俳優・声優の伊波杏樹が1stフルアルバムをリリース、あらゆる経験が循環して生まれた10編のストーリー (2/3)

手を差し伸べ合えるような関係でありたい

──時系列が前後してしまいますが、初めて作詞をしたのは5曲目の「An seule etoile」なんですよね?

はい。アルバムの新録曲の作詞は「I Copy ! You Copy ?」が最初だったんですけど、初作詞は約1年前、去年のクリスマスに発表した「An seule etoile」になります。「An seule etoile」はコロナ禍で皆さんに誓いを立てるような歌になったんですが、正直、作詞をしたとは思っていなくて、これは私からのお手紙のようなものでした。

──今作には「An seule etoile」を含む3曲のバラードが収録されています。1曲目「『もし叶うなら』 25 years old」はピアノ伴奏のみ、5曲目「An seule etoile」はそこにチェロが加わり、9曲目「I promise you…」ではピアノと弦楽四重奏と、人は増えているけれどアレンジの方向性は同じ。しかしボーカルのアプローチはそれぞれ違いますね。

自分の中で作り上げた楽曲ごとの主人公が異なるので、そう感じていただける仕上がりになったんだと思います。「An seule etoile」が伊波杏樹から皆さんへのお手紙という立ち位置だとしたら、「『もし叶うなら』 25 years old」は日記のような成長を遂げている曲で。

──「『もし叶うなら』 25 years old」は2枚目のCDに収録された、多田さんが作詞も手がけた「もし叶うなら」のセルフカバーになりますが、「25 years old」が今おっしゃった「成長」にかかっていると。

当時と今とでは見ている景色が明らかに変わっているというか、大人びたものになっていて。バックの音もナチュラルでウッディで、ちょっとビンテージ感のあるものにしているんですけど、25歳になって、私もそんな色合いが似合うようになってきたかなと。特に20代前半は、常に焦っていたように思います。舞台のオーディションで年齢を言うときも、自分より若い年齢を耳にすると焦りが湧く自分がいて。

伊波杏樹

伊波杏樹

──はい。

でも今、振り返ってみると、そんな時期でも1年1年、同じことをしていた年なんてなかったし、自分の座右の銘として掲げている「日々精進」という言葉に正直に生きられていた。それから月日と経験を重ね、だんだんと視界が開けていって「今の自分だったら、ここからは自由に飛び出して挑戦していけるな」と思えたんですよね。そう思えたのは、皆さんがいつも声で、言葉で思いを伝え続けてくれたから。皆さんが、出会った役が、私をポジティブにしてくれたのなら、私も同じような存在でありたい。人は誰しも沈むときは沈むし、それはどうにもならないかもしれないけれど、そうなったときにお互いに手を差し伸べ合えるような関係でありたい。そういう気持ちで歌いました。

──メロディも歌詞も決して明るくはありませんが、歌声は優しいですね。

すべてを照らすような光というよりは、暗闇の中でもそっと寄り添う光みたいな。でも、そういう光こそ大事だなって。

「なんか知らないけど元気ハツラツ」という伊波杏樹像

──もう1つのバラード「I promise you…」は、よりエモーショナルに歌い上げていますね。

「I promise you…」の歌詞は自身の体験がモチーフになっています。これは聴いてくださった方それぞれの解釈がすべてです。生きていれば誰にでも起こり得ることを歌っていて、例えば、誰かに手を差し伸べられてもその手を取れないタイミングもあれば、一歩踏み出そうとしても足が前に出ないこともある。それも人だから仕方がないし、そんなときにこの曲でそっと寄り添えたらいいなと思っています。

──僕は「失恋の歌かな?」と思いましたが、この歌詞には普遍性があるというか、より広い解釈もできますね。

恋愛と捉えてもらってもそれは正解で、私は今それを聞いて「面白い!」と思いました。

──ということは、伊波さんは恋愛に絡めて歌詞を書いていなかった?

はい。でもきっと、人が人を思いやる気持ちって“愛”だと思うんです。恋愛だろうが家族愛だろうが、あるいは友情であっても、どこへでも通ずるんだなと、今、とてもワクワクしました。

──これら3曲のバラードはアルバムの軸になっていると同時に、いいアクセントにもなっていますね。ある意味ニュートラルなボーカルが要所で差し込まれることによって、それ以外の曲の振れ幅の大きさも際立つし、メリハリも付く。

こういうバラードがアクセントになるというのは、私の強みかもしれないと思いました。声優のお仕事もさせていただいているからこその“声”と表現で、伊波杏樹としての歌の世界を広げていけたらと思っています。

──例えば「暗闇の中でもそっと寄り添う光」と表現した1曲目の「『もし叶うなら』 25 years old」に続く2曲目「GOOD LUCK, の HANDSIGN」は曇りなくハッピーなディスコナンバーで、コントラストが鮮やかです。

「GOOD LUCK, の HANDSIGN」は、晴れた日のお散歩のときに聴いていただきたい楽曲です。清々しいというか健やかというか「なんか知らないけど元気ハツラツ」という伊波杏樹像を、皆さん持っていると思うんですね。それは特にレギュラーのラジオ番組で顕著なので、この曲は、ラジオで伊波がはしゃいでいるのを普段から聴いてくれているリスナーさんにはしっくりくるんじゃないかなって。

──「イヤなことは全部おいて 楽しもう!この日を」という歌詞に象徴されるように、難しいことは何も言っていない。

その1行、めちゃくちゃ伊波杏樹だと思います。日常生活の中で、悩んでもしょうがないことってあるじゃないですか。そういうときにこの曲を聴いて「伊波、元気だな」「悩むことを1回やめよう!」みたいになってくれたらうれしいです。

伊波杏樹

伊波杏樹

伊波杏樹

伊波杏樹

ビデオテープの匂いが好き

──3曲目「Dubbing Water」でまた雰囲気が変わりますが、まず「Dubbing Water」という曲名がカッコいいですね。

ありがとうございます! もう、これ以外は考えられなかったんですよね。この曲は歌詞を書いたというよりは、降りてきたという感じに近かったです。多田さんとデモを聴いていたら「あんちゃん?」と呼ばれてハッとして。気付いたら、そのとき手元に男性の言葉で書かれた私の手書きのメモが残っていたんです。

──へええ。

それってたぶん役者をやっていたから降りてきたものなのかなと。私は小さい頃からそもそも海の思い出ってあまり多くなくて、砂浜を踏んだ経験もそんなにないんですよ。でも、なぜかそこでその男性がどんな空気を吸って、何を感じたときに時が巻き戻ったりするのだろうかということを考えていたんです。男性と女性で互いに思いやる方法やその答えがあると思うんですけど、私はどちらも素敵だと思うし、この歌詞は主人公である男性のあふれる気持ちを筆圧濃く綴ったような感覚でした。そこにどんなタイトルがふさわしいか考えたとき、私はビデオテープというものに思い入れがあって。

伊波杏樹

伊波杏樹

──「Dubbing」といえば、ビデオテープやカセットテープに映像や音楽を複製する行為が浮かびます。

そう、私は小さい頃からディズニー映画とかをビデオテープで観ていたんですけど、あのテープが回りきったあとの匂いが好きで。

──わかります。ちょっと温まった匂いですよね。

そうそう。もうめったに嗅げないんですけど、私にとっては子供の頃の記憶を呼び覚ましてくれる懐かしい匂いというか。私は一人っ子なので、家に1人でいるときはディズニー以外にもいろんな映画を観て、たくさんインプットしてきたんです。それはビデオテープの匂いとともにあったんだなって。

──「Dubbing Water」は伊波さんのボーカルも素晴らしいです。トラック自体は大胆な展開もなく、平坦と言ってもいいと思うのですが、それを逆手に取るように特に2コーラス目では歌でグラデーションを付けていて。

そう言っていただけて、とてもうれしいです。多田さんは「これが採用されると思わなかった」とびっくりしていたんですよ。私としては最高の1曲ができたと思っていて、レコーディングでも主人公の人物像と自分をリンクさせて歌ったような感覚があります。そうしたら多田さんに「あんちゃんの作った歌詞と歌に息を吹き込んでもらった」と言ってもらえて。正直、自分の歌声には特徴や味がないとずっと思い続けていたんですが、この「Dubbing Water」で1つ吹っ切れた気がするし、アーティストとしての伊波杏樹を象徴する曲になったという自負があります。「私、こんな歌も歌えるんだ!」って。