ナタリー PowerPush - 外道

伝説の暴走バンド40年史

荒々しくダイナミックなギターサウンドで、日本のロック黎明期から音楽シーンに深い爪痕を残し続けるリビングレジェンド、外道。彼らが約10年ぶりとなるスタジオアルバム「魂の叫び」を完成させた。今作は書き下ろしの新曲に加えて、過去の名曲のセルフカバーも多数収録。中でも一番の代表曲である「香り」が、発表から40年近く経って初めて外道名義でスタジオレコーディングされたことでも話題を呼んでいる。

今回ナタリーではバンドの中心人物である加納秀人(Vo, G)にインタビューを敢行。外道の熱狂をリアルタイムで体験していない若い音楽ファンにその魅力を伝えるべく、改めてこれまでの活動を振り返ってもらった。

取材・文 / 橋本尚平 撮影 / 小坂茂雄

ギターを弾きながらマラソンの練習をする日々

──加納さんがロックを志したきっかけは?

もともとあまり音楽が好きじゃなかったというか、興味がなかったんです。僕は体育会系で、走ったりとか柔道やったりっていうのが好きだったから。でも小学校4年生くらいのときに友達の家に遊びに行って、レコード盤を聴かせてくれって言って、初めてThe Beatlesのデビュー曲を聴いたんですよ。で、「へえ、こういう仕事があるんだ。じゃあ俺もこういう職に就こうかな」って思ったの。それがスタートかな。ギターは中学に入ってからおふくろに買ってもらった。

──子供の頃から夢はバンドマン一択だったんですか。

加納秀人

まあ、飛行機のパイロットとかにも憧れてたけど、その頃ちょうど飛行機がいくつか落っこっちゃって、こんな危険な仕事するもんじゃねえなと思って「じゃあ音楽かな」って(笑)。あともう1つ、マラソンでオリンピックに出るっていう目標もあったんですよ。中学の頃は俺が誰よりも速かったの。高校に行っても先輩と走りまくってたんだけど、その先輩が全国3位の人でさ、俺全然敵わなかったんだよね。だからいくら中学で一番でもこの先、大学、社会人、世界と進んでいったらもっとすごい奴がいる。先輩にすら勝てないんじゃ、やっぱオリンピックは無理かなと思って。じゃあ音楽だけかなって。

──なるほど、音楽なら世界一になれるだろうと。当時ギターの練習はかなりやってたんですか?

マラソン選手とギタリストを両方目指してたから、どうしても時間がないんですよね。たまに真面目に、学校を休んで一日中ギターを弾いてたこともあったけど、でも学校に行きながらだと1日に3~4時間しか使えないわけでしょ。で、時間がもったいないから、走りながらギターを弾くことにしたんですよ。家からちょっと離れたところに畑ばっかりで周りに何もない5kmくらいの1本道があったので、そこで夜中に。どうせなら、どっちも4時間びっちり練習できたほうがいいですから。

──それはものすごく目立ちそうですね(笑)。夜中に道ですれ違った人は相当怖かったのでは。

今考えると完全にキチガイですよね(笑)。たまたま誰ともすれ違わなかったんでラッキーでした。ゆっくり走ってもマラソンの練習にならないからけっこうスピード出して、ギター弾きながら「ウワー!」って思いっきり歌ってたんです。

──わはは(笑)。そんなことをしたら呼吸が乱れて大変そうですね。

でもやってるうちに、呼吸が乱れなくなったんですよ。だから気が付かないうちにライブをする体力が付いちゃった。別にそれを狙ってやってたわけじゃなかったんですけど。人って普段の練習スタイルが反映されるもんで、俺は走りながらギター弾くのが普通だったから走ってたほうがうまく弾けたんです。こたつに座っていつも練習してる人は、たぶんステージにこたつを持ってきてそこで弾いたほうがいい演奏ができると思う。その頃、世の中には3~5mのシールドしかなくて、ワイヤレスもまだない時代だったから、こんな短いシールドじゃステージでうまくやれないって、しょうがないから秋葉原に行って材料を集めて50mのシールドを自作したんですよ。

ライブ中にメンバーが疲労で倒れたら大評判に

──それから、どうやってプロミュージシャンになったんですか?

16歳のときに俺のおやじが「俺には俺の人生がある!」っつって、そのまま家族を捨てて出てっちゃったんですよ。そりゃ誰だっていろんな人生があるだろって話なんだけど(笑)。俺は私立の高校に通ってて学費もけっこう高かったから、おふくろ1人じゃ大変だろうと思って、じゃあ俺も家から出て仕事したほうがいいなと。だから俺の場合「バンドが好きで今すぐ始めたい」って話じゃなくて、親に負担をかけたくないからそうするしかなかったんです。

──「親に迷惑をかけないように学校を辞めてロックをやる」って、あまり聞いたことがない話ですね(笑)。周りにも他にそういう人がいたわけではないですよね?

そもそも日本にロックなんかまったくなかったですから。その頃は演歌と歌謡曲くらいで。だからライブをやる場所もジャズ喫茶とかで、機材が揃ってないから自分で運ばなきゃいけない。なので、ツアーに行くときはボーカルセット、ドラムセット、アンプ、ギターとベース、それから1~2カ月泊まれるぐらいの用意を持っていくんですよ。それを夜中に、集合場所から3kmくらい先の駅まで6人くらいで押して歩いて、鈍行を乗り継ぎながら朝方に名古屋とかに到着して、それでまた店までゴロゴロ運んで。みんな若いんですけど、本番が始まる頃には疲労で限界がきちゃうんですよね。そうすると演奏中にメンバーがギターを弾きながら「ドーン!」って倒れるわけですよ。でもね、みんな自分のことで精一杯なので、誰も気にしないの。で、人が倒れてるのに無反応で演奏を続けてるから、お客さんたちビックリするわけ。

加納秀人

──そりゃそうですよ(笑)。

倒れてた奴がね、なんとか起き上がろうとするんだけど、また倒れるんですよ。それが「あいつら変わってる!」って評判になって、次の日からお客さんがガンガン増えたんですよね。でもそうすると、そのとき倒れた奴は回復してても次の日も倒れなきゃいけなくなる。毎日そいつ倒れてて、結局辞めましたけどね(笑)。

──わはは(笑)。

そうやってゴロゴロ荷物押しながら1カ月以上ドサ回りしてて、出発したとき夏だったのがすっかり秋になっちゃって、半袖1枚しか持ってなかったから寒くてもう帰りたくなってるんですよ。そんなときに田舎でやってたライブに出たら「次の出演バンドが来ない」って話になって。イベントには(内田)裕也さんも出てたんですけど、オーナーが裕也さんに電話で「バンドが帰っちゃうんだけど、帰らないようにしてくれ」ってお願いしたんですよね。それで裕也さんから「君たちごめん。次のバンドが来るまでもうちょっといて」って言われて。俺、この寒さで夏服なんですけど!って(笑)。

──それが内田裕也さんとの出会いだったわけですね。

そう。その後、俺が外道を作って、福島の「郡山ワンステップフェスティバル」って野外フェスに出たときに、オノ・ヨーコさんが外道のライブを観て「すごいバンドがいる!」って裕也さんに教えたんですよ。それで裕也さんが俺たちに会いに来たら「あのときのお前か!」「そうですよ! 半袖で帰れなくなってえらい目に遭いましたよ!」って。

──オノ・ヨーコさんが驚くほどだから、外道のライブはよっぽどインパクトがあったんですね。

「ワンステップフェスティバル」の様子はNHKがガンガン報道したんだけど、40バンドくらい出てるのに新人の外道がトップ扱いでしたからね。外道、イエロー、サディスティック・ミカ・バンド、オノ・ヨーコさんがメイン。キャロルや沢田研二も出てたのに。それがきっかけで、外道の知名度はいきなり全国区になったんですよ。

外道 ニューアルバム「魂の叫び」 / 2013年11月6日発売 / 3150円 / KING RECORDS / KICS-1979
外道 ニューアルバム「魂の叫び」 ジャケット
収録曲
  1. 虹の彼方から
  2. この世界に
  3. 心の叫び
  4. マイラブ
  5. Rock'n Roll マウンテン
  6. そんな
  7. Hey Rock'n Roll 外道
  8. 横浜スイートブルース
  9. YELLOW MONKEY
  10. ビュン・ビュン
  11. 香り
  12. 記憶の向こう側へ

外道結成40周年&レコ発
LIVE TOUR 2013

2013年11月9日(土)
北海道 小樽GOLD STONE
2013年11月10日(日)
北海道 岩見沢MPホール
2013年11月13日(水)
東京都 渋谷duo MUSIC EXCHANGE
2013年12月21日(土)
埼玉県 北浦和エアーズ
2013年12月22日(日)
栃木県 ダイニングバーken
2014年1月13日(月・祝)
東京都 渋谷CLUB CRAWL
2014年2月7日(金)
愛知県 Tokuzo
2014年2月8日(土)
大阪府 堺TICK TACK
2014年2月9日(日)
大阪府 soma
外道(げどう)
外道

加納秀人(Vo, G)が中心となって1972年に結成され、警察から「外道」と罵倒されたことをきっかけに1973年に外道と改名。シングル「にっぽん讃歌」でデビューし、翌1974年には横浜野外音楽堂のライブ音源を収めたミッキー・カーチスのプロデュースによる1stアルバム「外道」をリリースした。バンドは当時の暴走族たちから絶大な支持を集め、ライブ会場には数百人の暴走族が襲来することも。1975年にはハワイで開催された「SUNSHINE FESTIVAL」に招聘される。ハワイでは日本人初の海外フェス出演ながら10万人の観客に「外道」コールをさせ、アメリカやイギリスのメディアで報道される。1976年に日比谷野外大音楽堂でのライブをもって解散。1980年代に再結成して2枚のアルバムを発表し、1990年代にも「加納秀人 with 外道」名義でメンバーを変えて活動。2001年から再び外道を始動させ、2004年の解散までに「FUJI ROCK FESTIVAL」への出演など精力的な活動を展開する。さらに外道は2010年にも再始動。2013年には10年ぶりのスタジオアルバム「魂の叫び」をリリースした。