「HOKUSAI」|心をつかむ芸術は世界を変えるのか コムアイが話す、絵描きであり続けた葛飾北斎の魅力

柳楽優弥と田中泯のW主演で、江戸時代を生きた絵師・葛飾北斎の信念と人生を描いた映画「HOKUSAI」が5月28日に全国公開される。本作は歴史的資料をもとに、残された事実をつないで作り上げたオリジナルストーリーを展開。北斎の青年期を柳楽、老年期を田中がそれぞれ演じ、監督は「探偵はBARにいる」「劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班」の橋本一が務めている。

このたび音楽ナタリーと映画ナタリーではジャンルを横断して孤高の表現者・葛飾北斎を描く同作の特集を公開。音楽ナタリーでは江戸の町人文化を通じて浮世絵や北斎への関心を持ち、過去には雑誌「美術手帖」の北斎特集にも参加したコムアイに、鎖国中の江戸時代でストイックに絵を描き続けた北斎に共感できたこと、自由さと芸術の豊かさの関連性、そして世界を変える芸術とは何か、幅広く語ってもらった。

取材・文 / ナカニシキュウ 撮影 / 須田卓馬

死ぬまで描き続けた北斎に共感する

──コムアイさんは葛飾北斎にもともと興味があったとのことですが。

コムアイ

そうですね。高校生くらいの頃に、知り合いの写真家のスタジオで北斎の分厚い画集を見せてもらったのが最初です。当時はまだ浮世絵にあまり親しんでいなかったので、北斎というより浮世絵自体に興味を持ちました。それからいろいろと浮世絵を観ていくうちに、(東洲斎)写楽のデフォルメされた画風から「ユーモラスな時代だったんだろうな」と思ったりするようになっていって。もともと江戸の町人文化に興味があって、中学生のときに江戸検定(江戸文化歴史検定)を受けたことがあるくらいなんですよ。落ちましたけど(笑)。

──(笑)。そもそも江戸に興味を持ったきっかけはなんだったんですか?

小さい頃からずっと“暮らし”に興味があったんですよね。現代社会に対してすごく違和感や疑問を持っていたこともあって、閉じた世界で独自に育まれた文化を「面白いな」と感じたんです。今の日本はすごく国際的に開かれていて、どんどん世界が平たくなっているからこそ、閉鎖的なところで脈々と受け継がれて独自の発展を遂げた文化を面白がってしまうんだと思います。

──純度の高さに惹かれる、みたいな?

そうそう。旅行をするときにも、そういう偏った文化の残っている国が面白いと感じちゃいますね。もちろん、日本を鎖国状態に戻すのはまっぴらごめんですが。もし鎖国中の江戸時代に連れて行かれたら、私は生きていけないだろうなと思うし(笑)。

──今現在は北斎というアーティストにどんなイメージを持っていますか?

おちゃらけていないというか、真面目に描写するイメージですね。生まれ持ったセンスや才能の人ではなく、血のにじむような鍛錬をし続けた努力家。自分の作風を見つけるまでにもけっこう時間がかかっていることは驚きでした。今回の映画「HOKUSAI」でも、北斎が迷って迷って進んでいく姿はしっかり描かれていますよね。

──若き天才・写楽の存在にショックを受けたり。

映画「HOKUSAI」より、玉木宏演じる喜多川歌麿。

周りの浮世絵師たちとの関係性も描かれているので、今までは“なんとなく同じくらいの年代に生きていた絵師たち”くらいの認識でしかなかったものが、映画を観て立体的に捉えられるようになりました。北斎に対して(喜多川)歌麿や写楽がどのくらい年齢差があったのか、お互いをどんなふうに意識していたのかは、残された絵を観るだけではわからないことですよね。私は今まで北斎の絵にちょっと人間味が欠けるようなイメージも勝手に持っていたんですけど、この映画を通して北斎の“人”の部分に触れられたのがよかったです。不器用だけど丁寧に真面目に生きて、死ぬまで自分の持てる能力を絵に注ぎ続けて使い切ったというところが北斎の魅力だと思います。

──そんな北斎はコムアイさんにとってどういう存在ですか? 共感の対象なのか憧れなのか、それ以外なのかで言うと。

絶対に彼のようにはなれないし、生き方も全然違うんですけど……北斎は90歳で亡くなるまで絵を描き続けた人ですよね。私も死ぬまで芸を続けたいと思っているので、そういう意味では共感します。死ぬまでずっと弟子たちに囲まれて生活していたというところには憧れますし、私もそれまでに教えられることがあるといいなと思います。

“真の表現者”とは

──北斎は死の間際に「あと5年あれば真の絵描きになれた」みたいなことを言ったと伝えられています。コムアイさんは同じ表現者として、その感覚を理解できますか?

いやあ……真の芸術家って、なんですかね? 北斎が何をもって「真の」と言ったのか、全然わかんない(笑)。

──おそらく北斎には何か見えたものがあったんでしょうけど。

それがすごいですよね……。

──ご自身が「真の表現者になれた」と思える日は来ると思います?

絶対に来ないです(笑)。でも、基本的に向かう方向はみんなそこですよね。そこにどのくらい近付けるか、どの程度のスピードで進めるかは置いておくとしても。北斎にしたって、実際にあと5年生きたとして本当に追い付けたのかな?

──確かに、5年後にも「あと数年あれば」とか言ってそうな気もします(笑)。

ですよね(笑)。でも、“晩年の作品が面白い”という傾向はいろんな作家にありますよね。映画監督とかもそうですけど、晩年になってから生まれる、表現の自由さみたいなものにはすごく憧れます。だから早死にはしたくないです。

──北斎の代表作と言われる「冨嶽三十六景」は70代のときに発表された作品だったりしますし。

そう、それを最近知ってびっくりしました。調べてみたら、初期の波の絵は妖怪のようにのっぺりしているんですね。「冨嶽三十六景」や「男浪図」「女浪図」の波と全然違う。「こんなに画風が変わってるんだ!?」って。北斎本人は若い頃に描いた波なんか観てほしくないと思うかもしれないけど(笑)。

──ミュージシャンで言えば、40代や50代を超えてから劇的に音楽性が変わる、みたいなことですよね。なかなかそんなアーティストはいないと思います。

しかも、波を描き続けているんですよね。同じモチーフに立ち向かい続けてアップデートしているのがすごく面白いです。ちなみに私は北斎の描く鳥や羽が好きで、一番好きなのは「八方睨み鳳凰図」なんですけど、確か生涯最後の大作なんですよね。「HOKUSAI」には出てこなかったので、とても残念でした。

──ベストアルバムに「なんであの曲が入ってないんだ」と怒るファンみたいなご意見ですね。

「八方睨み鳳凰図」

そうですね(笑)。まあ、晩年は名作が多いから、ストーリー的にも尺的にもまとめるのは大変だったと思います。「八方睨み鳳凰図」はお寺の天井に描かれている作品で、死を覚悟した北斎の代わりに後世の絵師たちを上からにらみ続ける挑発的な絵にも思えるし、北斎自身をにらみつけている感じもすごくします。たぶん、北斎はこういう目をしてたんじゃないかなって思うんですよね。「自分の表現のためにちゃんとすべてを捧げられているか? そこに甘えはないか?」と北斎は自分の身体の隅々まで点検していたんじゃないでしょうか。

現代には蔦屋重三郎がいない

映画「HOKUSAI」のワンシーン。左が阿部寛演じる蔦屋重三郎。

──自分の表現にストイックであることとは対極のものとして、「お金になるものを作らなければならない」という考え方もありますよね。「HOKUSAI」の序盤でも、蔦屋重三郎から「お前はなんのために描くんだ」と問われた北斎が「食うために描くんだ」と答えるシーンがありますが……。

「そんなつまらないことのために描いてんのか」って怒られるところですよね。それをギャラリストのような、プロデューサー的な立場である蔦屋重三郎が言うのがすごくカッコいいなって思いました。

──普通はアーティスト側が言うセリフですよね。

そうそう、そこの対立になっちゃうけど。そういう“作家を育てる人”が存在したことが、素晴らしい作家がいたこと以上に重要だと思うんですよね。日本のファッション誌の撮影で思うのですが、そこまでできる編集者はあんまりいないかもしれませんね(笑)。これは愚痴になっちゃうんですけど、ファッション分野の撮影ではヘアメイクやスタイリスト、モデルがやりたいと思っている行きすぎた表現を編集者が止める、みたいなことがあったりします。たぶん「それだと売れないから」という判断だと思いますが、蔦屋と違って雇われの身だから仕方ないのでしょうか。

──蔦屋とは正反対の、クリエイティビティを殺す方向のプロデュースというか。

蔦屋はそこで「もっと行けるだろ」ってけしかけるタイプですよね。作る人が自分の表現を研ぎ澄ませようと戦っているところに、その背中を押してあげるような人。そういう先輩たちがいるといいなあって思います。

町人の町人による町人のための娯楽

──コムアイさん自身は、音楽を作るときに「これをやりたいけど、やりすぎると売り物にならない」と考えたりはしますか?

私は全然考えられないです。以前は自分が気に入らなくても、世の中の人が気に入ると思うものを選ぶこともあったはずなんですけど、今度は自分が何をやりたいのかしっかり捉えられなくなってしまって(笑)。だから、一旦その回路は切りました。

──そうやって自由に表現したものを、蔦屋のような人にうまく売ってもらうのが理想的なあり方ですよね。

コムアイ

それは最高ですね(笑)。でも当時それができていたのは、たぶん“お上”がいたからというのもあるんじゃないかと思うんですよ。人が喜ぶものを作ること自体が禁じられていたからこそ、逆に自由な表現ができて、生き生きとしていたのかもしれない。映画での描かれ方を観る限りでは、写楽や歌麿はもちろん、北斎にしても柳亭種彦にしても、“自分の描きたいもの”と“売れるもの”が全員一致している感じがしたんです。そこが今の時代とすごく違うなと思って、新鮮でした。封建制度への小さな反発として生まれた、“町人の町人による町人のための娯楽”みたいなものとして芸術が成立していたのかなと。

──なるほど。禁制を犯して描くこと自体が民衆のニーズと合致していたような部分もあったのかもしれないですね。

映画の中で北斎が「人に指図されずに生きられる世の中を俺は見たいんだ」というセリフを言ってましたけど、好きな絵を描いてよい、売ってよい、今の日本はとっくにそうなっていますよね。ただ、そういう世の中を私たちは生きているはずなのに、江戸に生きた皆さんより生き生きと生きているとも断言できず(笑)。それがショックでしたね。芸術家たちは江戸時代よりはるかに自由になっているはずですけど、それで浮世絵師たちの芸の力を越えられているかというと……。

──北斎の夢見た世界は、意外とそんなにいいものでもないぞと。

それはすごく思いました。お上そのものはなくなったけど、目に見えない“お上的なもの”が蔓延しているというか、代わりの不自由さがあったり、むしろその仕組みに組まれたがっているような気がしていて。