INORAN「IN MY OASIS Billboard Session」|ソロ25周年、すべては導かれるように。 (2/2)

地球人的な意識が芽生えた震災以降

──今作には古い曲から書き下ろしの新曲までまんべんなく収録されていますが、選曲の意図は何かあったんですか?

最近のBillboard公演の中で演奏した曲が多いですね。アレンジも最近のものが多いです。

──最初の2曲は2000年代の曲で日本語詞です。改めて東日本大震災前は日本語で歌っていたんだなと思いましたが、震災後に英語詞になったのには理由が?

震災前に制作を開始した「Teardrop」(2011年4月発表の8thアルバム)から英語詞になったんですけど、その前にLUNA SEAで、ヨーロッパ、アメリカ、アジアでライブをやって世界が広がったからでしょうね。ちなみに「Teardrop」のジャケットは、アメリカ・カリフォルニア州のジョシュアツリー(国立公園)で撮った写真です。その作品を作り終えたすぐあとに、震災が起こり、時が止まり……僕の中でさらに英語詞に寄っていったんです。なぜだろう? 「世界に行きたい」という思いがあったのかな。変な表現だけど、地球人的な意識、視野が芽生えたんですよね。自分のアイデンティティとは全然違うところで。それはずっと考えてたのかなあ。

──なるほど。今回のアルバムに収録された「Glorious Sky(feat.Mao Denda)」はひさしぶりの日本語の新曲ですけど、日本語にする意図は何かあったんですか?

これは葉山(拓亮)くんが詞を書いてくれたんです。その前から傳田真央さんとこの曲をやろうと思っていて、真央さんとやるんだったら英語じゃないなと思っていて。英語ができる、できないではなくて、感覚的に「英語じゃないな」と。英詞でデュエットもたくさん書いているし、「ひさしぶりに日本語がいいな」と思ったんです。けど、日本語の歌詞を書く、言葉を紡ぐことをしてない時間が長かった中で、普遍的な言葉と移りゆく言葉がものすごく変わってて……自分では難しいなと思って、葉山くんにお願いしました。

──最初は自身で書こうとしたんですか?

はい。だけど、制作期間中に終わらない気がして。やっぱり大切に紡ぎたいし、妥協もしたくなかったけど、時間との戦いがあって……昔だったら、いい意味で妥協もできたんだけど、日本語で言葉を紡ぐのは、今回は自分にとってけっこうハードだったんですよね。そんなタイミングで、「でも、待てよ」と。隣に素晴らしい歌詞を書く葉山くんがいるんだから、お願いすればいいんだと思ったんですよね。

──INORANさんのソロにおける代表曲の1つ「千年花」も作詞は葉山さんですもんね。

そうなんです。だからこそ、委ねようと。そして、葉山くんらしい、素晴らしい詞を僕の書いた曲に付けてくれました。

──でも英語詞、日本語詞についてこれだけ濃厚なお話をするのに、日本語の歌詞が書けないと思ったのは不思議というか……。

それは、そこにエゴがないからかもしれないですね。「自分で書かなきゃいけない」という考えがそもそもないし、やっぱり正直でありたいし。みんなで作れるものはみんなで作ったほうがいいと思うんです。例えば、ホームパーティで、ひさしぶりに作る料理を無理に作ろうとしてもしょうがないでしょ? 作り慣れている人が作ればいい。焦がしたりしたらパーティを台無しにしちゃうので。あとは、今を捉える日本語の言葉が見つからないかもしれないなって思っちゃったんですよね。

バラードには強さがある

──アルバム唯一のカバー曲「Time After Time」(オリジナル:シンディ・ローパー)も印象的です。この曲を選んだ理由は?

たくさんの人がカバーしてますけど、この曲は、カバーするアーティストの魅力を超える、圧倒的なよさがあって。それくらい素晴らしい曲なので、いつかやってみたいなと思っていたんですよね。

──デュエットにした理由は?

傳田真央さんがこのアルバムに参加することがなければ、この曲をチョイスしてなかったです。僕が1人でカバーしても切ないでしょ(笑)。何をやるかより、誰とやるか。そういうことなんじゃないかなと。導かれたんじゃないかなと思いますね。

──ちなみにINORANさんは、プライベートでバラードを集中して聴いたりすることはあるんですか?

このアルバムを作るときは、ノラ・ジョーンズやアデルのアルバムをたくさん聴いて、作り方を研究しました。夜に車で流しながら聴いて、浸っちゃたりして、「俺、バカみたいじゃん」って思うこともあった(笑)。でも浸れちゃうんですよね。音楽ってやっぱり偉大だなと思いましたよ。激しい曲も好きだし、パーティソングも好きだけど、もちろんバラードも好き。バラードを聴くときって、誰かと一緒に泣いたり、気持ちを吐き出したりするだけじゃなくて、すごく豊かな時間だなと思うんです。うまく言えないけど、バラードは「先」を見させてくれるものだなって。パーティソング、ロック、ハウスあたりの時系列は、「先」じゃなく、「今」なんですよ。でもバラードは、「先」とか「明日」を感じさせてくれるんです。

──なんなら老後までも感じさせてくれますよね。ちなみにINORANさんの中での究極のバラードを1曲挙げるとすると?

アンドレア・ボチェッリとサラ・ブライトマンの「Time To Say Goodbye」。あの曲はすごいなと思います。

──なるほど。改めてバラードのあるアルバムっていいなあって。しかもこのインタビューのおかげで豊かになれる、未来を見せてくれるっていうのにも気付かされました。

うん。未来が強くなる気がするんです。そのときの感情も揺さぶられる分、「明日晴れたらいいな」じゃなくて、「明日は晴れだ」って断言できるくらいの気持ちになれる。バラードを聴いてると、どこまでもいける気がするんですよ。そんな強さがバラードにはある。メロウってそういうことなんだなって思っています。

INORAN

歌とギターは違うけど一緒、一緒だけど違う

──そして改めてソロ25周年ですが、ここから先の動きは?

LUNA SEAもあるので、そちらもやりながら、1つひとつやれることをやっていく、ですかね。

──このインタビューで25年を振り返るのは難しいかもしれませんが、25年の中での転機はどこになりますか?

僕の場合、ソロだけじゃなくて、LUNA SEAもTourbillonもMuddy ApesもFAKE?も……たくさんのプロジェクトが絡んでるので、ソロだけでの転機はないですね。ただ、歌を歌い続けたこと、辞めないで、あきらめないでやってきた自分を褒めたいです。だからこそ得た風景というか、心に残る風景がたくさんある。ギターだけやってたら、今の自分はここまで豊かではなかったと思います。

──歌ってなかったらここまでアルバムは出せなかったとも思いますし。

そうですね。全然違う状況になっていたと思います。今思うと、歌に感謝しかないです。

──僕のINORANさんへの最初のインタビューは11年前なんですが、当時は「歌うのは嫌」なんて言ってましたから。

そうですね。今でも別に、率先して歌いたいという気持ちは全然ないんですよ。「歌わなくて済むなら、喉つぶれちゃえばいいのに」って冗談半分に思った瞬間もたくさんあります。だけど、この2年でRYU(LUNA SEAのボーカリストRYUICHI。声帯に静脈瘤ができたため2月に手術を行った)があんなことになって、そんなことを言ったら本当にバチが当たるなと思って。RYUのこともあって、歌えるってことはどれだけ幸せなことなのか、歌い続けるRYUのそばで歌の素晴らしさを教わったんです。僕の場合、幸か不幸か、隣にいるからRYUを目標にせざるを得ない。「歌はこういうものだ」と、いきなりRYUという高い山が隣にあって、その山に登らなきゃいけないというところで、悔しい気持ち、苦い気持ちも正直ありました。でもあきらめないで、その山を見ながら草原をゆっくり歩いて、決してまだ山頂には到達していないけど、でも、やっぱりそこに山はあるから、自分が歩いている場所のよさもわかる。だから、すごく幸せなことだなって。それが歌の人生なんだなと思うんです。これからどういうことがあるかはわからない。その土地を離れるかもしれないし、山が見えるところから離れるかもしれない。でもRYUの歌をそばで聴いて生きてきた自分の人生というのは、大それた表現だけど、幸せなことだなと思います。

──今は歌うことは好きにはなったんですよね?

いや、好きにはならないですね(笑)。歌うということに対して責任はあるから、その責任放棄はしないです。でも、「自分の声が好きか?」って言ったら、別に好きではないです。やっぱり自分の憧れる声、「こうなりたい」という声にはまだまだ遠い。これは、やっぱりこれからも続くんですよね。ボーカリスト出身じゃないし、自分の声に対して「好き」という魔法がかけられないので。

──RYUICHIさんの喉の話が出ましたが、8月26、27日に武道館で開催されるLUNA SEAの「復活祭 -A NEW VOICE-」はどんな感じになりそうですか?

まだ詳しいことは決まってないですよ。ただ、続けられることの本当の大事さを今まで以上に込めたライブができればいいなと思っています。あと、1つ言えるのは、RYUの性格だから完璧を目指そうと思って、たぶんこれから全身全霊でストイックにライブに向かっていくと思う。だからメンバーそれぞれ、何があろうと全力で支える覚悟はできています。そしてその意気込みがみんなに伝わるようなライブになるんじゃないかなと思いますね。

──ギターと歌は、何が違うと思いますか?

違うけど、一緒ですね。一緒だけど、違う。それぐらいしかわからないです(笑)。僕は幸運にもその2つをまたいで表現をしていますが、歌と言葉っていうのは、やっぱり音楽の中心にあって、ギターは情景を作る役だったりするけれど、どっちがどっちっていうことではないと思う。1つ言えるのは、これから年を重ねて、振り返ったときに「ああ、いい道だったな」と思えるような生き方をしたいですね。歌であれ、ギターであれ。

──ええ。

そのために挑戦していくことは大事だと思います。ミュージシャンなんで、そこはしっかりと行きたいなと思いますね。でも、いつ途切れるかわからないということも何度も経験しているので。だからと言ってストイックにということじゃなくて、悔いのないように、1日1日を過ごさなきゃいけないなって思います。今日で終わるかもしれないし、明日で終わるかもしれないから。恐怖ではなくて、それが強さであって、人は1人では生きてはいないから、周りの人に強さを分けることなんじゃないかなと思いますね。

──「IN MY OASIS Billboard Session」はそんな思いが詰まったアルバムですね。最後に、アルバムの話からそれますが、最近、若者がギターソロを飛ばす問題っていうのがありますが、どう思いますか?

当たり前ですが、僕は飛ばせないですね。僕は自分ではギターソロは弾かないけど、LUNA SEAの曲もそこに間奏がないと展開しないので、ギターソロは大事な要素ですよね。「あなたにとってギターソロとは?」と聞かれたら、僕は、「SUGIZO」と答えるでしょうね(笑)。

──ただ世の中的には、最近ギターソロが入ってる曲は減ってきているんだそうで。

みんなサビしか聴かないんでしょ? で、思ったんですけど、全部サビの曲を作ったらいいのかなと。サビが来て、次もその次もサビの、全部サビの曲(笑)。「さあこれを飛ばせるか!」っていうね。

──それで言うと「IN MY OASIS Billboard Session」は、そこに対するアンチテーゼでもありますよね。イントロに優雅にバイオリンが流れてたりするわけですから。

こうなったら、次のBillboardのライブは全部サビでいきます(笑)。サビしかやらないですよ。いきなりサビ始まりで、倍速でやってライブ10分ぐらいで終わりにしよう(笑)。

──(笑)。次のINORANのソロアルバムが本当にそうなってたりして(笑)。

僕の次のアルバムは、全部サビで倍速です(笑)。タイトルも「THE SABI」にして(笑)。でも本当に誰か作るかもしれないですね。そして、こんなふうに音楽のことをあれこれ想像して語るのは、それだけで楽しいですよね。

INORAN

ライブ情報

IN MY OASIS Billboard Session

  • 2022年7月9日(土)東京都 Billboard Live TOKYO
    [1st]OPEN 15:30 / START 16:30
    [2nd]OPEN 18:30 / START 19:30
  • 2022年7月10日(日)東京都 Billboard Live TOKYO
    [1st]OPEN 15:30 / START 16:30
    [2nd]OPEN 18:30 / START 19:30
  • 2022年7月27日(水)神奈川県 Billboard Live YOKOHAMA
    [1st]OPEN 16:30 / START 17:30
    [2nd]OPEN 19:30 / START 20:30
  • 2022年7月28日(木)神奈川県 Billboard Live YOKOHAMA
    [1st]OPEN 16:30 / START 17:30
    [2nd]OPEN 19:30 / START 20:30
  • 2022年8月2日(火)大阪府 Billboard Live OSAKA
    [1st]OPEN 16:30 / START 17:30
    [2nd]OPEN 19:30 / START 20:30
  • 2022年8月3日(水)大阪府 Billboard Live OSAKA
    [1st]OPEN 16:30 / START 17:30
    [2nd]OPEN 19:30 / START 20:30

プロフィール

INORAN(イノラン)

1970年生まれ、神奈川県出身。ロックバンドLUNA SEAのギタリスト、コンポーザーとして、1992年にメジャーデビュー。1997年にソロアルバム「想」でソロ活動を開始。2000年のLUNA SEA終幕以降、本格的にソロ活動をスタートさせ、2002年にはロックユニット・FAKE?を、2005年にはRYUICHI(河村隆一)らとロックバンド・Tourbillonを結成。2010年のLUNA SEA再始動後も、2012年に結成したMuddy Apesなど、活動の幅を広げる一方、ソロ名義でもアルバムのリリースを重ね、ライブツアーで各地を回るなど精力的な活動を展開。コロナ禍の影響でライブの中止・延期を余儀なくされるも、2020年9月に「Libertine Dreams」、2021年2月に「Between The World And Me」、10月に「ANY DAY NOW」とソロアルバム3作品を続けてリリースした。2022年3月には2021年9月に開催したソロでの有観客ライブの模様を収録した映像作品「INORAN -TOKYO 5 NIGHTS- BACK TO THE ROCK'N ROLL」を発表。6月にソロ活動25周年を記念したライブレコーディングアルバム「IN MY OASIS Billboard Session」をリリースした。7、8月には東京、神奈川、大阪のBillboard Live3会場にてライブ「IN MY OASIS Billboard Session」を開催する。