音楽ナタリー Power Push - いい音で音楽を

special interview小西康陽 わたくしの“いい音”体験

レコードからCDへ

──小西さんはピチカート・ファイヴの活動初期に、レコードからCDに切り替わる変化をアーティストとして体験していますよね。移り変わりの時期には「アナログのほうが音がいい」という意見もありました。

それはね、僕もなんとなくは思っていたけど、はっきりとそう感じたことはなかったんですよ。

──ピチカートはCDが主流になった90年代にもアナログを出し続けていましたが、それは「いい音」とは別の観点ですか?

レコードのほうが聴き慣れた音だし、判断がしやすいし、それ以上に扱いやすいから僕はただレコードばかり集めていたんですけど、今回「カップルズ」と「ベリッシマ」のリマスタリングをやってみて、初期のCDはまだまだ未開発だったんだなと気付きました。特に何かを大きく変えたわけじゃないんですけどね。聴き比べてみると昔のCDには、当然入るべき領域の周波数の音が入っていなかった。

──ピチカートとCDの関係としては、「カップルズ」「ベリッシマ」の次に登場したアルバム「女王陛下のピチカート・ファイヴ」(1989年7月発売)の話題はやはり欠かせません。あのアルバムは、A面 / B面の概念を覆す構成、透明ケースを有効活用したアートワークなど、CDを前提に作られた作品でした。

小西康陽

「このメディアに早く慣れなきゃ」と思ったことが大きかったですね。

──デザインを手がけたのは信藤三雄さんですが、プラケースの中にまでデザインを施すというアイデアは小西さんの発案だと信藤さんはおっしゃっていますよね。

打ち合わせのとき、進行担当の方がたまたまCDのサンプルとして持ってきていたのが、透明のプラケースを使った南佳孝さんのCDだったんですよ。ただ、そのCDは、トレイの中に紙が入っていなかったんです。

──透明なままのプラケースで、中のCDが丸見えになっているような。

そうそう。それで「この透明なケース、中に紙を入れてもいいんですよね?」って話をして。

──底面にもデザインできるんじゃないかと。

そこから始まったんです。でも、あの透明なケースを見れば、僕が言い出さなくてもきっと信藤さんはそうしてたと思いますよ(笑)。

「問題ないです」

──先日の発売記念イベント(参照:小西康陽が明かす“ポップスの水先案内人”長門芳郎の「銅像作るレベル」の功績)では、リマスターの際に「吉田保さんが手がけたオリジナルマスターの音のよさに驚いた」とおっしゃってましたよね。詳しく聞かせてもらえますか?

何十年も経った作品だから、ほとんど他人のような気持ちで聴いたんですよ。そしたらあまりにも音がよくてびっくりした。結局音楽を作った僕たちは、自分の音楽のある部分しか聴いてないんですね。枝葉の部分と言うのか、自分が気になっているところ、弱いと思っているところしか聴いてない。全体のバランスで音楽を聴くことが、まだできていなかったんだなって。エンジニアの人はもちろん音楽的な素養もあるんだけど、それ以上に品質管理の部分でも厳しい耳を持っているんです。

小西康陽

──なるほど。

ミュージシャンなら、自分が作った音楽はできるだけ大きく力強い音で入れたいでしょ。でも、アナログ盤は特に、限度を超えた大きい音だとエラーが出てしまう。いい音だけど針が飛ばないように細心の注意を払ってカッティングしているから、すごくクールなんです。「カップルズ」と「ベリッシマ」のアナログカッティングはソニースタジオの笠井鉄平さんという有名な方が手がけたもので、当時お話をした記憶があるんですけど、すごく印象に残っているのは「問題ないです」という言葉で。

──「いい、悪い」ではなく「問題ないです」。ミュージシャンが使う用語ではないですね。

どんなにいいアルバムでも、問題があっちゃいけないわけで。製品盤を作るうえで「問題ない」って、当たり前だけど大事なことなんですよ。問題が起こらないよう、ミュージシャンも従わなくちゃいけない。DJも同じで、激しい音をより激しい音で聴かせたくても、レベルメーターが赤くなっちゃいけないというせめぎ合いがあって。

日本と西洋では違う「いい音」「悪い音」の感覚

──マスタリングの際には、エンジニアの判断に対して小西さんから意見を出すこともあるんですか?

あります。でも、ミュージシャンの意見を反映するのは基本的にミックスダウンまでだと思うし、マスタリングで大きく変えたりはしないように……と最近は思っているんですけどね。ピチカート・ファイヴのときはそうでもなかった(笑)。

──エンジニアにお任せということは、エンジニアに対する信頼も大事ですよね。信頼できないエンジニアに当たることもあるんですか?

やっぱりどうしても肌の合わないエンジニアはいますよ。それはたぶん、音楽に対する考え方が基本的に違うんだと思う。すごく大好きな音楽をやっている人が、僕の肌には合わないエンジニアと組んでいることもあるし、人それぞれなんだよなあ。音楽的なところも、オーディオ的なところも、それぞれの……美意識と言えばきれいだし、先入観とも言えるかな。それはあまりにも大きいでしょう? 僕は小さなイヤフォンで音楽を聴こうと思わないけど、あれはあれでみんな音の違いを聴き分けて使っているはずだから、それがわからない自分はその点においては感性が鈍いんだなと思うし。すべての音楽をパソコンで、ラップトップで完結させている人もいるけど、それはそれでアリだと思うんですよ。昔からの「いい音」だけでは測りきれない時代になっているんじゃないかなあ。

──立派なオーディオルーム、立派な音響機器をそろえたものが「いい音」とは限らないと。

うん。僕の実家のオーディオ機器がある部屋は残響がすごくて、ジャズを聴くと音が回っちゃうんですけど、それはそれでいい音なんですよ。「いい音」「悪い音」の感覚の歴史をさかのぼっていくと、日本と西洋の違いってあると思うんですね。日本の部屋は木と紙でできているから、だいたいそんなに響かないんです。湿度も高いし。一方で、西洋のキリスト教圏には教会音楽があって。

──ああ、パイプオルガンは教会の残響音ありきの音ですよね。

その違いがあまりにも大きい。古い日本映画の痩せたストリングスを聴くと「うわあ、貧しい!」という気持ちになるけど(笑)、観ているうちに慣れちゃうんですよ。ずっと日本に生きている人には、エコーのかかりすぎた音は違和感があるし、西洋の人たちは逆に日本の乾いた音に違和感があるかもしれない。ピチカート・ファイヴの頃は、普通の音量で聴いたらドライに聞こえる、でも爆音で聴くとエコーがかかっているのがわかる、くらいの感じが好きだったんですよ。でも今はね、家ではあまり大きい音で聴きたくなくて。小さな音で聴いたときに心地よい音楽が好きですね。


2016年12月21日更新