GLAYの最新シングル「G4・2020」に収録されているHISASHI(G)作詞作曲の「ROCK ACADEMIA」は、彼がロックで学んできたこと、音楽と共に生きてきた人生を歌ったナンバー。HISASHI節全開のクセのあるポップなサウンドと、デビュー25年のキャリアを総括するような歌詞が印象的な1曲で、ユニークなミュージックビデオも含めて話題を集めている。
新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、音楽をはじめとするエンタテインメントは世間で“不要不急のもの”と言われてしまっている今。こんな時代だからこそ、音楽の意味が何かを考える時期になっているのかもしれない。今回、音楽ナタリーではHISASHIのリクエストを受けて、川谷絵音(ゲスの極み乙女。、indigo la End、ichikoro、ジェニーハイ、美的計画)との対談を企画。自分たちのルーツ、そしてこれからのエンタテインメントを存分に語り合う「ROCK ACADEMIA」を“開講”してもらった。
取材・文 / 中野明子 撮影 / 上山陽介
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HISASHI 絵音くんは最近何してるの?
川谷絵音 コロナの影響でフェスもないですし、毎日制作とレコーディングみたいな感じになってますね。毎年この時期の週末はずっとフェスだったんですが、それがないので曜日感覚がなくなりました。
HISASHI 絵音くんはindigo la End、ゲスの極み乙女。、ジェニーハイ……そのほかにもやってるよね?
川谷 はい。ソロのプロジェクトもあるし、楽曲提供もあって。これまでは合間合間にやってたんですけど、今はわりとそれぞれにじっくり取りかかれてます。
HISASHI ポジティブに考えるとコロナの影響で、一旦立ち止まっていろいろ考えることも、制作する時間もできたよね。
川谷 ええ。でも不安はありますね。
HISASHI どうなるかわからないよね。1週間後ですら、世界がどうなっているか予想できない状態だし。で、今回、僕が絵音くんと話したいなって思ったのが、純粋にいろんなプロジェクトやバンドを掛け持ちしている川谷絵音ってどんな人なんだろう? どんな少年時代を送ってたんだろうと思ったことで。こんなこと言われても、僕が絵音くんの立場だったら、加山雄三さんから対談したいって言われるような感覚だと思うんですけど。
川谷 そうかもしれません(笑)。僕、GLAYを初めて聴いたのは小学生のときで。小学生の頃からTSUTAYAで毎週1位から10位までのシングルCDを借りてたんですよ。だから当時のJ-POPは詳しいんです。
HISASHI 1990年代?
川谷 90年代と2000年代の前半。毎週のようにランキングをチェックしていて、GLAYは当時からずっと10位内に入ってたからよく聴いてましたね。
HISASHI 日本のチャートを意識してたの?
川谷 意識してたというより、ただ好きで聴いてたんです。
HISASHI 90年代はCDとカラオケが娯楽みたいな感じだったよね。
川谷 ええ。でも当時聴いていたアーティストと、こんな形で絡むなんて考えたこともなかったです。
HISASHI (笑)。
川谷 僕の中ではGLAYとラルクは二大巨塔みたいな存在で。でも、数年前にHYDEさん企画のライブイベントにお誘いいただいたこともあって(参照:HYDE、女王からデビュー時再現まで艶やか3変化!YOSHIKIと生コラボに観客陶酔)、音楽やってるといろいろつながっていくんだなと感じているところです。90年代から活躍されていた世代の人たちには、なんとなく怖いイメージを勝手に持っていたんですよね。でもHISASHIさんは、ずっとYouTubeで配信もされていて、Twitterでも親しみやすい感じでした。
HISASHI あははは(笑)。僕の場合、2000年以降ソーシャルネットワークからいろいろ広がっていて。それがすごく自分的には合ってるんだろうな。
川谷 SNSはけっこう向き不向きがありますよね。若い人とか、僕ら世代になってくるとあんまり無駄なことは言わないみたいな(笑)。無駄は言いすぎですけど、ネットの人たちを生身の人間だとあんまり思ってないから。
HISASHI 絵音くんはいくつだっけ?
川谷 31です。
HISASHI その年代だと、制作は完全にコンピューターベースになってる感じ?
川谷 いや、トラックメイカーと一緒にコンピューターで作ることもありますけど、やっぱりメンバーが集まって一緒に作るのが好きなんで、基本的にはスタジオですね。
HISASHI ライブとレコーディングだったらどっちが好き?
川谷 僕、レコーディングのほうが好きです。
HISASHI 俺もそうなんだよね。レコーディングって、新しいものが生まれるでしょ? 考えてみたら子供の頃から何か物を作るのが好きで。その究極のものを手に入れたと思ったのが音楽だったんだよね。ライブももちろん好きなんだけど、やっぱり新しいものが生まれる瞬間があるレコーディングのほうが好き。
川谷 わかります。ライブはライブでいいと思うんですけどね。コロナが広がってライブが飛んでしまったときは、制作がいつもよりできるしいいかなと思ったんですけど、ライブがないとレコーディングの仕方も変わるんですよね。ライブをやることで自分の体のリズムを作って、ライブで感じたことをレコーディングに生かしていたことに最近気付きました。
1時限目
変化を続けるGLAYと音楽メディア
川谷 「ROCK ACADEMIA」を聴いて思ったんですけど、GLAYってずっと変化してますよね。常にイメージを更新しているなと。
HISASHI そう言ってもらえるとうれしいな。
川谷 めちゃくちゃ売れたアーティストって、音楽的に深く潜っていく人も多いと思うんです。それはそれでカッコいいと思うんですけど、GLAYはポップであるというか、ちゃんと時代に合わせたポップスを作り続けている印象があります。
HISASHI 昔はよく言われたよ、「『BELOVED』みたいな曲お願いします」「『Winter,again』の再来を』とか。でもリーダーのポリシーなのか、その意見には従わなかったよね(笑)。TAKUROが優れてるなと思うのは、メンバーを自由に発言させてその意見を尊重するところで。そういうところがすごくリーダーだなと思うし、GLAYを続けてこれた理由でもあるかも。だから実はあんまりがんばってない(笑)。がんばって変わろうとか、変わり続けないと!とも思ってなくて、自然と変化してきた。「ROCK ACADEMIA」が収録されている「G4」という作品は今回で6枚目なんだけど、メンバー4人がそれぞれ作曲するとか、アルバムには入らない曲を入れたりしていて。実験っぽいんだよね。
川谷 メンバー4人全員が曲を書けるところもいいですよね。
HISASHI ありがとう。今ってさ、作った曲をそのままリリースできる世の中じゃない? 僕らの頃はそれができなくて、レコード会社なしでは作品をリリースすることができなかったの。でも今は誰でも発信できて、才能がちゃんと人に伝わるのがいい時代だなと思って。絵音くんはそういう時代の中で活動してきた感じがするけど、どう?
川谷 いや、僕らはちょっと古いかもしれない。デビューした頃はストリーミングがまだ普及してなくて、すぐ曲をポンポン出せるような環境ではなかったかも。
HISASHI なるほど。僕の場合、レコード時代に思春期を過ごして、30年間音楽メディアの変遷に真正面から向き合ってきたんだよね。でも、形が変わるたびにちょっとびっくりする。今だったら「CDなくなるの?」みたいな。
川谷 そう言えば、GLAYは2015年にサブスクを解禁してましたよね。当時はキャリアのあるアーティストではなかなかいなかったから珍しいなと。その扉を開いちゃうとCDが売れなくなるんじゃないかみたいなことで懸念されていたから。
HISASHI そう。俺らはそこに不安を抱くより面白がる部分があって。最先端で新しいものを取り入れたりしてる。Napsterっていうファイル共有ソフトが20年くらい前にあったんだけど、あの頃から音楽の形態はどんどん変わっていくんだろうなという匂いはしてたから、わりと抵抗なく対応できたんだよね。
川谷 サブスクにしても、TuneCoreとか誰でも曲が出せる状態になって、配信されている曲数が増えている分1再生あたりの売り上げが下がってるらしいんです。そんな中でも日本はCDが売れている状態だから音楽業界は生き残っていたけど、今ライブができなくなって、その煽りでどんどん衰退していくんじゃないかとちょっと不安を覚えてるんです。
HISASHI ライブができないのはつらいよね。僕、けっこう舞台を観に行くんだけど、あの独特の緊張感がある会場が好きで。ああいうものはなくなったらダメだね、刺激がなくなっちゃう。ときどき自分が観に行った舞台がテレビで放送されているから観るんだけど、やっぱり別モノなんだよ。ライブや舞台にある誰もが息も飲めないぐらいの緊張感っていうのは、代わるものがなくて。1日も早く安全な状況で観たい。
川谷 そうですね。
2時限目
川谷絵音の音楽ルーツ&デビュー経緯
HISASHI 絵音くんの音楽的なルーツはどんなものだったの?
川谷 僕の場合、長崎県の五島列島というところにおじいちゃんがいて。そのおじいちゃんが劇団をやっていて、おばあちゃんが日本舞踊をやってたんです。そういう環境だったので、小さい頃は美空ひばりさんの曲をずっと歌わされて、演歌ばかり聴いてました。演歌が自分の原点ですね。その影響で歌がすごく好きです。
HISASHI 最初は歌だったんだ。じゃあ、ギターと出会ったのはいつだったの?
川谷 ギターは大学に入ってからなので、19とか。
HISASHI へえ! もっと早い時期から弾いてたのかと思った。
川谷 最初は歌うためにギターを買った感じで。そのうちに洋楽だったらRadiohead、邦楽だったらゆらゆら帝国を聴き始めてから「ギターってカッコいいな」と思って本格的に弾き始めたんです。
HISASHI 何歳のときに上京したの?
川谷 18のときです。
HISASHI なんで上京することに?
川谷 なんとなく「バンドやりたいなあ」と思って。
HISASHI 進学するときにバンドをやることは決めてたんだ。その当時のミュージックシーンに熱を感じていた?
川谷 うーん、どうだろう。僕にとってはBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、ELLEGARDENという3バンドが高校生のときに勢いがあって、憧れたんです。ただ、大学に入ってから一時期変な音楽ばっかり聴いてて、2年ぐらい空白が空いちゃったんですよね(笑)。大学のときに変わった先輩に変な音楽ばっかり教えられて、「そういう音楽を聴くのがカッコいい」みたいに思う“反J-POP”みたいな時期がありました。
HISASHI でもその時期を乗り越えて今の音楽性になっていったんだ。デビューの流れはどうだったの?
川谷 ゲスの極み乙女。結成前からindigo la Endをやってたんですけど、全然うまくいかなくて。当時友達だったドラムのほな・いこかと「適当にバンドをやろう」ということからゲスの極み乙女。を組んだら、変わった名前だったからかすぐデビューが決まっちゃって。その流れで、メジャーデビューするならindigo la Endもということになって同時デビューしたんです。
HISASHI 僕、最初にゲスの極み乙女。の曲を聴いたときに、まず言葉が強いと思ったんだよね。「私以外私じゃないの」とか。それってすごい武器だし、「これは行くな」と。確固たる自信みたいなのも感じた。組んでるメンバーもわりと個性豊かだよね。
川谷 そうですね。
HISASHI それをまとめ上げつつ、その空間の中で心地よく歌ってる印象があって。それが見ていて気持ちよかったな。
川谷 ありがとうございます。
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