音楽ナタリー Power Push - 浜崎貴司×奥田民生
同い年2人のマイペースな音楽談義
同世代YO-KING、斉藤和義の影響
──ベスト盤にはコラボ曲も多数入ってますが、YO-KINGさんと共作された新曲「君の笑顔」はいかがでした?
浜崎 「こんなテーマでどうかな」みたいな話し合いをした次の日かな。スタジオに来たら、KINGがニコニコしながら「できたよ」って言うわけ。「こんな感じなんだよ」って聴かせてくれて、「それいいね」ってなって。そこからやり取りをしてあっという間に完成した。とにかくそのときはKINGが「俺は今才能があふれちゃってて、すごいんだよね!」ってニコニコしながら言ってましたね。
奥田 KINGはそれを言うことで周りを納得させる男だから(笑)。「ああ、そうか、あいつはすごいんだ」って思わせる。自分がどんだけ高いテンションでいられるかってことに命を賭けてるんですよ。曲を作ることより、そのときの自分のテンションを保つ努力のほうが勝ってる。その前向きさって実はすごく大事なことで、だから勉強になるんです。
──ちなみに斉藤和義さんは?
奥田 あいつは悩むタイプですね(笑)。
浜崎 そうだね。ただ、和義くんは必ず家以外で作ってるみたい。
奥田 「お金かけてスタジオ借りてるんだからさっさと作らないとな」って状況に持ってかないとダメだって言ってたね。編集者が待ってるところで小説を書く文豪みたいな状態。
──そんな斉藤和義さんが参加した「オリオン通り」は、宇都宮市限定シングルだったこともあってアルバムで初めて聴く人も多そうです。
浜崎 「オリオン通り」は和義くんと曲作りする最初の日にレコーディングしたんですよ。お昼ぐらいから2人で歌詞と曲を頭から同時に作っていって、全部できたのが夕方6時ぐらい。その時点では俺はまだデモテープだと思ってたんですけど、和義くんがドラム入れ始めたんで「あれっ、さっき作った曲もう録音しちゃうの?」と思って。結局そのテイクが本チャンになったんですけど。そのやり方に影響を受けて、「オリオン通り」以降の録音スタイルにつながったんです。
──なるほど。
浜崎 そうしたらだんだん弾き語りで作っているような、リラックスした音になって。最終的に「君と僕」とか「ウィスキー」、「ゴールデンタイム」あたりに着地したんです。「ああ、やっとこういう曲も作れるようになったんだな」って時間の流れを感じましたね。さっきも話に出ましたけど、俺はシャウトするシンガーが好きで、自分のソロもそういう感じから始まったわけですけど、「ウィスキー」みたいに穏やかな日常の風景を切り取った曲が歌えるようになったのは年齢を重ねたことが影響してるのかなと思いました。
やりたいことはできるだけやっとかないとマズい
──お2人とも昨年50歳を迎えられましたが、音楽と向き合う姿勢で変わった部分などあるんでしょうか?
奥田 50になったからってことは別にないでしょ?
浜崎 でも、最近やりたいことはできるだけやっとかないとマズいかなとは思うようになった。人生残り少ないもんですから(笑)。だから最近もっと歌とか楽器とか練習しないとなと思って。
奥田 まあ、「50にもなったんでこういうことやってみますか」ってのは人には言いやすいかもね。「そろそろ休んでいいすか?」とか(笑)。だって海外の人たちは休んでるもん。俺たちに共通してるのはメリハリがないことだよね。わりと出っぱなしだし。俺なんて一生懸命仕事してる間も休みっぽく思われてるから、悔しい(笑)。
──アルバムの最後に収録されている「幸せであるように」は、昨年の高野山でのライブで収録されたバージョンですね。
浜崎 この曲はFLYING KIDSでデビューして以来、何度もアレンジが変わってるんですけど、そういう変化が許されている感じがしますね。FLYING KIDSでやればファンクになるし、ソロであればしっとりした弾き語りになるんですけど、アレンジを変えてもお客さんから不満が出ることがないんですよ。オリジナルのアレンジのまんまでやってほしい曲ってあるじゃないですか? 例えばEaglesの「Hotel California」のイントロのギターソロとか。「幸せであるように」はそうじゃなくても大丈夫な曲だったりするんですよね。
──民生さんの「風は西から」がゴスペル風にアレンジされて、現在マツダのCMで流れていますが、そこにも通じる話ですね。
奥田 ああ、確かに。
浜崎 俺自身は「幸せであるように」はベストには入れなくていいんじゃないかなと最初思ってたんです。でも「高野山での弾き語りテイクがある」とスタッフに言われ。あと「GACHI」の中でもっとも大きなコンサートだったので、その足跡を今回のアルバムに残しておきたいなと思って。民生くんには、去年の広島のライブ(2015年11月開催の「奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」)でこの曲を歌ってもらって。
奥田 浜ちゃんの曲、歌うのも弾くのも難しいんですよ。バンドでやるときギターの人、大変だなと思った。
──一方で浜崎さんは、昨年12月の民生さん生誕50周年ライブ「生誕50周年伝説“となりのベートーベン”」で民生さんの「野ばら」を歌われて。
浜崎 「野ばら」はとても好きな曲なので光栄だったんですけど、絶唱する部分がないから難しい課題だなとは思ったんです。でも、うまくいい感じで歌えたなと。でも、ああいうあまり抑揚のない曲が歌えるようになったのは、50歳になったからかもしれないですね。
奥田 はははは(笑)。まあ、確かに抑揚はないね。
「浜崎、すごいじゃないの」
奥田 それにしても、浜ちゃんにとってこれが初めてのベストとは思わなかったなあ。50歳にして初ってことで、ファンの方にとっても非常に貴重なものなんでしょうね。そういう意味ではまさにベスト盤の真骨頂。今、俺はまったくソロのリリース予定がないので、この浜ちゃんのベストアルバムを積極的に宣伝していこうと思います(笑)。
浜崎 ありがたいけど、民生くんRCMR(ラーメンカレーミュージックレコード)立ち上げたばっかりじゃない(笑)。
奥田 あー、RCMRは今所属アーティストがサンフジンズしかいないんですよ。まあ、うちから出すかどうかは別として、いろんな人巻き込んで何かやろうって話はいつも飲みながらしてることですけど。
浜崎 レギュラーラジオ(「RCM Radio」)も始まったんでしょ?
奥田 そうそう。それに浜ちゃんにも出てもらおうと思ってて。50になったら、みんな肩を寄せ合って生きていこうって周りに示したくて(笑)。今更「俺は俺だ!」っていう歳じゃないわけですよ。唯我独尊みたいなのはもういい。みんな仲よくやろう! そしてKINGがハイな状況を狙って、いろいろ仕切ってもらって(笑)。
浜崎 はははは(笑)。KING、こないだも「うわあ、いい曲できたラッキーだ!」ってスタジオで言ってたよ。
奥田 あいつの場合、口に出して言うことが大事だから(笑)。
──最後に、浜崎さんは今回のベストアルバムを聴いてみてどう感じましたか?
浜崎 その時々で、いろいろチャレンジしてるなと思いました。ソロ最初期の「サンクチュアリ(SEIなるふたり)」にしても、打ち込みの「ダンス☆ナンバー」にしても、常に自分にとって新鮮なことをやりたかったんだなって。ちょっと感心しましたね。KINGじゃないけど、「浜崎、すごいじゃないの」って思った(笑)。
──この春もベスト盤発売記念ライブ、FLYING KIDS、そして弾き語りツアーと数多くのライブが控えています。
浜崎 会場に駆け付けてくれる皆さんのことを、本当にありがたいと思ってて。その思いは年々強くなってますね。来てもらえる以上、できる限りの幸福感を届けられるようがんばりますんで、ぜひ楽しみにしていてください!
収録曲
- BAILA BAILA
- サンクチュアリ(SEIなるふたり)
- 呼吸のしるし
- MUSASINO
- オンナLIFE
- 時はただ今だけを乗せて
- ダンス☆ナンバー
- 恋サクラビト(featuring 小泉今日子)
- トワイライト(NEW VERSION)
- サーフライダー / MCU feat.浜崎貴司
- オリオン通り / 斉藤和義&浜崎貴司
- 君と僕 / 浜崎貴司×奥田民生
- ウィスキー / 浜崎貴司×おおはた雄一
- 君の笑顔 / 浜崎貴司×YO-KING
- ゴールデンタイム
- 幸せであるように(GACHI 高野山開創1200年 LIVE ver.)
浜崎貴司(ハマザキタカシ)
1965年生まれ、栃木県出身。1988年にファンクバンドFLYING KIDSを結成し、個性的な歌声とポップなサウンドで人気を集める。1998年のバンド解散後はソロに転向し、同年にシングル「ココロの底」をリリース。2004年にはMCUとユニット・マツリルカを結成する。ソロとして活動を続ける一方、2007年夏にFLYING KIDSを再結成し、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO」に出演する。現在はソロとFLYING KIDSの活動を並行して展開中。2016年2月にソロとしては初めてのベストアルバム「シルシ」を発表した。
奥田民生(オクダタミオ)
1965年生まれ、広島県出身。1987年にユニコーンのボーカリストとしてデビューし、1993年のバンド解散までに「すばらしい日々」「大迷惑」など多数の楽曲を発表した。解散後はソロアーティストとして活動を開始。1994年にシングル「愛のために」でソロデビューを果たし、以降はマイペースに作品を発表し続けている。また、井上陽水奥田民生、O.P.KING、THE BAND HAS NO NAME、地球三兄弟、サンフジンズに参加したり、PUFFYのプロデュースを担当したりと多角的に活動。2009年にユニコーンが復活して以降は、ソロと並行してバンド活動も行っている。