昼はかまってちゃんのマネージャー、夜はあら恋のライブ
劔 僕は大学生の頃に組んだノイズバンドでバンド活動をスタートしたんですが、その頃大阪には“関西ゼロ世代”というムーブメントがあったんです。めちゃくちゃなバンドばっかりだったんですけど、あふりらんぽがフジロックに出て注目されて海外で評価されたり、オシリペンペンズとワッツーシゾンビがクアトロを満員にしたりしているのを真横で見ていて「夢があるな!」と思いました。バンドもがんばっていたんですが、生活もあるので何度か就職もして。僕も「弟がバイク事故に遭いました」とか言って会社を抜け出してライブをやってましたね(笑)。休日でも呼び出される職場だったので、ライブをやるたびに寿命が縮まる思いでした。
後藤 働きながらだと、どうしてもそういうふうになりますよね。
劔 かまってちゃんのマネージャーになってからは、あら恋のスケジュールが被ってしまうことがあって。一番タイトだったのが、青森でやった「夏の魔物」というフェスにかまってちゃんが昼に出演して、その日の夜にあら恋のライブを下北沢でやったとき。間に合うか本当にヒヤヒヤでしたよ(笑)。あら恋のライブ中も見えるところに携帯を置いておいて、ヤバいトラブルが起きていないかチェックできるようにはしてました。
後藤 仕事もバンドも忙しいっていうのは珍しいですよね。僕は会社員の頃はまだアマチュアだったんで、バンドはそれほど忙しくなくて。
劔 あら恋も、そこまで頻繁にライブやってたわけじゃないんですけど、一番忙しいときは毎週末にかまってちゃんとあら恋どちらかの現場でフェスにいました。バンドと仕事の繁忙期が重なっていたので。だから職種の選び方も重要ですよね。うまく折り合いをつけてる人もたくさんいるんです。関西に赤犬っていうバンドがいて、メンバー全員働きながらいい感じに活動できていて、それこそ「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出ていました。
後藤 そのフジロック観てました! 何人かのメンバーが劇団四季のキリンみたいな格好で客席の脇の遠くのほうから入場してきて、移動が大変すぎて数分かかってやっとステージに到着したっていう(笑)。めちゃくちゃ盛り上がりました。
劔 赤犬は「ああいうふうにバンドやりたいな」っていう目標ではありました。
サラリーマンみたいな人が急にステージで
変身するようなカッコよさ
後藤 働きながらいい感じで活動してるバンドといえば、toeもそうですよね。
──toeはメンバー全員デザイナーやレコーディングエンジニアなど、それぞれ本業を持ちながらバンド活動をしています。
劔 音楽だけで生活するのは難しいかなっていう認識がある若いバンドには、toeが1つの指標かもしれません。
──先日劔さんがInstagramに「明らかに仕事帰りの、いかにも会社で居場所の無さそうな、仕事の出来なさそうなサラリーマンがリハ無しでステージに現れて、すごい必死な顔で暴れてノイズを出すようなものをよく観ることがあって、私はそれがたまらなくカッコいいなと思っていた。」と書かれていましたが、その光景って、今回の作品に通じるところがありますよね。
劔 その頃観た人たちは、すごくモデルになってます。活動を始めた頃のクリトリック・リスであるとか。あの人も36歳から始めてるんで。サラリーマンみたいな人が急にステージで変身するようなカッコよさですよね。インキャパシタンツのお二人みたいな(笑)。
──後藤さんはサラリーマンを辞めたときはどういった心境でしたか?
後藤 正社員がバイトに変わっただけだったんで、そこまで変化はありませんでしたね。でもバイトに落ちまくって2カ月くらい無職になっちゃって、その時期が一番つらかったです。ドラムの(伊地知)潔に「誰でも受かるから紹介するよ」ってテレフォンアポインターのバイトを紹介してもらったんですよ。当時のバンドマンはテレアポか出会い系のサクラのバイトやってるやつがめちゃくちゃ多くて。
劔 そうそう、いっぱいいた!(笑)
後藤 筆記試験を受けて、面接もちゃんとやったのに落ちちゃって、ものすごくショックだった(笑)。その後にWebデザインのバイトが見つかって、そこはすごくよかったです。休暇も取りやすかったので、バンド活動がしやすくなりました。やっと腰を据えてバンドができるぞっていう。
足並みのズレはバンドのドラマ
──無職の期間は後悔しましたか?
後藤 会社を辞めた後悔はなかったです。会社員時代は規則正しく生活しなくちゃいけなかったし、そのわりに時間もないので、メンバー同士がすれ違うようになってしまって。忙しくて気持ちが荒んでいくところもあって、ギターの喜多(建介)くんが機材すら持たずに手ぶらでリハに来るようになったりとかしてました。
劔 わかりますね、その荒んでいく感じ……。
後藤 潔も1回辞めちゃって、そのときにドラムを叩いてもらってた人がいるんですけど、その人はドラムも叩けるしギターもうまくて、スタジオに入るたびにギターのダメ出しをされるんです。その時期はうなだれながらスタジオに行ってました(笑)。そしたら、ライブを観にきた潔がバンドがうまくいってないのを見かねて、「また俺が叩くよ」って言ってくれたんです。すごくうれしかったから、ドラムの人には「申し訳ないけど潔が戻ってくるから辞めてほしい」と伝えて。で、eggsite(現shibuya eggman)でライブが決まってたんで、スケジュールを潔に伝えたら「その日はレッチリのコピーバンドのライブがあるから出れない」と言われて(笑)。
劔 ははは(笑)。
後藤 しょうがないから、辞めてもらった人に頭を下げて1回だけ叩いてもらいました。この日は全然盛り上がってないイベントだったんで、お客さんがフロアに座っちゃってたんですよね。これは厳しいなと思いながらステージに出ていったら、最前に潔がいるんですよ(笑)。しかも、「このバンド、ヤバいらしいよ!」とか周りのお客さんに話しかけて、サクラみたいなことしてるし。コピバンのライブ後に間に合いそうだから観にきたみたいなんですけど、やってることが全部間違ってて、めちゃくちゃ腹立ちました(笑)。
──マンガの中でも「メンバーのモチベーションがそろわなくてもどかしい」という描写がありますね。
後藤 あれすごくわかります。アジカンは作中のバンドに比べると目的ははっきりしてましたけど、当時はベースの山田(貴洋)くんがいろんなラジオ局にデモを送ってくれて、たまにオンエアされて喜んでたんです。一方、喜多くんは仕事が忙しすぎてバンドに気持ちが入らず、「俺そういうの全然うれしいと思えない」って言われちゃって。スタジオで「俺はアジカンが好きじゃない」って言われたこともあったなあ。その後電話で山ちゃんに「面と向かってああいうこと言うか!?」って泣きながら愚痴ったり(笑)。そういう足並みのズレっていうのも、バンドのドラマですよね。
劔 そこで誰に合わせるかっていうのが難しいところですよね。かまってちゃんで忙しかったとき、あら恋のみんなは僕にある程度合わせてくれたので、その後もうまくやれてるところはあります。あのとき「もっとやりたいのに劔が忙しいせいで活動できない」って言うメンバーがいたら、僕は身を引いていたと思います。それぞれのバンドによってバランスが違いますよね。
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働きながら音楽をやっている人たちのリアル、
切実さの側に立ちたい