go!go!vanillasインタビュー|ルーツミュージックと新たな音楽表現が咲きそろう「FLOWERS」

go!go!vanillasのニューアルバム「FLOWERS」が12月14日にリリースされた。

「FLOWERS」には「青いの。」「ペンペン」「Two of Us feat. 林萌々子(Hump Back)」「HIGHER」といった既発配信シングルや、初のアリーナツアー開催を記念して会場限定で販売された「LIFE IS BEAUTIFUL」より表題曲と「RUN RUN RUN RUN」、さらに約1年半におよぶレコーディング期間を経て完成した新曲など全12曲を収録。井上惇志(Piano / showmore)、手島宏夢(Fiddle)、ファンファン(Tr)も制作に参加した本作は、バニラズのルーツミュージックと新たな音楽表現が感じられる作品に仕上がっている。

音楽ナタリーではgo!go!vanillasのメンバー全員にインタビューし、ルーツミュージックや「FLOWERS」の制作エピソードについて話を聞いた。

取材・文 / 森朋之撮影 / 大川晋児

ライブに来てくれる人たちの拠りどころになるようなアルバムに

──ニューアルバム「FLOWERS」を聴かせていただいて、ルーツ音楽を色濃く反映させながらも、新たな表現もちりばめられた素晴らしい作品だな、と感じました。

牧達弥(Vo, G) ありがとうございます。今回は余計なことを考えずに作れたかなと思ってますね。前作「PANDORA」を作ったことで、自分の中にあったモヤモヤしたものを出し切れた感じがあって。あのアルバムはコロナ禍という時代に左右された部分もあったんですけど、その後は自分たちの新たな表現を見つけたいと思ったし、バニラズのライブに来てくれる人たちの拠りどころになるようなアルバムを作りたいな、と。それはやりきれたと思ってますね。

牧達弥(Vo, G)

牧達弥(Vo, G)

長谷川プリティ敬祐(B) 「PANDORA」とはまったく違うアルバムと思いきや、僕の中ではつながっている部分もあって。「PANDORA」の最後に入っている「パンドラ」は「無償の愛」という歌詞から始まるんですけど、それが「FLOWERS」に結び付いたと思ってるので。そういうつながりが見えるのもいいな、と。

ジェットセイヤ(Dr) 俺らがどれだけバニラズのことが好きかわかるアルバムですね! メンバー4人のバニラズ愛が作り上げた作品だと思うし、go!go!vanillasのことを一番好きなのは俺らだなと(笑)。

プリティ ハハハ。

セイヤ 楽曲は牧、(柳沢)進太郎が作ってますけど、今までに以上に、2人の音楽に寄り添いたいと思うようになりましたね。作曲者がイメージしているビートにどれだけ近付けるか、具現化できるかを意識していたというか。制作も楽しかったです。

柳沢進太郎(G) 今回はメンバーのほかに3人のゲストミュージシャンが入ってくれて。

──井上惇志さん、手島宏夢さん、ファンファンさんですね。

柳沢 はい。今年の「フジロック」(「FUJI ROCK FESTIVAL '22」)のステージと「LIFE IS BEAUTIFUL」のレコーディングから関わってもらったんですけど、メンバー以外のプレイにすごくインスパイアされました。例えば手島さんのフィドルの演奏によって、「だったらこういうギターフレーズもいいな」と新しいアイデアが出てきて。ピアノの惇志さんは、最初のレコーディングのときに立ち上がって演奏してくれて、それがよかったんですよ。メンバーもすごく沸いて、「最高じゃん!」という感じだったんです(笑)。その様子を惇志さんも喜んでくれて。ファンファンさんはトランペットのフレーズを僕のフレーズに重ねてくれることが多いんですが、すごく力をもらえる感覚がありました。一緒に武道館、大阪城ホールで演奏したときもいい感じだったし、制作においても自分たちの曲を増幅してもらえた感じがありましたね。

「負けたくない」と気合いが入った

──「LIFE IS BEAUTIFUL」の制作時から、アルバムにもゲストミュージシャンに参加してもらおうと決めていたんですか?

 そうですね。メンバー以外のプレイヤーにここまで関わってもらうのは初めてだったんですけど、「LIFE IS BEAUTIFUL」はすべてがうまく絡み合って、楽曲が大きくなった手応えがあります。「これはバンドの個性になっていくはずだ」と感じたし、アルバムでも何曲か参加してほしいなと。惇志くん、手島さん、ファンファンさんは、僕が考えていることを汲み取って、いろいろなパターンを提示してくれるんですよ。こちらから「こんなふうに弾いてほしい」と伝えると、「こういう感じもあるよ」と違うアイデアをもらえる。自分たちの楽曲を見つめ直すいい機会になりましたね。

──プレイヤーとしての発見や刺激もあったのでは?

プリティ もちろんありましたね。「ピアノがそうくるなら、自分はこうしよう」というやりとりの中では、今までとは違う音の置き方に気付きました。楽しさと同時に、いい意味で緊張感もありました。勝ち負けではないんですけど、素晴らしいプレイヤーに関わってもらったことで「負けたくない」と気合いが入ったというか。

──井上さん、手島さん、ファンファンさんの演奏が、バニラズの楽曲にしっかり馴染んでいるのも印象的でした。ルーツが似ているのかもしれないですね。

 そうですね。この前、惇志くんがひさびさに休みで、一緒にごはんを食べたんですけど……。

柳沢 惇志さん、めちゃくちゃ忙しい方ですもんね。

 SIRUPの武道館にも出てたしね。惇志くんとはルーツミュージックの話をよくします。バニラズは邦ロックのジャンルにくくられがちなんですけど、自分たちはルーツに根付いた音楽をやろうと思っていて。惇志くん、手島さん、ファンファンさんからも、「古典的なカントリーやロックンロールに新しいアプローチをしているところがいいね」という感想をもらってるんですよ。きっと3人も「このバンドなら、自分が持っているものを生かせる」と思ったから参加してくれたんだと思うし、だからこそうまく混ざり合えているのかなと。自分もずっと好きな音楽を掘り続けているし、さらに濃い表現をやっていきたいですね。

アイリッシュ音楽の原体験はディズニーランド

──インストナンバー「RUN RUN RUN RUN」もそうですが、アイリッシュ音楽のテイストもバニラズの大事なルーツだと思います。こういう音楽との出会いのきっかけは?

 原体験はたぶん、ディズニーランドですね。ビッグサンダー・マウンテンの近くに、カントリーベア・シアターというアトラクションがあって、熊のキャラクターが演奏しているんですよ。その音楽を聴いた瞬間にすごくワクワクしたことを覚えていて。その感覚が無意識に残っていて、大人になってからカントリーやアイリッシュ音楽を聴いたときも「楽しい」という感覚があるんです。幼い頃の楽しい思い出と一緒になって刻まれている音楽ですね。

──ディズニーランドの音楽、クオリティが高いですからね。セイヤさんはアイリッシュパンクも好きですよね?

セイヤ そこに関してはThe Poguesがデカいですね。音楽好きの仲間はみんな聴いていたし、自分は親父に「LONDON NITE」(1980年にスタートしたロック系のクラブイベント)へ連れて行ってもらってたので(笑)。

ジェットセイヤ(Dr)

ジェットセイヤ(Dr)

柳沢 「LONDON NITE」のコンピ盤もよく聴いてました。

──「LONDON NITE」の主催者である大貫憲章さんの影響も受けていますか?

 めちゃくちゃデカいと思いますよ。Buzzcocksもそこから知ったし、いろいろなバンドに出会えました。あとはバンドを組んでからお世話になった新宿red clothというライブハウスの店長の猪狩(剛敏)さんですね。THE STRIKESのメンバーだった人なんですけど、猪狩さんからもいろんな音楽を教えてもらったので。

柳沢 僕は楽器を教えてくれた師匠の影響が大きいです。The Beatlesを好きになったのもそうだし、ワールドワイドな音楽を教えてもらいました。10代の頃は洋楽誌の「rockin'on」に付いてたコンピCDをよく聴いてました。新人バンドが中心だったんですけど、好きなバンドを見つけたら、メンバーが影響を受けた音楽を掘って、ずっとYouTubeでチェックしてました(笑)。

プリティ 僕は中学に入ったときに、まず初期パンクにハマったんですよね。その後、Flogging Mollyがブッ刺さった。牧からもいろんなバンドやアーティストを教わりましたね。「吉田拓郎を聴け!」とか。

セイヤ 拓郎さんのカバーもやってましたね。

──吉田拓郎さんもボブ・ディランをはじめ、アメリカのシンガーソングライターの影響を受けてますよね。

 すごく好きだからこそ言うんですけど、ボブ・ディランほどは洗練されてなくて、ちょっといなたいところもいいんですよね。はっぴいえんど、吉田拓郎さんもそうですけど、1970年代は海外の音楽の影響を取り入れたアーティストが出てきたじゃないですか。でも、どうしても日本っぽくなるし、それが個性につながっていたと思うんです。僕らもそうなんですよ。ルーツは洋楽なんだけど、普段の生活や空気、街並みや食べているものも全然違うから、そのままやっても噛み合わない。もっと自然な形でやるためには、日本的なものを追求しなくちゃいけないんだな、と。もちろん歌詞も大事だし、日本語の可能性を探りながら、ロックミュージックに落とし込むというか。僕らの世代はガレージリバイバルと重なってるんですけど、あの感じのサウンドに日本語を乗せたら面白いだろうなというのも、このバンドの始まりなんですよ。もちろん、拓郎さん、はっぴいえんどなど先人たちがやってきたことも参考にしていたし、その結果、今の音楽性に至ってるんですよね。

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