言葉を使う仕事をしているから、
言葉を信じてない
──4カ月連続で行われた配信ライブ「THE ENTERTAINMENT STRIKES BACK」は、TAKUROさんが「今年はバンドをやりたい」とおっしゃったのがきっかけだったとお伺いしたのですが、どんな意図があったのか改めて教えていただけますか?
まずはバンドを止めないというリーダーとしての使命感がありました。30年前に函館から東京に出てきたのには高校時代に始めたGLAYを止めたくないから、プロになるという理由があったんです。無事プロになってバンドをやめずに済んで……それを繰り返して今がある。今まで通り欲望に対して素直に生きていきたいし、バンドを止めずに自分たちをワクワクさせるロックを鳴らしていきたいという思いがあって。コロナであれ、それこそ戦時中であれ、やりたいという欲望を叶えたい。それと、新しい時代に突入したGLAYの態度を示したいというのがありました。ある種の新しい時代がやってきて、新しいテクノロジーを前にしたときに、GLAYらしい活動ってなんだろうと思ったんです。そこで、新しいテクノロジーを使って人を喜ばせるという意味で配信ライブをすることにした。でも、自分たちが気持ちよくやれる状況でないと、サービス業としてのロックバンドにまったく魅力を感じないということもわかりましたね。
──サービス業としてのロックバンドですか?
ライブでお客さんが目の前に1人でもいてくれれば燃えるし、お客さんの表情の変化によって自分たちのテンションも変わるんです。配信ライブはどこまでいっても90年代によくやっていたテレビの収録、出演の延長みたいなもので、エンタテインメントというよりもマラソンみたいなスポーツに近かった。1曲ずつ間違いなくこなして、いいパフォーマンスをする。だから去年の配信ライブでの反省を踏まえて、「THE ENTERTAINMENT STRIKES BACK」では自分たちもアートとして、創作物として楽しめるものにしようと。そういうところではレコーディングとライブ、ミュージックビデオとライブの間を取るような形にしたので、メンバーにとっては居心地がよかったみたいですね。
──そうでしたか。TAKUROさんのプロデュース回以外は限られた人数ですがお客さんを入れてましたよね。お客さんがいるときといないときで、メンバーの皆さんの表情が違うのが印象的でした。
経済のことを考えなければ、お客さんが1人でも1万人でもメンバーは同じパフォーマンスをすると思うんです。今回のライブを通して感じたのは、ファンの人たちと作ってきたあの空間の恋しさですね。ちょっと前ですけど、ナイツの塙くんと対談する機会があって、彼が「漫才というのはトライアングルでないといけない」と言っていたんですね。お客さんのことだけを見ててもダメだし、相方のことだけ見ていれば成立するものではない。相方とお客さんの両方を見て、お客さんが自分たちのことを見て……“三角形”でないと笑いは成立しない。だから無観客のお笑いライブなんて本当に地獄だと。音楽はこちらが一方的に演奏する場面が多いとはいえ、MCの雰囲気がライブの空間を支配する部分もある。別にためになるようなことを言って感心されるようなバンドではないけど、新曲を初めて演奏したあとのお客さんの温かいまなざしとか反応とか、そういうものがあって初めて演奏する曲に対する自信が生まれるというか。
──配信ライブ後にSNSなどでコメントを見ても、ライブの空間で感じるものとは違うと。
そうですね。僕は言葉を使う仕事をしているから、言葉を信じてないんです。言葉を使ってうまいことを言ったり、人を説得したり納得させたりというのをしてきたから、「新曲いいですね」という言葉を情報としては受け入れても、本音としては受け取ってないのかもしれない。その人が醸し出す雰囲気、目の動き、表情の機微みたいなもののほうが信じられる。だからこそ、リスナーが体から発しているものに頼らないと、自分たちが行くべき方向が見えないというか。自分の弱さとか素直になれないところ、言葉に対するある種懐疑的なところとか、それがハッキリしちゃったもんだから、何も考えずにまっすぐファンの人たちに向かっていける現場が非常に恋しくなりましたよね。
──ただ、以前のようなライブが楽しめる日常が戻るまではまだ時間がかかりそうですよね。
でも、一歩ずつですけど前に進んでいる感じはします。それはお客さんが新しい時代に慣れるというか、事態を飲みこもうとしているたくましさもあるでしょうね。だから以前のようにはなる必要がないというか。例えば、今後新しいコンサートホールやライブハウスが作られるときは換気のシステムごと見直されるだろうし、席の作りも稼働式になったり、そういったところから変わっていくと思う。大げさじゃなくて、エンタテインメント業界に限らず、人間の進化の過程にいるんじゃないかと思います。
絶対に最終的なゴールは持たない
──以前のインタビューでTAKUROさんはご自身の楽曲に関して、ジャーナリスティックになりたいとおっしゃっていましたが(参照:GLAY「G4・2020」ソロインタビュー)、今回のシングルの表題曲「BAD APPLE」はまさにそういう曲なのかなと。最近制作された楽曲なんでしょうか?
そうですね。去年の春ぐらいかな? 自粛期間中、唯一の楽しみが健康維持のための散歩だったんですよ。確か渋谷の道玄坂あたりを歩いているときにBメロの「空を駆ける星たち」のフレーズが浮かんで、そこから「今、自分が歌いたいのはこういうメロディであり歌詞なのかも」と1つの指針をつかんだ覚えがあります。Bメロの前後を広げていくにあたって、なるべくメロディをいじらないように、シンプルになるように、ということを心がけて作曲しました。
──今回はTomi Yoさんがアレンジで参加されていますが、どういった経緯でご一緒されることに?
話が前後してしまうんですが、「コロナ禍でもバンドを止めない」ということで、アルバムに向けて昔ほったらかしにしていたデモテープをもとに、練習がてらメンバーそれぞれの家で曲を作ってたんですね。その中でTERUが「ぜひやりたいと思っていたアレンジャーさんがいるから、その人に曲を預けてみたい」と言い出したんです。それがTomi Yoさんで、TERUが直接DMを送って交渉しました。「BAD APPLE」もその流れで依頼することになりましたね。ありがたいことに曲に対する解釈もすごく早くて、一発目のデモと完成版はほとんど変わってないです。イントロからエンディングまでほぼほぼデモのまま。
──具体的に何かリクエストされたんでしょうか?
いや、なかったです。僕らはメンバー4人で作ってしまうと、どこをどう切ってもGLAYのサウンドになるというか、シグネチャートーンともいえるし、大いなるマンネリともいえるものになる(笑)。だから、アレンジャーに編曲をお願いするのは飲み会みたいなもんですね。
──飲み会?
4人で飲んでいても楽しいけど、たまに他ジャンルの先輩だったり後輩だったりが1人でもいると盛り上がり方が全然違うんです。芸術としての思想とかは特になく、カッコいい音を作ってくれる人が参加してくれるらしいくらいの感じで、出てきたものに対しては毎回驚きと感謝しかないです。GLAYは曲に対して絶対に最終的なゴールは持たないから、どうなってくれても面白ければいいんです。究極的なことを言うと、メンバーの誰かが「次のアルバムは全曲ジャズじゃないと嫌だ」「メタルじゃなきゃ嫌だ」「シャンソンじゃないと嫌だ」と言い出しても、それはそれで作ってみたら面白いんじゃないかと思えるという。4人でワイワイ作る過程が面白いから、乗り物や同行者はなんでもって感じですね。
──懐が深いですね。
80年代のバンドの牽引者って、メンバーの音楽的な技術に満足できなくなるとすぐにスタジオミュージシャンを使っちゃってたんだよね。技術は練習すれば身に付くんだけど、メンバーの成長を待たない(笑)。でも、いわゆるバンド間のミラクルみたいなものは同じメンバーとでないと手に入らないのになあと俺は思っていて。だから、先輩たちの背中を見つつも俺はずっと同じメンバーでGLAYの音楽を追求してきました。