技術以上に大切な「心に残ること」
──ハリウッドと日本ではテレビドラマの音楽の作り方も大きく異なるのではないでしょうか。
備 日本のドラマだと最初に音楽のメニュー表と呼ばれるものを作って、そこからお題に対して曲を書いたものを音響効果の方が編集して使う流れですが、ハリウッドの場合、1年間に24話とすると24話すべての映像に対して音楽を作曲して毎回レコーディングするやり方なんです。なので毎週40分くらいの曲を作って、レコーディングして、オーケストラして、ミックスして納品するっていう、本当にフルマラソンみたいなことをしていて。「麒麟がくる」の場合、映像に対して作曲しておりませんがトータルで110曲以上、約7時間以上の音楽を作り、曲によっては8分の長い曲もあったりします。
堀澤 「麒麟がくる」の制作中は私も日本とアメリカを行ったり来たりの繰り返しで、2019年は通算半年ぐらいアメリカに行ってました。アメリカに滞在しているときに劇中歌「美濃 〜母なる大地〜」の歌詞も書かせていただいたんですが、自分の故郷を思う歌だったので、日本のことを思いながら書くことで故郷への愛情が出てすごくよかったです。どんな言葉なら光秀が心を一時緩めて安らげるかなって。
──ぜひともそのロサンゼルスでの制作時の思い出話を聞かせてください。
堀澤 備さんがジョンのご自宅に連れて行ってくださったのは印象深かったです。最初に楽曲の打ち合わせで伺ったときは私も少し緊張気味だったんですが、何度かお邪魔したので、だんだん打ち解けていって。日本の歴史に詳しいとは聞いていましたが、作曲ルームに浮世絵が飾ってあるのを見て、「ああ、本当に日本が好きなんだな」と思ったり。音楽を通してだけではなく、ジョンの人柄も知ることができる機会をいただけたこともすごくうれしかったですね。
備 ジョンはもともと日本だけでなく、中国やヨーロッパの歴史全般が好きで詳しいんです。ものすごく記憶力がよくて、年号とかも一度で覚えちゃうタイプですね。今回の大河ドラマも、アプローチをするときにただ単に日本の戦国時代という考え方ではなく、同じ時期にほかの国ではこういうことが起こっていたとか、こういうことに対して恐れがあったといった相対的な見方をする人物ですね。
堀澤 あと、レコーディングの思い出で言うと、L.A.ってあまり冷房が効いてなくて。夏だったのでだいぶ暑い中、耐久レース的な感じで備さんのスタジオにこもって歌ったこともいい思い出になってますね。
備 冷房がないってわけではないんですけど(笑)、アメリカの空調は基本的にセントラルエアなのでレコーディングするときに雑音が入らないように冷房を止めるのはスタジオあるあるだったりします。特に今回はものすごく繊細な声の表現を求められていたので、音がしないよう麻衣子さんと一緒に暑い中あれこれ試した思い出があります。
──備さんはボーカリストとして堀澤さんのどういうところに魅力を感じられていますか?
備 今まで世界各国の素晴らしいボーカリストの方々とご一緒させていただいた中で、僕がすごく重要だと感じているのは心に残るかどうかです。これは楽器の演奏にしてもそうなんですけれども、歌がうまい、声がいい、以上に求めている部分ですね。麻衣子さんの歌を聴かせていただいたとき、すごく心に残るなという印象がまず何よりもありました。これは制作のエピソードにもなるんですけれども、麻衣子さんは歌う前に習字を書くかのごとく、いろんなことをしっかり決めたうえで筆をとって、墨を入れるように歌っていくタイプの方なんですね。後戻りせず「こうだ!」って頭の中にイメージをしっかり描いて、麻衣子さん自身の技術で形にしていく。その光景が印象的だなと毎回レコーディングのたびに思います。見事にデザインされた声。技術以上に、心に残る歌を歌える方というのが麻衣子さんの魅力的なところです。
堀澤 ありがたいお話です。
世の中が変わってしまっても思いや志は受け継がれていく
──先ほどお話に出た「美濃 ~母なる大地~」のレコーディング時のお話もお伺いできますか?
堀澤 「麒麟がくる」自体、戦乱の世に平安を求めるエネルギーと魂のこもった作品だと思いましたので、その思いを乗せるつもりで歌いました。私も小さい頃に戦争の映画などを観て、世の中が平和になるといいなと思っていたんです。音楽には言葉を超えたすごいパワーがあるので、私は歌で平和を届けたい、愛を届けたいって。今回その思いをすべて託せる作品に出会えたことで、歌い手として本当に幸せな表現をさせていただいたなと思っています。平安というとちょっと難しく聞こえるんですけど、簡単に言うと隣の人と仲よくしたい、手をつなぎたいということだと思うんですね。それは戦国時代も今も変わらず私たちの心の中に共通してある願いだと思うので、それらを歌わせていただけて本当に幸せだなと思いながら毎回ドラマを拝見していました。
──今回先行配信される「悠久の灯」も、まさに時空を超えた思いを乗せた感動的な楽曲です。
備 当初から麒麟チームとジョン・グラムのほうでも1曲は歌モノを作りたいという考えがあって、どういう曲にしようかいろいろテーマを考えていたんです。そうした中、コロナ禍という予期せぬ事態になり、作品と現実の状況を考えた結果、生まれたのがこの「悠久の灯」という歌です。この曲のテーマの1つに“響き”というものがあります。「麒麟がくる」の時代、いろんな英傑たちが活躍するんですけれども、中には夢半ばに亡くなってしまう方もいたり、それこそ光秀も実際どういう形で亡くなったか謎に包まれているところもありますけれども、それぞれ描いた夢に向かっていた。そういう思いは本人が亡くなっても、まるでエコーのように響いて次の世代が受け継いでいくわけです。1500年代に起こったことが2020年に大河ドラマという形になり、それを観てたくさんの人が感動していることもそうでしょう。コロナの渦中、どんなテーマがいいかという話はたくさんありました。例えば「浄化」なのかなとか。この作品を通じてジョン自身も感じたことは「灯」が時代を超えていくことだった。こういうご時世だからこそ、なおさらその思いを強く感じた部分はありました。
──レコーディングもリモートでの作業だったそうですね。
堀澤 はい。でも、以前からアメリカにいながら日本の仕事をさせていただいたり、逆もあったりと何度か経験してきたのでそんなに戸惑いはなかったんです。物理的に一緒にレコーディングできない環境は少し寂しさもありましたが、心はつながっていたので安心して歌わせていただくことができました。この曲を最初に聴いたとき、魂というか丹田が震えて、体の中心から熱くなって、涙が出そうになりました。歌詞はまだいただいてなかったんですけれども、これまで「平安」を真ん中にして作られてきた楽曲の集大成に感じましたね。さきほど備さんがおっしゃったように。志半ばで絶たれたとしても誰かがつないでいこうとする命の輪廻みたいなものを感じて、すごく大きなテーマだと思いました。自分がこれを歌うことは果たしてできるのだろうかという意味で、背筋が伸びるような気がしましたね。キーも今まで歌ったことのない高さで、しかも英語だったので、発声の準備もかなりしました。世界観を汚さないように、そして、これを聴いた方にも思いが伝わっていくようにという願いを込めて。なのでメロディはもの哀しい雰囲気もありますが、最後には希望とか光が伝わる内容だったので、私もそれに沿って「平安」を胸に歌わせていただきました。
備 第39話で光秀の妻・煕子が亡くなるとき、まさにそういう形でこの曲が流れたんです。この曲に関してジョンの考え方を少しお話すると、例えば悲しいとか、1つ感情を乗せてしまうと、音楽はそれだけになってしまうものだと彼は考えています。麻衣子さんの儚く繊細に声を響かせるスタイル、あえてビブラートなどの技術で装飾をしないスタイルはジョンが今回最も望むものでした。人間の感情ってすごく複雑で。例えば、人が亡くなる場面でも、そのときよみがえってくる優しい思い出とか、温かい思い出があるから悲しさが増幅されるところもあったりするわけです。麻衣子さんの曲の根本の部分をしっかりとつかんで表現できるところは、歌手として非常に特別な能力だとジョン自身も感じているところです。複雑なものをあえて技術で装飾せず、ありのまま歌えるのは歌手として極めて稀な技術だなと思いますね。
──1年間にわたって「麒麟がくる」という作品へ命を吹き込むように素晴らしい歌声を届けていただきありがとうございました。最後に堀澤さんが本作に携わられて感じたこと、ここから始まる新たなる挑戦についてお聞かせください。
堀澤 先ほどと少し重なる部分もありますけれども、コロナで世の中が変わってしまったとしても、思いや志はそのまま残って受け継がれていくものだということを歌を通して感じられたのは非常に印象的なことでした。今回のように物語が真ん中にある表現方法はこれからもやらせていただきたいと思いますし、表現ももっともっと磨いていきたいです。あと今回、備さんとご一緒させていただいて新しく学んだのは、ボーカリストとして歌うときのセッティングでした。それはマイクであったり、リバーブ(残響)だったり、人それぞれ違うんですけれども、私の場合、自分と相性のいいマイクと出会うことも必要だと教えていただいて作ったマイクがあるんです。これがスーツケースが1つ増えるくらい大きい箱に入っていて、L.A.に毎回持っていくのが大変だった思い出もあるんですけど(笑)、そのマイクを相棒にまたいろいろ作品を作っていきたいですね。そしてこの先コロナが収まって、コンサートや日頃の感謝を歌う歌唱奉納(神仏に奉納するために歌うこと)の活動も少しずつ再開できたらいいなと思っております。今回は備さん、ジョン・グラムさんという、音のことも、アーティストの気持ちもわかる方とご一緒させていただいて、とても幸せな時間を過ごすことができました。この気持ちを忘れずに、これからも歌い続けていきたいですね。