989年7月31日生まれ。福岡県久留米市出身のシンガーソングライター。10歳の頃、知人の影響でギターを弾き始める。エリック・クラプトンをこよなく愛し、クラプトンのルーツを探求していくうちR&B、ソウル、ジャズや黒人ブルースに魅せられ、ギターテクニックを独学で学んでいく。その後作詞・作曲を始め、14歳の頃より地元久留米を中心にライブ活動を開始。2009年からは活動の場を福岡市内や北九州などに広げ、翌年春に上京して東京での活動をスタートさせる。 2011年12月、アニメ「バクマン。」のオープニング曲に起用されたシングル「Dream of Life」でメジャーデビューを果たす。