KAMITSUBAKI STUDIOに所属する“バーチャルダークシンガー”ヰ世界情緒の2ndアルバム「色彩」がリリースされた。
シンガーとしてだけでなく、イラスト、ナレーションなどさまざまな形で表現を行うヰ世界情緒。約2年3カ月ぶりのアルバムとなる「色彩」はそのタイトルの通り、アーティストとしての表現力の幅を感じられる作品になっている。収録されているのは香椎モイミ、はるまきごはん、柊マグネタイト、廉、糸井塔、SLAVE.V-V-Rを制作に迎えた全15曲。ヰ世界情緒が初めて作詞に挑戦した「かたちなきもの」も収められている。
音楽ナタリーではヰ世界情緒にインタビューを行い、音楽の原体験や創作に対する思い、「色彩」の制作過程などを語ってもらうことで、その多彩さを深堀りした。
取材・文 / 森山ド・ロ
音楽の原体験、ルーツは
──初めに、音楽の原体験について教えてください。
「自分は音楽が好きなんだな」という感覚の始まりは、なんとなく覚えています。幼少期の体験なんですけど、小学生のときに親から携帯を譲ってもらって、その携帯の機能で何曲か曲が聴けたんですね。その中の1曲にドビュッシーの「月光」が入っていて、それを鳴らしながら小学校のグラウンドで横になって空を見ていたことがすごく記憶に残っています。目に映る世界そのものが曲の世界観を広げてくれるような感覚、あるいはその逆、音楽の没入感みたいなものを、そのとき初めて体験したんです。
──クラシックが音楽体験の始まりなんですね。
そうですね。でも、そこからクラシックの方向に趣味趣向が進んだというわけではなくて。音楽の楽しみ方というか、受け取り方として、「自分はこれが好きなんだな」と初めに感じたのがクラシックでした。
──クラシックも一応聴きつつ、という感じだった?
はい。マイナー調と言うんですかね。クラシックをきっかけに、ポップスの中でも物悲しい曲調の音楽が好きになりました。それから少し経ってボカロ曲を聴き始めたので、J-POPやクラシックを通ってきたというよりは、ボカロを聴いて育ってきた感覚のほうが強いかもしれません。
──ということは、音楽を始めるきっかけはボカロの影響が大きかったのでしょうか?
音楽を始めるきっかけといいますか、好きになったきっかけはボカロの影響が大きかったですね。当時は、サブスクが普及していなかったので、今みたいに音楽を自由に聴いたり、受け取ったりすることが難しくて。そのハードルをクリアしていたのが当時の自分にとってはボカロ曲でした。なので、ボカロに対して親しみを覚えた記憶があります。音楽活動で言うと、今とつながっているかわからないですけど、“歌ってみた”はその当時からチャレンジしていました。そう考えると、やっぱりボカロが音楽活動を始めるきっかけだったのかもしれないです。
──当時からすでに“歌ってみた”を録っていたんですね。
はい。投稿していたわけではなくて、音楽再生機器に付いていたマイクを使って録音して、自分で聴いてニヤニヤしていました(笑)。
──特に影響を受けたボカロPやボカロ楽曲は?
とにかくいろんなジャンルのボカロ曲を聴いてきて、最終的にやっぱり好きだなと思ったのは、LemmさんやMiliのメインコンポーザーとして活動している葛西大和さん、あとはELECTROCUTICAさんです。壮大な世界観のある音作りをする人たちが好きでした。もちろん動画サイトなどでのボカロ全体のランキングも毎日チェックしていて、当時はほとんどのボカロ曲を聴くくらいハマっていました。
──お話を聞く限り、デビュー前に培われた音楽の経験値やインスピレーションはボカロ文化の割合が多いようですが、そのほかに影響を受けた音楽は?
ボカロにハマって少し年月が経ってから、映画やゲームの劇伴が好きになりました。作曲家さんのことを調べたり、劇伴のアルバムを聴くようになったりして。人の声が入っていない曲というか、物語を盛り上げるための曲をよく聴くようになっていきました。最近は北欧のアーティストさんにハマっていて。北欧の少し冷たい空気感が大好きで、そういう世界観が強い音楽が好みなのかもしれません。
──デビュー後に音楽趣向に変化はありましたか?
メジャーな曲からマイナーな曲、今まで以上にジャンルレスに音楽に触れるようになりました。デビューしてから、いろんな音楽を知りたい、インスピレーションを受けて自分の作品にも反映させていきたいという思いが強くなって。あとは、デビュー後のほうが、いろいろと気に留まることが増えてきました。例えば歌詞に関しては、デビュー前はほとんど気にしてこなかったんですけど、言葉の意味合いや、アーティストさんが何を伝えたいのかをちゃんと受け取るようになりました。歌詞の面白さみたいなものに気付くようになった影響で、いろんな曲を聴き始めたのかもしれません。
──歌詞を読み解くことでより世界観が見えてきて、曲に対する理解度が深まりますよね。
そうなんですよ。宇多田ヒカルさんの曲が前からすごく好きだったんですけど、以前は歌詞よりも、音に集中して聴いていたんですね。特に「光」という曲が好きなんですが、昔は単に「曲が壮大で好き」くらいの感覚だったのが、大人になってから改めて歌詞を読んで、この曲って愛がテーマだったんだと気付いてイメージが膨らみました。自分は別の意味で受け取っていたけど、宇多田ヒカルさんの中でこの感情は愛に紐付いているものなんだなと発見できて、歌詞を読み解くことの面白さを知りました。
「絵をやっているんだから、歌はやっちゃダメだ」と思っていた
──今年で活動5周年になりますが、これまでの活動の中で特に印象深い出来事は?
ファンができるということがほぼ初めての経験だったので、自分の歌を「いい」と言ってくれる人たちがいること自体が印象深かったです。ファンの方の声を聞くことでいろいろと気付くことがあるんですよ。私は世界観の強い音楽は好きだけど、自分自身がそういう曲を歌えているのかと考えると、あまり自覚はなかったんですね。でもファンの方の声を聞いていると、自分なりのよさを表現できているんだなと気付くことが多いです。自分の知らない一面を教えてもらっていますし、逆に何をしたらファンの方たちが喜んでくれるのかなと、外側に意識を向けられていることが自分の中の変化だと思います。
──自身が思い描くアーティスト像といいますか、アーティストとしてどのように見られたいと考えていますか?
アーティスト像というより、“自分の中で作っていきたいもの”を思い描いている感じですね。でも、それにはまだまだ届いていない状況だと感じています。自分自身の実力が足りていないですし、やり遂げる精神力もまだ備わっていないなと感じることが多いです。
──創作に対して思い描いているものは、デビュー前後で変わってないですか?
変わらないですね。変わらないんですけど、自分の中で面白いと思うものをまだまだファンの方に伝えきれていなくて。例えば、こういう絵で伝えたいとか、こういう歌で伝えてみたいという理想はあるんですが、そこにはまだ届かないなという感じですね。
──イラスト関連の活動も、デビュー前からやりたいことの1つだったのでしょうか?
最初の構想としては、歌とイラストを分けて活動しようと思っていました。もともと絵と歌どちらも好きだったんですけど、絵のほうが長く慣れ親しんでいて。その中で「絵をやっているんだから、歌はやっちゃダメだ」と勝手に思っていたんです。歌はカラオケで楽しむ程度だったんですけど、環境の変化をきっかけに、歌もやってみたいなと思うようになりました。実際、表現の幅を広げることで、自分の思い描く世界観をファンの人に伝えられたり、思ってることを深く届けられると実感するようになって。なので、デビューするタイミングで、「これからも絵の活動を一緒にやっていきたいです」と自分からスタッフの方に言いました。
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自分にとって2つの大切なものが重なった