ナタリー PowerPush - GLAY

TAKURO&HISASHIが考える“GLAYらしい楽曲”

佐久間さんプロデュース曲がこの時期に鳴り響けばいいな

──今回のシングル収録曲「DIAMOND SKIN」は佐久間正英さんがプロデュースしています。この曲はいつ頃生まれたんですか?

TAKURO 今年の1月に出したアルバム「GUILTY」でのセッション終盤に生まれた曲ですね。

──そうなんですね。ではなぜアルバムに入れなかったんですか?

TAKURO 気に入り過ぎて、アルバムの中の1曲として世に出すにはもったいないと思って、この曲が世に出るべきベストタイミングをずっと探っていて。それでこの11月がベストだろうと判断したんです。

──いい曲はあとに取っておくことが多い?

TAKURO そうですね。どの曲もそうですけど、例えばシングル2曲目の「虹のポケット」も10年前にはできていたけど、やっぱりベストなタイミングまで寝かしておいて、「今だ!」っていうときにリリースする。GLAYではけっこう多いことですよ。

──なるほど。素人考えですけど、すごくいい曲ができたら早く人に聴かせたい、早く世に出したいって考えるのかなと思ったんですが?

TAKURO もちろんそれもありますけど、例えば「DIAMOND SKIN」だったらリリースタイミングは絶対に春や夏じゃないなとか、この曲が鳴っているタイミングや季節を考えてみるんです。もちろんこの先何十年もライブでやり続ける曲だけど、最初にどの時期に発表するのがベストなのかなって。その曲にとって一番いい季節、一番いい服、一番いいステージを用意してあげたいなって、そこはけっこうこだわるんですよ。

──それが今の季節にピッタリだったと。

TAKURO そういうことです。それに加えて、2013年の秋にはどうしても出したいなと、そう感じたんですよね。佐久間さんプロデュースのGLAY作品がこの時期に日本中で鳴っていたらいいな、鳴り響けばいいな、と。

──セルフプロデュースでのアルバム制作を経たことで、改めて佐久間さんと一緒に制作をしてきたことを客観的に振り返ることができると思うんですが。

TAKURO そうですね。いやあ、やっぱり佐久間さん、プロだよね。

HISASHI うん。必要な音、必要ない音がわかってるというか、仕上がりが最初の段階で見えてるんですよね。

上に行くために「GLAYを1回解体しよう」

──近作ではセルフプロデュースだけでなく亀田誠治さんのプロデュースによる作品も発表しています。なぜ佐久間さんから一度離れてみようと思ったんですか?

TAKURO GLAYの面白いところって、音楽的欲求から誰かプロデューサーやプレイヤーを選んだりしないところで。例えば「DARK RIVER」でご一緒した亀田さんとも出会うべくして出会ったと思ってます。「ap bank fes」で初めてお会いしたとき、(椎名)林檎ちゃんの作品が大好きだったから、1回お手合わせ願えないかと話して。でもすぐには行動に移さずに、時が来るまで待ったんです。もちろん俺たちの中で佐久間さんは大切な存在だし、ドラマーのToshi Nagaiさん、キーボードの永井誠一郎さんも大切な存在。それと新しい出会いっていうのはもうまったく別もので、こればかりは俺がコントロールできるようなものではなくて。亀田さんには「じゃあ、いい曲ができたら持ってきてください」って言われたんですけど、20周年が見えてきたタイミングで佐久間サウンドの集大成といえる「Bible」(2012年5月発売のシングル)が完成して、これよりも上に行くにはどうすればいいかと考えたときに「GLAYを1回解体しよう」と思ったんです。

──それでセルフプロデュースや亀田さんプロデュースを試してみたと?

TAKURO そうですね。亀田さんにお願いしたい曲ができたのもあったし。あと、これは俺の個人的な考えだけど、やっぱり人として尊敬できないと、一緒に仕事はできない。いくら腕がよくても。それを許す人間にはなれないなあ。

JIRO(B)

HISASHI TAKUROはGLAYのリーダーとして、音を作る上でマネージャー的役割を果たしていて。僕らは本当に仲がよくて、JIRO(B)とかスタジオに入るとそんなにしゃべらないんだけど、彼がこうプレイしたら僕はこういったフレーズで埋めるみたいな阿吽の呼吸ができあがってるんです。だからなんとなくスタジオに入って、なんとなくベーシックトラックを録って、別の日に僕がギターを録るという形じゃバンドとしてはダメで。それはTAKUROの求めるバンド観から外れているんです。そういうプロデュース能力においては、TAKUROはGLAYのリーダーとして本当に素晴らしいと思いますよ。

──その確固たるバンド観があったから、ここまで続けてこれたんでしょうね。さっきの「もっと上に行くには」というタイミングで新たな試みを導入したのもそうですし。

HISASHI そうですね。だからツアー中も楽屋の隣にスタジオを作って一緒に曲作りをしてるし、そうやって人として熱が伝わる時間を常に持つことができたから、GLAYとして面白く活動することができたんだと思います。

──それがTAKUROさんにとってのこだわり?

TAKURO こだわりっていうほどでもないですけどね。俺は今でもメンバーと飲んでるときが、気を遣わなくて済むから一番楽しくて。大げさかもしれないけど、ロックバンドってどういった物語で進んでいくかが存在価値だと思っていて、どれだけいい曲を書いても、どれだけいいプレイをしても、それを作った人、演奏した人の顔が見えないとリスナーに共鳴してもらえないんじゃないかと思ってるんです。要するにバンドって一瞬だったら目に見えないものでも惹き付けることはできるけど、これを10年20年と続けるときにその人にどれだけの成長があったか、変化があったかが鍵になるんじゃないかと。あのThe Beatlesだって、1963年と1969年とではメンバーの人間的度量も時代背景も違うし、だからこそ面白かったわけですし。もしかしたらその部分をちゃんとリスナーにわかりやすく伝えていくことが、俺のこだわりかもしれないですね。

ニューシングル「DIAMOND SKIN / 虹のポケット / CRAZY DANCE」/ 2013年11月27日発売 / loversoul music & associates
CD+DVD 1800円 / PCCN-00011
CD+DVD 1800円 / PCCN-00011
CD 1200円 / PCCN-00012
CD収録曲
  1. DIAMOND SKIN
  2. 虹のポケット
  3. CRAZY DANCE
初回限定盤DVD収録内容
  • 「DIAMOND SKIN」ミュージックビデオ
  • メイキングビデオ+メンバーインタビュー
  • 最新LIVE映像(函館)DAY1「Bible」、DAY2「Winter,again」
  • 函館LIVEダイジェスト映像+メンバーインタビュー
GLAY CHRISTMAS SHOW 2013 ACOUSTIC MILLION DOLLAR NIGHT
GLAY(ぐれい)

函館出身の4人組ロックバンド。TAKURO(G)とTERU(Vo)を中心に1988年から活動を開始し、1989年にHISASHI(G)が、1992年にJIRO(B)が加入して現在の体制となった。1994年、シングル「RAIN」でメジャーデビュー。1996年にはシングル「グロリアス」「BELOVED」が立て続けにヒットし、1997年に「HOWEVER」がミリオンセールスを記録したことでトップバンドの仲間入りを果たす。1999年7月には幕張メッセ駐車場特設会場にて20万人を動員するライブ「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO '99 SURVIVAL」を開催。この人数は単独の有料公演としては、日本のみならず全世界での史上最多動員記録となっている。その後も数多くのヒット曲やヒットアルバムを生み出し、2008年8月には初のアメリカライブをサンフランシスコとロサンゼルスで行った。2010年4月には自主レーベル「loversoul music & associates」を設立し、2012年7月の長居スタジアムライブにてデビュー20周年に向けた7大サプライズを発表。この一環として、12月にシングル「JUSTICE [from] GUILTY」「運命論」を、2013年1月にオリジナルアルバム「JUSTICE」「GUILTY」を2枚同時リリースした。2月からは約25万人を動員する全国アリーナツアーがスタート。その後、5月からは香港、台北にてアジア公演を、7月には函館・緑の島野外特設ステージにて野外ライブ「GLAY Special Live 2013 in HAKODATE GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.1」を開催した。11月27日には函館ライブの模様が収められたDVD / Blu-rayと、通算49枚目となるトリプルAサイドシングル「DIAMOND SKIN / 虹のポケット / CRAZY DANCE」が同時発売。12月から10年ぶりのアコースティックライブを、GLAYとしては初のツアー形式で行うことが決定している。