ナタリー PowerPush - 外道
伝説の暴走バンド40年史
一度も信号で止まらずに町田から横浜まで行けた
──変わった場所といえば、町田警察署の外でやったライブも伝説化してますよね。
ああ、あれはそもそも町のお祭りだったんですよ。で、その祭っていうのが、いろんなところに個展を開いて自分の作品を展示できるっていうもので。じゃあ外道も作品を出そうかってことで、PA卓とかスピーカーを20機くらい用意したんです。この機材だと隣町まで音が聞こえちゃうから、警察は当然文句を言ってくるだろうな、じゃあどのみち文句言われるなら警察から近いところでもいいか、ってことで警察署の隣にステージを組みました。
──わはは(笑)。
そこでドーンっとやったら、本当に隣町から苦情がガンガン来たんですよ。で、警察署長が飛び出してきたから、あらかじめ用意してた花束を署長にそっと渡しました(笑)。もう止めようにも止められないんです。今の若い子は驚くと思うけど、暴走族っていうか、当時はサーキット族って呼ばれてた人たちがいっぱい来てたからね。外道にはそういうファンが多かったので。当時は暴走族がいつも周りを囲んでるから、町田から横浜のテレビ局に向かうときに赤信号でも一度も止まらずに行けるような状態でしたね。だから「外道が来る」って話が広まると、どこに行っても機動隊が来る。そういう世の中だったんですよ。
──どんな場所でライブをやっても外道が一番盛り上がったんですか?
ハワイに行ったときも10万人の観客を持っていっちゃいましたね。世界中から集まったバンドが3日間にいっぱい出たんだけど、外道が一番ウケた。海外のフェスに出たのは外道が日本で初なんですよ。何もかも全部俺が最初。で、そのときのプロモーターがThe BeatlesとかThe Rolling Stonesと仕事してる人だったんですけど、「このバンドは最高!」って言って外道をアメリカに連れて行こうとしたんですよ。でもそれをウチのスタッフが断ったって、日本に帰ってきてから聞いて。なんで断ったと思う? 「外道が持ってかれちゃう」って。セコイ考え方ですよ。それで「冗談じゃない!」って頭にきて。最初の外道を解散するきっかけの半分はその件があったからですね。
時間が足りないからあと200年ぐらい生きたい
──外道といえば「暴走族から絶大な支持」「警察との衝突」「反体制のシンボル」みたいに語られていますが、今までの話を聞く限り、加納さんの中に「反体制的なことをやろう」みたいな意識はなさそうですね。
気が付いたらそうなってたんですよ。誰もやらない特殊なことを好き勝手にやってたら、バンドがどんどん変形していって。なんかそういう感じですね。だってもともと、デビューしたいとか、レコードを出したいなんて思ってなかったし。世界で一番すごい音を出したい、外タレとやっても絶対負けない自分だけのスタイルを作りたい、そればっかり考えてたらいつの間にか。
──その「誰だろうと絶対に負けない」みたいな自信が、当時の暴走族たちを惹きつけるカリスマになったのかもしれませんね。
まあ、俺みたいに生きてる奴はいないですからね。みんなさ、どこ行っても頭を下げてばっかりじゃない? 俺、総理大臣が来たって頭下げないからね。「演奏したら負けないよ」って。前に宗教家と話したんだけど、「俺のほうが魂こもってる」って言ったよ。
──わはは(笑)。バンドメンバーに対しても「負けない」という意識がありますか?
まあ、俺のやりたいことしかやらないのが外道だから。俺が気に食わなかったらいつでもクビにできるっていうスタイルでずっとやってるし。俺、最初の外道時代はしゃべんなかったんですよ。リーダー的な役割を立てて、俺は裏方として「こういうことを言え」って。俺の人生には他にやることがいっぱいあるから、めんどくさいことは他の奴にやらせたいんですよ。だからバンドの練習もしない。
──えっ?
今回はレコーディング前にちょっとだけやったけどね。みんなはツアー前とかに集まって、1カ月くらい練習してるじゃないですか。外道は一切ない。「その1カ月間、それぞれ好きなように時間使おうね。その代わり、本番では1カ月練習した以上にレベルアップしてよ」って伝えてます。
──それ、加納さんの中では理屈が通った話かもしれないけど、周りの人は絶対怖がってますよ(笑)。
人生短いから、練習のために付き合う時間なんてないです。本当はあと200年ぐらい生きたいんだけど、なかなかそうはさせてくれないんでね。台風が消滅するぐらいの演奏をするには、あと100年ぐらいかかるのかなと思ってるんだけど、外道もまだたった40年だし。弱ってる暇はないんです。
今のバンドは外道を聴かないとダメだね
──「弱ってる暇はない」っていうのは、今回のアルバムを聴くとすごく伝わりますね。これだけキャリアを積んだバンドなのに、小さくまとまることもなく、衰えも全然感じませんでした。
周りで10代から一緒にやってた友達がバタバタ死んでくんだけどさ、死んでる暇ないんだよね。俺の感覚だと、今がちょうど青春なの。ちょっと体も衰えて、ルックスもすっかり変わっちゃったけど、気持ちはすごい青春。
──なるほど。「今が青春」っていうのがすごく腑に落ちました。というのも今回のアルバムは、新曲もいいんですが、70年代から演奏していた代表曲「香り」「ビュン・ビュン」のリメイクバージョンがカッコよくて。初期衝動から生まれたようなこれらの曲を、40年経った今こんなに若々しくレコーディングできるってすごいことだと思うんです。
しかも新しい曲の中に混ざってておかしくないんだよね。俺もびっくりしちゃった(笑)。「香り」と「ビュン・ビュン」は実はスタジオ録音が今回初めてなんですよ。でもやっぱ、聴きたいっていう人も多かったしね、録ってみようかってことで。
──今回のアルバム制作はどうでしたか?
全部2~3分で作った曲ばっかです。レコーディングに入る時点で曲はまだ何もできてなかったですから。神様から「魂の叫び」っていうタイトルをもらえたから、曲もなんとかしてくれるでしょって思って。だからできあがったのを聴いたときに「へえー、いいアルバムできたね」って、もう他人事なんですよ。
──完全にイタコ状態なんですね(笑)。
だから楽なんです。「ホントにもらえるかな?」っていうのはちょっと心配になるけど(笑)。あと俺、曲を作っても「さあレコーディングしよう」って段階で忘れちゃうんですよ。1曲録り終わって次の曲を歌おうとしたら、もうどんな曲だったかまったく覚えてない。
──わはは(笑)。それは困りますね。
でも今回は五十嵐公太に「加納さん、音声メモを使えばいいんですよ。今はこういう便利なものがあるんですよ」って教えてもらったの。いつもスマホを持って歩くじゃないですか。で、神様から曲がもらえたらその場ですぐに「うにょうにょうにょ」って歌を吹き込む。レコーディングのときに「じゃあ次の曲歌いましょうか」って言われたら「あ、ちょっと待ってください」って言って、そのメモを聴きながら思い出すんですよ。
──ちなみに現在活躍してる若いバンドについて、先輩としてどう思います?
外道を聴かないとダメだね。いやホントに。今の音楽を聴いて感じるんだけど、ちゃんとしたバンドがいなくなっちゃってる。だから「それは違うよ、そのまま先に行っちゃうとなんにもなくなっちゃうよ」って言ってやりたい。外道を生で観ればわかってもらえると思うね。で、その前にこの「魂の叫び」を買って聴いてほしい(笑)。これ、日本のロックの歴史に必ず残る名盤だから。俺の人生の中で一番いいですよ。きっと次のアルバムはそれ以上だろうけど。
──おお、今回は10年ぶりのスタジオアルバムでしたが、今後またスタジオアルバムを作るつもりでいるんですね。
いや、生きてればね(笑)。
- 外道 ニューアルバム「魂の叫び」 / 2013年11月6日発売 / 3150円 / KING RECORDS / KICS-1979
- 外道 ニューアルバム「魂の叫び」 ジャケット
-
収録曲
- 虹の彼方から
- この世界に
- 心の叫び
- マイラブ
- Rock'n Roll マウンテン
- そんな
- Hey Rock'n Roll 外道
- 横浜スイートブルース
- YELLOW MONKEY
- ビュン・ビュン
- 香り
- 記憶の向こう側へ
外道結成40周年&レコ発
LIVE TOUR 2013
- 2013年11月9日(土)
- 北海道 小樽GOLD STONE
- 2013年11月10日(日)
- 北海道 岩見沢MPホール
- 2013年11月13日(水)
- 東京都 渋谷duo MUSIC EXCHANGE
- 2013年12月21日(土)
- 埼玉県 北浦和エアーズ
- 2013年12月22日(日)
- 栃木県 ダイニングバーken
- 2014年1月13日(月・祝)
- 東京都 渋谷CLUB CRAWL
- 2014年2月7日(金)
- 愛知県 Tokuzo
- 2014年2月8日(土)
- 大阪府 堺TICK TACK
- 2014年2月9日(日)
- 大阪府 soma
外道(げどう)
加納秀人(Vo, G)が中心となって1972年に結成され、警察から「外道」と罵倒されたことをきっかけに1973年に外道と改名。シングル「にっぽん讃歌」でデビューし、翌1974年には横浜野外音楽堂のライブ音源を収めたミッキー・カーチスのプロデュースによる1stアルバム「外道」をリリースした。バンドは当時の暴走族たちから絶大な支持を集め、ライブ会場には数百人の暴走族が襲来することも。1975年にはハワイで開催された「SUNSHINE FESTIVAL」に招聘される。ハワイでは日本人初の海外フェス出演ながら10万人の観客に「外道」コールをさせ、アメリカやイギリスのメディアで報道される。1976年に日比谷野外大音楽堂でのライブをもって解散。1980年代に再結成して2枚のアルバムを発表し、1990年代にも「加納秀人 with 外道」名義でメンバーを変えて活動。2001年から再び外道を始動させ、2004年の解散までに「FUJI ROCK FESTIVAL」への出演など精力的な活動を展開する。さらに外道は2010年にも再始動。2013年には10年ぶりのスタジオアルバム「魂の叫び」をリリースした。