ナタリー PowerPush - 細野晴臣
「歌うのが好きになってきた」ソロ活動40年を振り返る
「GOOD SPORT」(1995年) / 「ナーガ」(1995年) / 「フライング・ソーサー1947」(2007年)
モヤのかかった中で、お客さんたちがキラキラ輝いていた
──「メディスン・コンピレーション」の後は、1995年に「GOOD SPORT」と「ナーガ」の2作がリリースされています。
「GOOD SPORT」はユニバーシアードのために作った曲をまとめたもので、「ナーガ」も企画モノですね。
──それ以降になると、2007年の「フライング・ソーサー1947」までソロ作をリリースしていないですね。
本当だ、何をしていたんだろう?(笑)
──ソロワークの年譜が空白になっているだけで、細野さんは幸宏さんとSKETCH SHOWをやったりしていたと思います。
ああ、SKETCH SHOWが抜けているね。とにかくこの時期はエレクトロニカをやっていたわけだ。アンビエントから一歩陸に上がったって気持ちでエレクトロニカをやっていましたね。SKETCH SHOWは忙しかったね。「Sonar Festival」とかでバルセロナにライブで2回行ったりして。あとはロンドンにも行ったな。
──ソロワークの話に戻ると、ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス名義で「フライング・ソーサー1947」をリリースしたのが2007年。この年は細野さんが還暦を迎えた年でしたが、還暦はソロ活動再開のきっかけになりましたか?
うん……最初は「還暦イベントをやりましょう」って誘われてね。還暦なんて言われるのイヤだったんだけど。で、空飛ぶ円盤が目撃されたというロズウェル事件が1947年で、それからも60年だったんだよね。僕の中ではそっちのほうが大事だったんで、「還暦イベント」じゃなくて、「フライングソーサー」(空飛ぶ円盤)ってイベントをやったんだ。
──「フライング・ソーサー1947」制作時のバンドフォーマットが現在まで続いていますが、当時はどのような音楽性にしようと思っていたんですか?
どういう経緯でこうなったんだっけな……ああ、そうだ。このバンド形態に落ち着いたきっかけになったのは、2005年に狭山で行われた「HYDE PARK MUSIC FESTIVAL」というイベントでした。このイベントは、狭山に縁のあるアーティストが集まってライブをやるものだったんです。で、イベンターから出演の依頼があって、僕は昔狭山のハウスで「HOSONO HOUSE」を作っているから、出ないわけにはいかないだろうということで出演して。それまでアンビエントやエレクトロニカばかりやっていたら自分で歌うってことはなかったんだけど、さすがに「昔の曲を歌うことになるな」って思ってリハーサルをしたんです。
──昔の曲というのは、「HOSONO HOUSE」の曲ということですか?
そうですね。狭山だから、「HOSONO HOUSE」の曲をやるのは避けられないだろうと思って。それで何十年かぶりに「HOSONO HOUSE」を聴いて、自分でコピーして(笑)。そして歌えるかどうかも含めてリハーサルをして。まあイベントは1日だけだったんで、終わったらまたテクノ系やアンビエントをやるだろうなって思っていたんですけど、ボランティア出演に近いイベントだったんで、メンバーにそれほどギャラを払えなくて。それで「ちゃんと払ってあげなきゃ」って思って、また別のイベントに出てお金をプールしようと思ったの。そうやっているうちに、次から次へとイベント出演が決まっていって、そこから8年経っちゃったっていうね(笑)。
──そのときの形態が今の細野バンドのフォーマットになっている?
原型ですね。そしてその日は、僕の人生におけるエポックな日にもなったんです。このイベントの数日前、ニューオリンズにカトリーナ(大型ハリケーン)が直撃して、ミュージシャンがたくさんいるからすごく心配していたんです。そんなことがあって迎えたイベント当日、今度は関東一帯が大豪雨で洪水になってしまった。イベントの最中にも、雨の音で演奏が聞こえないくらいものすごい雨が降って。雨がひどくて帰っちゃったお客さんもいたり、駅に避難する人もいたりで。でも、僕の演奏の番になると雨が止んだんです。それで避難していた駅から演奏を観に戻ってきてくれた人もたくさんいて。そこで演奏していたら、モヤがかかった中で、お客さんたちがキラキラ輝いて見えたんです。人の熱気というか……なんだか独特の雰囲気が出ていて、そんな中で演奏もひと味違った。そういうことがあったんで、“これはなんか、やり続けろということかな”って思ったんですね。
──そんなことがあったんですね。
そのときやったメンバーもだいたい今と同じで……高田漣と伊賀航は今も一緒にやってます。伊藤大地くんはその後入ってきて。
- ニューアルバム「Heavenly Music」 / 2013年5月22日発売 / 3150円 / SPEEDSTAR RECORDS / VICL-64031
- ニューアルバム「Heavenly Music」
収録曲
- Close to You
- Something Stupid
- Tip Toe Thru The Tulips with Me
- My Bank Account Is Gone
- Cow Cow Boogie
- All La Glory
- The Song Is Ended
- When I Paint My Masterpiece
- The House of Blue Lights
- ラムはお好き? part 2
- I Love How You Love Me
- Radio Activity
細野晴臣(ほそのはるおみ)
1947年生まれ、東京出身の男性アーティスト / プロデューサー。エイプリル・フールのベーシストとしてデビュー。1969年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とバレンタイン・ブルーを結成し、翌年バンド名をはっぴいえんどに改名する。はっぴいえんど解散後はソロ活動と並行し、林立夫、松任谷正隆らとキャラメル・ママを結成。荒井由実などさまざなアーティストのプロデュースを行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。YMO「散開」後は、映画のサントラを手がけるほか、松田聖子や山下久美子へ楽曲を提供しヒットメイカーとしてもその名を知らしめる。2000年代に入ると、高橋幸宏とのユニットSKETCH SHOW、忌野清志郎、坂本冬美と結成したHIS、SKETCH SHOWに坂本龍一を迎え結成したHuman Audio Spongeなど、さまざまなユニットで音源を発表。還暦を迎える2007年にはHARRY HOSONO & THE WORLD SHYNESS名義で「FLYING SAUCER 1947」をリリースしてソロ活動を再開。さまざまなライブイベントに出演する一方で、2013年5月に往年のスタンダードナンバーをカバーした「Heavenly Music」を発売した。