インナージャーニー インタビュー|自分たちの外側へ思いを向けた、名刺代わりの1stアルバム

インナージャーニーが9月7日に初のフルアルバム「インナージャーニー」をリリースする。

2019年10月、「未確認フェスティバル」への出場をきっかけに結成されたインナージャーニーは、シンプルなバンドサウンドと柔らかくも芯のあるカモシタの歌声を武器に、結成3年にして多くのリスナーを獲得している。アルバム「インナージャーニー」には、死生観を軽やかにつづった代表曲「グッバイ来世でまた会おう」をはじめとした既発曲に新曲6曲を加えた計10曲を収録。これまでリリースされた2枚のEPの延長線上にありながらも、音楽性の広がりを見せる新曲群が加わったことで、インナージャーニーというバンドの輪郭がはっきりと浮かび上がっている。

本作の発売を記念して、音楽ナタリーはメンバー4人にインタビュー。アルバムの制作背景や、インナージャーニーというバンドの実態に迫った。また特集の後半では、各メンバーのルーツとなった楽曲を本人たちのコメントとともに紹介する。

取材・文 / 石井佑来撮影 / 小財美香子

「ここからどうすればいいんだろう」という気持ちがずっとあった

──2019年10月に結成されてから約3年が経ちましたが、この3年間は皆さんにとってどのような期間でしたか?

カモシタサラ(Vo, G) 結成当初は私が1人で作った曲をみんなに演奏してもらうような形だったんですけど、そこから徐々にバンド全体で曲を作っていくようになっていって。その変化は大きかったと思います。ただ、ちょうど私たちがバンドらしくなってきたタイミングでコロナ禍になってしまって、ライブがあまりできなかったんですよ。だからこの3年間は、外の世界を知るよりもメンバー同士の関係性を深めていくような期間でしたね。

とものしん(B) 周囲のバンドや環境に影響されることなくインナージャーニーというバンド像を固めていくことができたのはよかったと思います。1st EP(2020年12月リリースの「片手に花束を」)の頃はカモシタが1人でやっていた時期の名残が強かったけど、2nd EP(2021年9月リリースの「風の匂い」)でようやくバンドになれたという感覚があって。ある意味そこで初めてスタートラインに立つことができたのかなと思います。

Kaito(Dr) サラちゃんが言うようにコロナ禍でライブをあまりできなくなってしまったんですけど、そんな中でも自主企画やツーマンライブなど自分たちにできることを少しずつやっていって。最初に4人で集まったときとはまた違う形に変化していきながらも、少しずつ前に進めているような感覚はありますね。

本多秀(G) 自分にとってこの3年間は、いろんなことをインプットした期間という側面も強くて。今回のアルバム制作にあたっても「サウンド的にもっと面白いことできないかな」という挑戦を自分の中でしていたんです。それができたのはこの3年間で各々がいろんなことをインプットしてきたからでもあると思っていて。なので、そういう意味でも今回のアルバムは、これまでの3年間が形になった作品になっているんじゃないかなと。

インナージャーニー

インナージャーニー

──結成から3年で1stアルバムをリリースしたり、10月には渋谷duo MUSIC EXCHANGEでワンマンを開催したりと、はたから見るととても順調なペースでここまで来ることができたのかなと思うのですが、結成時に思い描いていたビジョンと比べていかがですか?

とものしん もともと僕らはカモシタが「未確認フェスティバル」に出るためのサポートバンドとして結成されたので、初めてのライブがduoで行われた「未確認フェスティバル」の予選だったし、2回目はコースト(東京・STUDIO COAST)での最終審査だったんですよ。そんな形でいきなり憧れの舞台に立ったもんだから、「ここからどうすればいいんだろう」という気持ちが個人的にはずっとあって。なので、明確なビジョンみたいなものを持たないまま、手探りでここまで来ちゃったんです。1度だけ、1年後までの計画を立てたことがあったんですけど、その直後にコロナ禍になって、計画もすぐに崩れてしまったし。

Kaito そもそも僕らはそれぞれのルーツや目指している音楽性も違えば、憧れている場所も違うので、目標を共有しづらいんですよね。明確な目標を設けることで、それが縛りになってしまうというか。だからこそ、目の前のできることをやり続けてきた結果として、こうしてduoでワンマンをやらせてもらえるぐらいのところまで来られるようになったんだと思います。

“andymoriフォロワー”でい続けるわけにはいかない

──先ほど、この3年間でバンドが変化していったというお話がありましたが、バンド内だけでなく、外側からの認知のされ方などにも変化は感じていますか?

Kaito 名前だけでも知っているという人が徐々に増えてきて、インナージャーニーという存在がそれなりに広まりつつあるのかなというのはなんとなく感じています。ただ、最近僕らについてくれたスタッフが、もともとインナージャーニーのことを知らなかったらしくて。その方が、6月のライブで吉祥寺WARPがパンパンになっているのを見て「あ、すごいんですね」と言ってくれたんですよ(笑)。だからそういう実績を積み重ねていくしかないですよね。

──周りからの認知という部分でお聞きしたいんですが、そもそもインナージャーニーというバンド名がandymoriの楽曲のタイトルから取られているというのもありますし、ご自身で影響を公言されているということもあって、“andymoriフォロワー”として認識されることも多々あると思うんです。そこに対してはどのような意識を持っているんですか?

とものしん 特に僕とカモシタはandymoriが大好きなので、自分が好きだったものに「雰囲気が似てる」と言われるのはうれしいですよ。ただ、「これは明らかにandymoriっぽくなくない?」という曲も「andymoriを感じる」と言われることがあって。そういう反応を見ると、一度付いた印象を払拭するのは難しいなあと感じますね。音楽を人に薦めるときって、「この曲、誰々の曲が好きなら好きだと思うよ」とレコメンドすることが多いと思うし、そうやって自分たちの曲が広まっていった部分もあると思うので、ありがたいことではあるんですけど、いつまでも“andymoriフォロワー”でい続けるわけにはいかないというか。そう思われているうちは、結果的に小山田(壮平)さんの力を借りている状態になってしまうので、バンドとしてあまりよくないのではないかなと。

カモシタ 作った曲をメンバーに渡したときに「これはandymoriすぎる」と言われることがあるんですよ(笑)。自分たちの色を出すためにもアレンジで雰囲気を変えてもらったりすることは多くて。

カモシタサラ(Vo, G)

カモシタサラ(Vo, G)

本多 「andymoriにもう1人ギターがいたとしてもこれは絶対にやらないだろうな」みたいなフレーズを意識的に入れたりしてるからね(笑)。わざと遠いところに離していくというか。

Kaito もちろんみんなandymoriは好きだけど、それ以外にもいろんな音楽をルーツに持っているので、僕自身はあまりそこは意識せずにやっているし、それでいいのかなと思ってますけどね。

これが今の僕らにとってのベストアルバム

──皆さん20代前半ということは、ストリーミングサービスが当たり前のように身近にある“サブスクネイティブ世代”ですよね。「サブスクが浸透してアルバム単位で音楽を聴かなくなった」というような言説もありますけど、実際のところ皆さんはアルバムというフォーマットにどのような意識を持っているのでしょうか。

カモシタ 私はアルバムの1曲目から最後まで全部通して聴くことが多いですね。サブスクで曲を聴くときも、1曲単位で聴くことはあまりないかもしれない。

とものしん カモシタっぽいね。

──とものしんさんは楽曲単位で聴くことが多いですか?

とものしん もちろんアルバムを通して聴くこともありますけど、好きな曲のサビだけを聴いて満足することもよくあります。

Kaito 僕はバンドをやる前までEPという存在すら知らなかったんですよ(笑)。それくらい作品の形態に無頓着というか。でもそれが僕ら世代のリアルでもあると思うんですよね。

とものしん バンドをやってる人間ですらそんな感じなんだから、一般のリスナーの9割はアルバムを通して聴くなんてことしてないんでしょうね。でもそれはそれとして、やっぱりアルバムを作りたいという思いに変わりはなくて。1曲単位でいい作品を作ることも大切だけど、それを何曲も重ねることでさらにいい作品にすることができるかどうか。そこにバンドの力量がはっきり出ると思うんです。なので、基本的には全曲通して聴いてほしい。通して聴いてもそこまで苦痛じゃない作品になっていると思うので(笑)。

インナージャーニー

インナージャーニー

──1stアルバムを作るにあたって、どのような作品にしたいかというイメージはありましたか?

とものしん 1stアルバムって、それまでにできた楽曲すべてが収録曲の候補になるので、ベストアルバム的な側面もあるというか。これが今の僕らにとってのベストアルバムであり、インナージャーニーの名刺代わりになる作品だと思います。ジャケットにメンバーの顔も描かれていますし、タイトルも「インナージャーニー」ですし。このアルバムを聴けばインナージャーニーがどういうバンドかわかるような作品になっているかなと。

本多 僕は今回のアルバムをセルフタイトルにするのは反対だったんですけどね……。

──それはどういう理由で?

本多 もっとバンドの規模が大きくなってから「インナージャーニー」というアルバムを出したほうがカッコいいんじゃないかと思って。僕は「始まりの終わり」というタイトルを提案していたんですけど、まあ結果的に「インナージャーニー」になっちゃいました……。

一同 (笑)。

とものしん めちゃくちゃ妥協してるじゃん(笑)。

Kaito 結局僕らはこういうバンドなんですよ。みんなの意見がバラバラで、ときにぶつかったりしつつもその都度折り合いをつけながらやってるんです。

きれいに歌うことがすべてではない

──各楽曲についてもお聞きしたいんですが、1曲目の「わかりあえたなら」を聴いた瞬間にカモシタさんのボーカルの表現力がすごく向上していることを感じました。以前読んだインタビューで「感情を抑えた歌のほうが聴いてくれる人の心にすんなりと入ると思っていた」とおっしゃっていましたが、それで言うと「わかりあえたなら」はわりと感情を表に出しているのかなと。

カモシタ 「わかりあえたなら」は、個人的にアルバムの中でも思い入れが強い曲で。普段はぶっきらぼうに歌うことが多いんですけど、この曲に関してはもう少し気持ちを強くぶつけたほうがいいんじゃないかなと思って歌いましたね。ただ「わかりあえたなら」に限らず、今回のアルバムはボーカルでいろんな表情を見せることを意識していました。

──皆さんは“ボーカリスト・カモシタサラ”についてどういった印象を持たれていますか?

Kaito 声がかなり特徴的で魅力的だと思いますね。

Kaito(Dr)

Kaito(Dr)

とものしん 僕もカモシタのよさは歌のうまさというより声だと思っています。カモシタより技術的にうまいボーカリストはいくらでもいると思うんですけど、「やっぱりカモシタが作る曲は本人が歌うのが1番いいな」といつも思うんですよね。そういう意味ではすごくいいボーカリストだと思っています。

カモシタ 歌がうまいに越したことないとは思うけど、きれいに歌うことがすべてではないと思うので、「うまさだけが正義じゃねえぞ」っていうところを見せられたらと思います。

Kaito そういうサラちゃんだけが持つ個性を、インナージャーニーにうまく取り入れながらやっていければいいですね。