三児の父母である佐藤良成(Vo, G)と佐野遊穂(Vo, Harmonica)の生活スタイルに合わせ、2019年の1年間限定で「平日しかライブをしません」宣言をしたことで話題を呼んだハンバート ハンバート。昨年から今年にかけてはライブ音源によるバラードべスト盤「WORK」のリリースやアニメ「映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説」「プリンセスコネクト!Re:Dive」への楽曲提供など、マイペースながらも積極的に活動を展開してきた。そして今年10月にリリースされた3年ぶりのオリジナルアルバム「愛のひみつ」は、さまざまな形の“LOVE”を表現した1作となった。音楽ナタリーではこのアルバムの発売を記念し、佐藤と佐野に制作時のエピソードや、このテーマを掲げた経緯を聞いた。
さらに特集の後半では、スペースシャワーTVにて12月11日(金)に放送される特別番組「ハンバート ハンバート 愛のひみつ SPECIAL」を紹介。お笑いコンビ・阿佐ヶ谷姉妹をゲストに迎えた収録現場の模様をお届けする。
取材・文 / 桑原シロー(P1、2)、高橋拓也(P3) 撮影 / 星野耕作
意見を取り入れても、結局はハンバートらしいものに落ち着く
──「愛のひみつ」というタイトルといい、今回のアルバムはいつになく勢いを感じさせるところが頼もしいなあと思いました。アルバムを貫くテーマはズバリ“LOVE”ということですが。
佐藤良成(Vo, G) 今年はオリジナルアルバムを出そうということで、去年の秋頃に7、8割ぐらい曲ができたところでスタッフと会議したんです。そうしたら「“愛”がテーマになっているのではないか」という声が出まして。決してそういうつもりで作ったわけじゃなく、並べてみたらそういうテーマになっていることに気付いたんですけど。
──なぜそういう傾向の曲が多くなったのでしょうか?
佐野遊穂(Vo, Harmonica) 活動初期からハンバートに関わってきたマネージャーが去年亡くなったんです。古くからの友人でもあった彼の病気が3年前に判明してから、治療する様子をずっと見守ってきたんですが……。「愛のひみつ」には、その期間に生まれた曲が多く収められているんです。
佐藤 その3年間の経験で得たものの影響が大きいと思います。
──そうでしたか。一方で、はつらつとしたバンドサウンドを聴かせる、躍動感にあふれた曲が多いですよね。その方向性も早い段階から定まっていたんですか?
佐藤 なんとなくありました。ただできたものを並べていった結果こうなった、という感じのほうが強い。それからある程度曲が集まったうえで、「ここにはこういう要素が足りないから、こういう配役が必要だな」というように整えていった結果、バラエティに富んだ内容になったところもあります。アニメ作品に提供した曲のセルフカバーも2つほどありますし。
──「映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説」のエンディング主題歌「マイ・ホーム・タウン」と「プリンセスコネクト!Re:Dive」のエンディング主題歌「それでもともに歩いていく」ですね。
佐藤 そうです。いつもそうなんですが、自分のための曲だと思いながら作ると、ポップにしきれないというか、ちょっとブレーキがかかっちゃう。要は渋い方向に進んじゃうわけです。
佐野 渋さにはあまりブレーキがかからないもんね。
佐藤 パーン!とはじけるのが恥ずかしいというか。できることならどんどん渋くしちゃいたくなるんですね。でもアニメの主題歌のオーダーを受けて作ってみたら、普段とは違う方向に振り切ったタイプの曲ができあがったんです。とはいえ、アレンジも終えて完成してみると、いつもの曲とさほど変わらないものになってしまったんですが、少し躍動感が加わったぐらいの変化を出すことはできた。そんな経験を経て、人のリクエストや意見を取り入れて作ろうが、結局のところハンバートらしいものに落ち着くんだなって気付き、安心しましたね。昔は「あまりお手本を元にして作ってはいけない」とかこだわっていたけど、「これだ」と思うものをやろうとすれば、何かを真似しようとしても、おのずと自分らしいものができあがるんだとわかった。
佐野 自分たちのオリジナルアルバムに入れる曲、という意識が働くと、必要以上に肩に力が入ってしまうみたいで、意図せずズシッとくる、重い曲ができあがったりするんです。「ハンバートは好きだけど、聴くときの精神状態を選んじゃう」という意見をたまにネット上で見かけるんですけど、そういう曲のことを指しているんだろうなって。
佐藤 うんうん。
佐野 だからオーダーされた内容に忠実に従ってみる、という新しい試みのおかげで、従来の自分の世界との距離感がいい具合になった部分もあって。こういうのもアリなんだなってわかったし。
──躍動感に加えて開放感も感じられるところが「愛のひみつ」の大きな魅力ですが、自分自身の表現を制約なく出してみたことも少なからず反映されていたんですね。
佐藤 ブレーキをかけずに、もっと気持ちいい感じにしようと意識したことが関係していると思います。
予想外の状況だからこそ、ゆっくり制作できた
──今年に入ってできた曲はどれですか?
佐藤 「手のひらの中」と「ぼくらの魔法」、それから冒頭のインスト曲「恋は綱渡り」ですね。
──書いたのは新型コロナウイルス感染拡大を受けての緊急事態宣言より前?
佐藤 実は今年の頭頃にはもう完成してまして。“LOVE”というテーマが出たあと、「こういう曲があったらいいな」と思って作りました。
──レコーディング期間はいつからいつまで?
佐藤 今年の3月から5月の間ですね。当初その時期はツアーの予定があって、その合間を縫ってレコーディングを行う計画だったんですが、ライブがすべて中止となり、思いのほか曲作りにかける時間ができてしまいまして。ドタバタした状況でやるはずが、ゆっくりじっくり自宅の仕事部屋でアレンジを練ることができたんです。
佐野 当初の予定を変えざるを得なかったけど、ドラムとベースの録音のスケジュールがちょっと変わったぐらいで。私の歌は主にエンジニアさんのおうちのスタジオで、密を避けながら録りました。
佐藤 「この時期だからこそ音楽を作らねば」と考えた人も多いと思うんですが、僕たちの場合、ほとんどの楽器を自分で演奏しようと計画していたので、予定を大幅に変更せずに済んだんです。「3月から録音していかなきゃな」と思っていたところ、緊急事態宣言によって時間に余裕ができ、1回録ったものを改めてやり直したり、試行錯誤を重ねることができた。あとはリモートでもいろんなことができるとわかったし、困ることはありませんでした。
──これまで以上に選択肢が増えたんですね。それから本作は則竹裕之さん、朝倉真司さん、久下惠生さんの3名のドラマーがレコーディングに参加しているのも大きな特徴となっていて。
佐藤 曲のテイストに合わせて人選を行った結果ですね。
佐野 曲がバラエティ豊かにある分、それぞれの場面で欲しいテイストが違ったので。
佐藤 もともとは「全曲同じメンバーでセッション形式で制作するのが形としてはカッコいい」と考えるタイプだったんですが、それってこちらの勝手なこだわりだと気付いたんですよ。聴くほうはリズムがいい具合に鳴ってくれさえすれば、それでいいはずだと。自分の好きなアーティストの作品がセッションスタイルを採用しているものが多いとはいえ、今回1人のドラマーがすべての曲を叩き分けるのはちょっと限界があるなと感じたし。
戸惑いを乗り越えて生まれた力強さ
──方法論に変化が及んだ理由として、じっくりとプロダクションワークに時間をかけたことも影響していたわけですね。
佐野 それも楽曲提供の仕事の影響が大きくて、自宅でじっくりデモ音源を作るようになってからなんです。最初は大変だったみたいだけど、次第に慣れてきて。ね?
佐藤 そうだね。5年ぐらい前まで、家では多重録音の作業すらほとんどやらなかった。デビュー以来長いこと、ひとところに集まってセッションしながら音楽を作っていく方法を続けてきたんですけど、子育てなど家庭の事情もあって、そういう時間がなかなか作りづらくなって。つまり必要に迫られてやり方を変えざるを得なくなったんですけど、実際やってみたらすごくよかったんですよね。
──そうでしたか。煮詰まったりはしなかった?
佐藤 スタジオとか、一緒に作業する人がいるときに煮詰まるのが一番困るんですよ。でも自宅だったら、どんなに煮詰まろうが「また明日やればいいか」となるじゃないですか。締め切りまでの間、うまく時間をやりくりさえすればどうだってできる。試行錯誤するのに他人を巻き込んじゃうのは、お互いにきついですよね。結局ほかのミュージシャンがやっているスタンダードな方法をまったく知らないまま、ここまで活動してきたんですよ。サポートを数多くやっているミュージシャンなら、いろんな現場に行くからさまざまなノウハウを知っているわけです。でもインディーズ時代から他人に頼らずやってきた我々は、自己流を貫き通すしかなかったんです。ある意味、ジャマイカの音楽みたいなスタイルで制作していて。
──ほうほう。
佐藤 さらに自己流だからちょっとデタラメなところもあったり。まあ、それはそれでいい結果も生まれたんですけど、最近一般的なルールが少しわかって「なるほど、これはすごくいいやり方だなあ」と思うことも多くて。コンピュータを使って制作するのも「これはすごい!」と。
──今それを発見すると(笑)。それにしても、言葉の大切さを説く「ぼくらの魔法」をはじめ、説得力のある力強い歌が多くて、お二人が頼もしく見えてならないんです。
佐野 自分たちの視点や考えが変化した、ということはまったくないんですけど、やっぱりこの3年間にあった出来事の影響が大きいですね。
佐藤 そうだね。亡くなったマネージャーは、ライブをやってもお客さんが2、30人ぐらいしか集まらない時代から活動を共にしてきた仲間でしたからね。最初はサラリーマンとして働きながらサポートしてくれて、途中から会社を辞めて事務所を立ち上げて、ずっと一緒にやってきたんですが、このタイミングで僕ら2人きりになってしまった。支えがなくなってしまった喪失感は大きかったけど、「いよいよしっかりしなければいけないな」と思いました。40歳を過ぎてからそんなことを考え始めるのは遅いんですが、今は「ようやく実家を出た」という感覚が一番近いかな。
佐野 その感じはあるね。
佐藤 お父さんがいなくなってしまった……いや、マネージャーは同世代だから兄貴に近いか。「これからは僕らでしっかりしなきゃ」という気持ちがアルバム全体の力強さにつながってると思います。
──立ち止まっていられない、という思いもあるだろうし。
佐野 マネージャーの病気を知った頃は「会えなくなってしまう日がいずれやってくる」と考えながら日々を過ごしていて「何をしたらいいのかなあ」と考えてばかりだった。お互い、日頃思っていることを伝え合ったりする関係でもなかったですし。でもこのまま何も言わないで時が過ぎてしまうのも……うーん、どうしたらいいんだろう?って。
佐藤 そういうことを考える3年間だったね。残された時間を数えながら生活するなんてこと、そもそもないですからね。家族ではないけれど、かけがえのない仕事仲間だったので、不思議な感覚ではありますね。
──戸惑いや悲しみを解消してくれるのは時間の経過以外になかったりするけど、今の状況を乗り越えていくにはやっぱり作品作りしかない、という思いもあったわけですね。
佐藤 作品にはやっぱり自分が経験するあらゆる出来事が表れてしまいますね。
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これが欧米のサウンドか