氷室京介が1988年7月にシングル「ANGEL」でソロデビューしてから35周年。これを記念した映像作品「KYOSUKE HIMURO 35th Anniversary LIVE FILMS AND PHOTO BOOK Quod Erat Demonstrandum」が12月20日にリリースされる。
Blu-ray 5枚組またはDVD 6枚組という特大のボリュームで届けられるこのアイテムは、数学や哲学で「証明完成(Q.E.D.)」を意味するタイトルの通り、氷室が2016年にライブ活動を休止するまでの軌跡を証明する記録だ。氷室が“サンクチュアリ”だと語る東京・東京ドームでの1989年以降の5公演や、活動休止前最後のツアーとなった2016年の「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」など、彼のキャリアにおいて重要なステージがたっぷりと刻まれた、まさに“証明の記録”といえる作品になっている。
本稿では氷室のライブに30年近く足を運び続けてきたライターの冬将軍が、「Quod Erat Demonstrandum」に収録されたすべてのライブを徹底解説。今作をより深く楽しむためのサブテキストとして、そして氷室のライブ活動を改めて振り返るバイオグラフィとして、ぜひご一読いただきたい。
文 / 冬将軍
-TOKYO DOME Live Chronicle since 1988-
「KING OF ROCK SHOW “FLOWERS for ALGERNON”」(1989年1月3、4日)
「今度は1人ひとり別々で、必ずここ(東京ドーム)で会おうぜ!」
1988年4月、BOØWY「LAST GIGS」で氷室はアンコールの最後にそう言葉を残した。その約束はそれから1年足らずで果たされた。
1989年1月3日、4日「KING OF ROCK SHOW “FLOWERS for ALGERNON”」ツアーファイナルで氷室は東京ドームへ帰ってきた。2度目のアンコールでアコースティックギターを手にして登場し、弾き語りで歌い出す「DEAR ALGERNON」。それはこれまでハンドマイクを武器に闘ってきたロックバンドのフロントマンが、ソロアーティストとして活動していく覚悟と決意でもあっただろう。名シーンとしてファンの間で語り継がれてきた場面からDISC Iは始まる。
初のソロツアー「DON'T KNOCK THE ROCK TOUR」から1カ月、ソロアルバム「FLOWERS for ALGERNON」(1988年9月リリース)を引っさげてスタートしたツアー「KING OF ROCK SHOW “FLOWERS for ALGERNON”」はアルバム曲を軸にBOØWY曲とカバー曲を織り交ぜたセットリストであった。氷室とともにアルバムのサウンドプロデュースを務めた吉田健(B)の緻密なアレンジと西平彰(Key)の多彩なシンセサウンドがソロアーティスト氷室京介の音楽面におけるアイデンティティを作り上げ、BOØWYの幻影を追うファンをいい意味で裏切っていく。宮殿を模したステージセットでの堂々たる氷室の佇まいも、まさに“KING”にふさわしい余裕を感じると同時にソロアーティストとしての新たな始まりを感じさせるものだ。そんな氷室のスケールのどデカい挑戦をリアルに感じたのはライブ終盤のサプライズ、チャーリー・セクストンの登場である。14歳にしてボブ・ディランのレコーディングに参加、17歳のソロデビューでアメリカのロックシーンに衝撃を与えたギタリストと、日本のロックシーンを背負うボーカリストの共演は「TASTE OF MONEY」で堪能できる。
「“NEO FASCIO ENCORE” TOUR ARENA '90」(1990年4月3日)
2ndアルバム「NEO FASCIO」は、中国の天安門事件や東欧革命など動乱の世界情勢にあった1989年9月にリリースされた、ファシズムをテーマにしたコンセプチュアルな作品だ。本作に収められている東京ドーム公演は、ホールツアー「“NEO FASCIO” TOUR」のあとに追加されたアリーナツアー「“NEO FASCIO ENCORE” TOUR ARENA '90」のファイナル、BOØWY「LAST GIGS」から2年後の1990年4月3日に行われたものだ。
「NEO FASCIO」紋章の真っ赤なバックドロップを背に軍服を模した衣装を纏う氷室、その荘厳たるシルエットは新たなカリスマの登場を表すようだ。サウンドプロデューサーの佐久間正英、ドラマーのそうる透、そして氷室という、たった3人だけで制作された「NEO FASCIO」のデジタルシーケンスを主軸とした無機質なサウンドプロダクトは、ビートロックを基調としてきたこれまでの氷室のロックとはまったく異なるものだった。それはライブにおいても同様であり、オーディエンス側からみればノリやすいと言えるものではなかったが、こうして映像で振り返ると実に完成度の高いライブショーであることを改めて感じる。「COOL」におけるアバンギャルドな世界観、友森昭一のエフェクティブなギタープレイが、近未来的で異国的な雰囲気を色濃くする。前回のドーム公演同様にチャーリー・セクストンも登場する「SUMMER GAME」では、「オマエの海にkissさせておくれ」を「ガッチュ!ガッチュ!(Get You! Get You!)させておくれ」とするおなじみのパートが、このときすでにそう歌われているのが確認できる。
ハイライトはなんといってもアンコールラストに歌われた「CALLING」だろう。氷室の情感たっぷりな渾身の歌声が東京ドームを支配し、オーディエンスの心に揺さぶりをかけていく様相は圧巻であり、そのカリスマオーラを前に我々はひざまずくしかない。
「SHAKE THE FAKE TOUR 1994」(1994年12月24、25日)
それまであえて口にしてこなかった、“元BOØWY”という肩書きに立ち向かいながら制作されたアルバム「Higher Self」(1991年4月リリース)。さらにシングル「KISS ME」(1992年12月リリース)、アルバム「Memories Of Blue」(1993年1月リリース)の大ヒットは名実ともにBOØWYを超えた。この時期も精力的なツアーを行っていたが、次に氷室が東京ドームのステージに立ったのは、1994年12月24日、25日「SHAKE THE FAKE TOUR 1994」ツアーファイナルのことである。
巨大な鉄骨が組まれたとてつもないスケールのステージセットと無数の照明が織りなす絶景。ライブのオープニングを飾った「LOST IN THE DARKNESS」のイントロからその美しさに息をのむ。
バンドのボトムを堅実的に支え、この先氷室の背中を誰よりも見続け、“女房役”とまで呼ばれるようになる西山史晃(B)との息もぴったりだ。そしてソロ活動開始時からライブを支えてきた友森は、氷室より誕生日プレゼントとして贈られた、ギブソンのレスポール・スタンダードを手にし、これまでのトリッキーなプレイから一変、オーセンティックなロックギターをかき鳴らす。ダーティでスリリングなバンドアンサンブルを轟かせるラストの「SHAKE THE FAKE」に至るまで、氷室とバンドがせめぎ合うこのライブを観れば、演出とともにソロ活動におけるひとつの完成形に到達したことがわかるはずだ。
余談であるが、クリスマスの東京ドームということで、BOØWYの曲がアンコールで3曲演奏されている。そして、これ以降約10年の間、氷室がBOØWYの楽曲を歌うことはなかった。
「21st Century Boøwys vs HIMURO ~An Attempt to Discover New Truths~」(2004年8月22日)
ソロデビュー15周年を記念して、2003年7月20日にさいたまスーパーアリーナにて行われた「15th Anniversary Special LIVE “Case of HIMURO”」で氷室作曲のBOØWY曲が披露されたが、本格的に解禁されたのは2004年8月22日の東京ドーム公演、「21st Century Boøwys vs HIMURO ~An Attempt to Discover New Truths~」だ。SEから「B・BLUE」へ、冒頭のドラムのリズムが鳴りイントロになだれ込む。巻き起こる歓声が大合唱へと変わる、何度観ても高揚感をかき立てるオープニングだ。
「21st Century Boøwys vs HIMURO」はBOØWY楽曲とソロ楽曲を交互に披露することで、その対比を色濃く明確に表現するライブであった。メンバーが異なるBOØWY楽曲をオリジナルと比較するのも野暮ではあるが、懐古にはならない新解釈というべきアレンジ、新たな息吹をもたらされたと感じる楽曲も多々あった。アーティストとして楽曲に対する手応えと、会場の音量制限をオーディエンスの歌声が超えてしまったというファンの反応も大きかったのだろう。これ以降、要所要所でBOØWY楽曲が歌われるようになった。
「GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”」(2011年6月11、12日)
そうしたソロ活動におけるBOØWYセルフカバーの集大成が、2011年6月11日、12日に行われた「GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”」だ。ソロデビュー以来、初となる全曲BOØWY楽曲で構成されたライブである。もともとは50歳の記念として開催される予定だったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により内容が変更。最大限の節電に配慮し、ライブの収益金全額が義援金として被災地へ贈られることになった。そして、ライブの内容は全曲BOØWY楽曲で構成されることになり、ファンを驚愕させた。
「BOØWYであれば集客もうまくいく」──開催発表後の日本テレビ「news zero」のインタビューで氷室はそう語っていた。チケット争奪戦の末、12日の追加公演は多くの人に集まってほしいとの意向からファンクラブ先行予約を行わない措置も取られている。反響と期待が大きい一方で、再結成を望む声やBOØWYメンバーの反応などによって物議を醸したが、ライブでは氷室によるBOØWY楽曲の再構築を堂々と見せつけた。
伝説のバンドのフロントマンゆえの葛藤。BOØWYの呪縛との決別とも言うべき闘いを経て、最終的にそれを受け入れた氷室京介のターニングポイントはいつも東京ドームにあったのだ。
-1990.10.07 GREEN DOME MAEBASHI-
これは氷室からのクリスマスプレゼントだった。1990年10月7日、30歳の誕生日に地元群馬で行われたこの特別なライブは、その年のクリスマスイブにクリスマスカードとともにリリースされた幻のビデオである。
「騒ごうか!」氷室の第一声でライブは幕開ける。ド頭から「SEX & CLASH & ROCK'N ROLL」、そして「TO THE HIGHWAY」「IMAGE DOWN」と続けざまにアッパーなナンバーを叩き込む、攻めに攻めたセトリだ。長年にわたり氷室のリズムを支えていくことになる永井利光(Dr)、かつてのバンドメンバーであった春山信吾(B)、楽曲の色を鮮やかに彩る西平。そしてアンサンブルが加速していく「TASTE OF MONEY」で、「カモン! 友森!」の氷室の煽りに呼応して奇抜なギターソロを炸裂させる友森といい、バンドメンバーとの阿吽の呼吸も気持ちがいい。
「NEO FASCIO」というコンセプチュアルな作品とツアーを経た1990年、氷室はバックバンドと一体となることに力を入れていた。この年の夏は、「GOLDEN AGE OF R&R」(日比谷野外音楽堂)、「JT SUPER SOUND '90」(真駒内陸上競技場)、「ロックンロールオリンピック」(スポーツランドSUGO)といったイベントに、“sp≒eed”名義でシークレット出演している。この時期の氷室はバンドのセッションでの制作を重視しており、翌年にリリースされるアルバム「Higher Self」は、sp≒eed無くして生まれなかったと言っていいだろう。ゆえに、このライブはロックバンドsp≒eedのライブビデオという見方をすると、また違った発見があることだろう。以降、sp≒eedは氷室のバックバンドとして知られるようになる。
-2000.11.07 YOKOHAMA ARENA-
「SHAKE THE FAKE TOUR」でひとつの完成形に到達に達した氷室は、住まいと制作拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移し、レコード会社も移籍した。1998年に行われた3年半ぶりのツアー「TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998 One Night Stand」はギタリストにスティーヴ・スティーヴンスを迎え、音楽的にも新たなフェーズに突入したことを宣言するものであった。氷室自身も大きな手応えを感じたツアーであったとのちに述べている。そうした「One Night Stand」から約2年、アリーナ規模の会場であった前回とは対照的にホールクラスの会場を中心に開催されたのが「TOUR 2000 “BEAT HAZE ODYSSEY”」である。
ステージデザインを「One Night Stand」同様にマーク・フィッシャーが手がけているが、前回とは大きく変わった前衛的なセットに賛否両論あったのも事実だ。ステージセット、演出、セットリストに変更が加えられながらのツアーでもあった。今回の映像はツアー序盤にあたる横浜アリーナ公演のものであり、いわば未完成であるために逆に貴重なものだ。
横浜アリーナであるにもかかわらず7台のみというカメラの臨場感によって、非常に見応えのある映像作品に仕上がっている。ほぼステージ中心で構成されているカメラワークが、氷室およびバンドメンバーの細かい動きと表情を捉える。スティーヴのワイルドかつエレガントなプレイと、本田毅の侘び寂びのある繊細なプレイのコントラストが美しい。「LOVER'S DAY」の本田のロングトーンがむせび泣くギターソロに、日本のギタリストだから表すことのできる物哀しさ、哀愁を感じる。
スティーヴの影響もあってか、重厚感あるバンドの演奏が印象的であり、「JEALOUSYを眠らせて」「SUMMER GAME」といったビートロックナンバーではいつもよりテンポ感を抑えた重心低めのグルーヴが心地いい。「ANGEL」はこののち、2003年にアルバム「Case of HIMURO」にて「ANGEL 2003」として新たにレコーディングされているが、その予兆を感じさせるハードでアグレッシブなものになっている。「21世紀も縦ノリで行くぞ!」との言葉とともに贈られたラストの「SHAKE THE FAKE」は、縦ノリどころではない海外バンド級のヘヴィで獰猛なアンサンブルが襲いかかる。そんな猛者バンドを率いる40歳を迎えたばかりの氷室は、海外アーティスト級の色気を放つ。
余談だが「KING OF ROCK SHOW “FLOWERS for ALGERNON”」で氷室はビリー・アイドルの「Mony Mony」をカバーしているが、ビリーの盟友といえばスティーヴ・スティーヴンスである。着実に氷室は海外アーティストと肩を並べるようになっていったのだ。
-2016.4.23-24 OSAKA / 4.29 NAGOYA / 5.14 FUKUOKA-
2014年のソロデビュー25周年ツアー「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」。7月13日、山口・周南市文化会館で行われたライブ中、氷室は同月19、20日の横浜スタジアム公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表した。そうして迎えた横浜スタジアム公演であったが、氷室はリハーサル中に肋骨を骨折、加えて悪天候と落雷によって公演が中断するなど、氷室自身が納得するライブができなかった。それを受け、必ずどこかでリベンジライブを行うとアナウンスされたが、氷室京介のラストライブとして「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」と題された4大ドームツアーが行われることになった。かつてBOØWYの「LAST GIGS」が少し早い再結成という位置付けであり、ファンのための最後のライブであったように、氷室の「LAST GIGS」もまたファンへの最後のプレゼントであり、氷室自身にとってはけじめの意味合いでもあった。
2011年に東京ドームで行われた「GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”」の際に「地方でもやってほしい」というリクエストが多く寄せられたため、「LAST GIGS」ツアーはBOØWY曲を多く組み込んだセットリストで進められた。しかしながら、それが初日の大阪・京セラドーム公演のオーディエンスに大きな戸惑いを与えてしまう。ファンの多くが望んでいたのはBOØWYではなく、ソロの曲だったのである。
そうした反応を受けて、大阪2日目、名古屋と、ソロ曲の追加などセットリストの変更が行われている。福岡では候補曲の多くを演奏する予定であったが、氷室の脱水症状による体調不調によりセットリストから予定曲のカットを余儀なくされた。そうした中でも氷室は最後に予定外の曲を演奏するなど、底力を見せている。
このDISC IVにはそれぞれの公演のバックステージ、リハーサル時の映像が収録されている。マイクの使い分け、イヤモニとフロアモニターのバランスなど、氷室のステージに対する情熱と探求心がよくわかるものになっている。
-2016.5.21 TOKYO DOME DAY-01-
波乱の「LAST GIGS」がついに東京ドーム3DAYSを迎えた。“氷室京介のラストライブ”という意味では鬼気迫る最終日に勝るものはないわけだが、ライブ自体の完成度という部分を見れば、この初日の内容があまりに素晴らしく、3時間超えを感じさせない臨場感にあふれた映像作品になっている。
1曲目の「Dreamin'」からオーディエンスの大合唱が巻き起こるのは、どの会場でも見られた光景だが、モニターのバランスが調子よいのだろう。イヤモニを気にしながら耳に手を当てる仕草もそれほど見られずにライブは進んでいく。「俺の最後の気持ちを伝えられる曲」との紹介で丁寧に情感たっぷりに歌われた、紛れもなく過去最高の「LOVER'S DAY」。アッパーな楽曲の盛り上がりは言わずもがな、アンコールでしっとり歌われた「The Sun Also Rises」と「魂を抱いてくれ」など、とにかくバラードが絶品だ。
そして最後の最後に贈られた「SUMMER GAME」。場内すべての客電が点いた中で演奏される。巻き起こるオーディエンスの大合唱を前に、目頭を熱くさせる氷室。なんとか歌おうとするも、すぐに歌えなくなるほど涙を浮かべた氷室を大合唱が支えていく。そんなオーディエンスを前にさらに涙が止まらない氷室……そのスパイラルは悲しいものではなく、これまでもずっとファンに支えられてきたといううれしさであり誇りであり、感謝の涙であるだろう。それは25周年ツアーの横浜スタジアムでどしゃ降りの悪天候の中、落雷によってライブが中断しても帰らずに待っていてくれたファンに見せた、どこかうれしそうな表情を思い出すものがある。
最高で最幸の「ガッチュ! ガッチュ!」が東京ドームに響き渡った。
最初、東京ドーム公演初日を全編映像化する意図が正直わからなかったのだが、実際に観てみると実に完成度の高いライブであり、クオリティの高い映像作品であることが理解できた。最終日とは似て非なる、まったく別の意味合いを持った公演だ。氷室本人が“サンクチュアリ”だという東京ドームでしか成立しないライブであり、氷室京介のライブの真髄がここにある。
プロフィール
氷室京介(ヒムロキョウスケ)
1960年生まれのロックボーカリスト / シンガーソングライター。1982年にBOØWYのボーカルとしてデビュー。人気絶頂のうちにバンドが解散した1988年にソロ活動をスタートし、「ANGEL」「KISS ME」「魂を抱いてくれ」など数々のヒット曲を世に送り出す。1993年に発表されたアルバム「Memories Of Blue」は、160万枚のセールスを記録。ロサンゼルスに拠点を移したのちも日本の音楽シーンに大きな影響を与え続けた。2014年に行われたソロデビュー25周年ツアーの途中、2015年の公演をもってライブ活動を無期限で休止することを発表。2016年春に7公演30万人超を動員したドームツアー「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」を最後に無期限でライブ活動を休止した。このツアーのMCではオリジナルアルバムをリリースするとファンに伝えており、ニューアルバムのリリースが期待されている。