G.U.M|とにかく笑わせたい男性ダンスボーカルグループが失恋バラードに挑戦

ダンスボーカルユニット・G.U.Mが、10月17日に新曲「想い焦がれて」を配信リリースした。

G.U.Mは2016年7月に石川県で結成されたSEIICHI、AOI、TAKA、KIYO、TAISEIからなるグループ。現在は大阪を拠点に活躍している。音楽ナタリーではG.U.Mの5人にリモートインタビューを行い、グループの成り立ちや活動の理念、初挑戦となった失恋バラード「想い焦がれて」について話を聞いた。

取材・文 / 真貝聡

結成するまでノーマネー

──ナタリーの特集初登場ということで、まずはG.U.Mがどういう経緯で結成されたのか聞かせてください。

TAKA SEIICHIとAOIが中学時代からの知り合いで。この2人をきっかけにグループを作ろうと2016年にオーディションが開催されて、僕とKIYO、TAISEIが合格し、G.U.Mを結成することになりました。

SEIICHI 僕とAOIしかいなかった頃は「とにかく表現のお仕事をしたい」というだけで、音楽活動をするかどうかは決まっていなかったんですよ。たまたま今の事務所の社長に「君たち面白いなあ! 一緒に何かやろうよ」と声をかけていただいて、ダンスボーカルユニットを作ることになりました。

──皆さんはどういう気持ちで、この業界を目指されたのでしょう?

AOI

AOI 僕は昔から自分のことが嫌いだったんです。そんな自分を変えたい気持ちもありましたし、歌もダンスも何もやったことのない人間がどこまでいけるのか試したかった。何より、僕と同じような人に夢を与えられる存在になりたいと思ったのが始まりです。

SEIICHI G.U.Mを結成するまで、僕はどうしようもなかったというか……そんなにいい人間でもなく、よき生活を送っていたわけでもなかったんです。この先、どういう人生を過ごしていけば幸せになれるんだろうと考えたら、お金持ちになるよりも「やりたいことに挑戦して生きていきたい」と思って。じゃあやりたいことは何かと考えたときに、自分が何か表現をすることで第三者の心を動かすような、影響力のある人間になりたいと思ったのがきっかけです。

──「よき生活じゃなかった」と言いましたけど、どんな環境だったんですか?

SEIICHI

SEIICHI 実家が非常に貧乏で……ノーマネーでした(笑)。それで性格がひん曲がった子供になり、成人になってもやりたいことが見つからなくて。ただ毎日を過ごすだけだったんですよ。でも、僕と同じように何かしたいけど動けていない人はほかにもいると思った。だからこそ僕の行動を通して、誰かに「自分の人生も変えることができる」と感じてもらえたらなって。

TAKA 僕はもともと会社員だったのですが、ある日「歌って踊れるのはもちろんのこと、お笑いの要素も含め、エンタテインメント性も兼ね備えたグループ」のメンバーを募集しているという情報を見つけて。歌って踊れるキラキラした世界に憧れを抱いていたので、思い切って応募をしました。

TAISEI 僕は昔から芸能関係のお仕事に憧れていて、養成所にも通っていたんですね。そしたら知り合いから「オーディションがあるんだけど受けてみない?」と誘われて、受けてみたのが始まりです。

KIYO 僕はもともと歌うことがすごく好きだったのもあって、カラオケ屋さんでアルバイトをして、閉店後にお店に残って1人で歌う日々を過ごしていました。そんなときG.U.Mのオーディションが開催されることを知って、勇気を出して応募することにしました。

大阪で腕試し

──ちなみにSEIICHIさん、TAKAさん、AOIさんは石川出身で、TAISEIさんは隣の福井出身です。KIYOさんだけ関東の出身ですよね?

KIYO

KIYO そうです。僕は大人になるまで東京から出たことがなかったんですよ。友達には反対されたんですけど、芸能活動をするために石川に移り住みました。

──東京のほうがチャンスは転がっていると思うんですけど。

KIYO きっかけがないと自分は変われないかなと思ったんです。東京は慣れ親しんだ街だからこそ、ずっと東京に留まっていたら、だらだらと年を重ねていくだけな気がして。だからこそ、石川で芸能のお仕事を探そうと思いました。

──2016年7月にG.U.Mが結成されて、最初は石川県で活動がスタートします。2017年から活動の拠点を大阪に移されていますけど、それはどうしてですか?

SEIICHI ざっくり言うと、もっと大きなステージで勝負したかった。

KIYO そうですね。石川はダンスボーカルユニットが少ないので、ほかのグループを知る機会がなかったんですよ。だからこそ、大阪へ行って自分たちの実力がどこまで通用するのか確かめようと思いました。

──石川と大阪では、ライブの手応えやお客さんの反応は違いますか?

SEIICHI 石川ではファンの方にすごく声をかけていただいて、チヤホヤされてたんですよ。グループが少なくて物珍しさもあったから、そこまでパフォーマンス力がなくてもライブで盛り上がってもらえた。だけど大阪には実力の高いライバルがいっぱいいるので、最初は苦戦しましたね。

──ライバルが多ければ多いほど、そのグループにしかない強みが求められますよね。

TAKA パフォーマンス面で言うと、僕らよりも歌とダンスがうまい人はいっぱいいる。だからこそ、勝負をするならそこじゃないなって。僕らは面白さだったら勝機があると思ったので、とにかくお客さんを楽しませるライブを目指しました。

売店のおばさんの優しさ

──お客さんはどうやって増やしていったんですか?

TAISEI

TAISEI 路上ライブで知っていただけたのが大きかったですね。僕ら毎日やっていたんですよ。

SEIICHI 和歌山駅前で路上ライブをしたことがあって。立ち止まってくれる人が全然いなかったんですけど、駅にある売店のおばさんが「ライブよかったよー!」と僕らに近付いてきてくれて、温かいお茶とパンをくれたんです。しかも「これでラーメンでも食べて」ってお金までくれようとして、その優しさがめちゃめちゃうれしかったですね。

──路上ライブは自分たちに興味のない人を相手にしなければいけないので、ライブハウス以上にハードルが高いですよね。

TAKA はい。それに、路上ライブをやっていると「音がうるさい」とか「騒音だ」と言われることが多くて……。

AOI 最初は怖かったよね。

TAISEI しかもゲリラでやっていたから、お客さんが0人の日もザラにあって。おかげでメンタルは強くなりました。

TAKA

TAKA だけどライブを重ねるたびに立ち止まるお客さんが次第に増えていったのはうれしかったです。大阪で活動を始めた当初は、僕らがライブハウスに出るとなっても9人くらいしか集まらなかったんですけど、路上ライブを1年くらい続けたらライブハウスに100人くらい来ていただけるようになって。それこそワンマンライブでは1000人キャパの会場で歌うことができた。集まってくれたのはすべて、路上ライブで僕らが地道につかまえたお客さんなんです。路上ライブはすごく大変ではあるんですけど、目に見えて結果が出ることが一番のやり甲斐でした。

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笑いも武器に戦う