ファンキー加藤「My BEST」インタビュー|ソロ活動10年を振り返る

ファンキー加藤の人生は順風満帆か、波瀾万丈かと言えば、間違いなく後者だろう。2014年にシングル「My VOICE」でデビューし、今年で10周年を迎えた彼の足跡には、喜びと挫折、笑顔と涙が常につきまとう。それら1つひとつを歌に代えて、ファンキー加藤にしか歌えない応援歌を歌い続けてきた10年。そんな彼の10年間を代表する楽曲を中心に、初音源化、初CD化楽曲を含む全17曲を収めたベストアルバム「My BEST」が発売された。

音楽ナタリーではファンキー加藤のこれまでのソロ活動について、ベストアルバムについて、新録曲について、ライブについて、さまざまな質問をぶつけてみた。「音楽はノンフィクション」と語る、彼の言葉に耳を傾けてみよう。

取材・文 / 宮本英夫写真 / 沼田学

原点回帰

──(ジャケット写真を見ながら)このポーズ、10年前のデビュー曲「My VOICE」のオマージュなんですよね。顔もほとんど変わらないように見えます。

そうやってみんな言ってくれるんですけど、撮影現場では「ちゃんと老けてるな」と思いました(笑)。上がってきた写真を見たら、「けっこうがんばってるな」とも感じましたけど。

──当時、35歳。10年前のファンキー加藤はどんな人間でしたか?

いろんな人に「尖っていた」と言われますね。たぶんそれは当時としての正解で。でも今思い返せばちょっと恥ずかしいというか、「そこまでピリピリしなくてもよかったのにな」と思ったり。特に「My VOICE」のジャケット写真を撮った頃は、「FUNKY MONKEY BABYSの解散を経て1人でやっていくぜ」みたいな、野心に満ちあふれていたんでしょうね。だから写真も尖ったような、ソリッドな雰囲気があると思います。目つきが鋭いというか。

──ファンモン解散後、「My VOICE」を出す前に、全国インストアツアーからソロ活動を始めましたよね。

そう、「ファンキー加藤インストアライブツアー~原点回帰~」としてやりました。全国のショッピングモールにたくさんの方が来てくれて、希望に満ちあふれていましたね。

──それが、先日の日比谷野音(4月28日に開催されたソロデビュー10周年記念ライブ「I LIVE YOU 2024 in 日比谷野外音楽堂」)でのMCを借りると、「やったるで!という気持ちでスタートして、早々に壁にぶち当たり」ということになるわけですが。

あはは。そう、けっこう早かったですね、ソロの難しさに気付くまで。2013年の解散を経て、2014年にソロデビューして、その年の夏フェスはけっこう大変でした。体力的な面もそうだし、1人だとステージが広く感じたということもあって、しんどかったのを覚えています。

──振り返ると、加藤さんは「原点回帰」と題した活動を今までに何回かやっていますよね。最初が2013年から2014年のインストアライブツアーで、デビュー5周年の2018年には「ファンキー加藤全日本フリーライブツアー~超原点回帰~」というフリーライブツアーをやって。

やりましたね。

──そして今年、10周年を迎えるにあたって、「ファンキー加藤 10th Anniversary ALBUM『My BEST』リリース記念フリーライブ~原10回帰(ゲンテンカイキ)」ということで、またフリーライブツアーをやる。原点を確かめる時期が定期的にやってくるのが、面白いなと思ったりします。

フリーライブはファンモンのスタート地点で、そこで見えるものだったり、改めて気付くことがあったり、本当に僕らの原点ですよね。たくさんの出会いとたくさんの学びがあった場所に、事あるごとに立ち返るというのは、すごく大切なことだなと思います。

ファンキー加藤

──ソロ1年目は驚きましたけどね。東京ドームまで上り詰めたアーティストが、ショッピングモールのフリーライブから再出発するのか?と。そんな人、今まで聞いたことがない。

ほかにはいないと思います。ただ、ファンモン初期のフリーライブには「まったく興味のない人たちの意識をどうやってこっちに持ってこようか?」という課題があって、そこでの経験値がライブ力を伸ばしたから。DJケミカルが暴れるようになったのもインストアライブを経たからで、あいつが変なことすればするほど「なんだあれ?」って足を止めてくれる人が増えたんですよ。

──それを3人が全力でやっていたから、ファンモンのライブは最強だったんだと思います。

だから今回の「ファンキー加藤 10th Anniversary ALBUM『My BEST』リリース記念フリーライブ~原10回帰(ゲンテンカイキ)」も、またそこで学べることがたくさんあるような気がします。

──別の言い方をすると、“帰れる場所”ということですよね。

そうですね。「俺にはインストアライブがある」って、昔も本当によく言っていたんですよ。例えば集客が厳しくなって、ホールでもライブハウスでもできなくなったら、「俺はこの町のこのショッピングモールにまた戻ってくるからな」とよく言っていたのを覚えています。「俺には歌う場所はいくらでもあるんだ」って。

このあと、家まで走って帰ります

──そんな10年間の軌跡を1枚にまとめたベストアルバム「My BEST」。これを作るために、過去の楽曲を全部聴き直したと思うんですけど、どんなことを感じましたか?

ソロ10周年って、正直言って最初は自分ではあんまりピンときていなかったんですよ。振り返るといろんな思い出があって、強烈に印象に残っている場面はいっぱいあるんですけど、「まだ10年か」という感覚しかなくて。でもこのベストアルバムの選曲と、10周年記念ライブの日比谷野音のセットリストを考えるときに、10年分の軌跡をすごく感じました。それは1曲1曲の思い出たちが強烈によみがえってきたということもあるし、分量的な面でも「やっぱり10年やってきたんだな」と思えるぐらいの曲数があったので、ベストの選曲と野音のセットリスト決めで「10年経ったんだ」ということをすごく実感しました。

──初期の曲を聴いて、何か変化は感じますか? 例えば声の違いとか。

声の変化はそんなに感じないかな。ただ、10年前のライブ映像を観ると、やっぱり切れ味が鋭くて、「10年経つってこういうことか」と思ったりしましたけど(笑)。

──野音の終演後にちょっとお話したときに、動きが落ちたと思われないようにうまく工夫していると言ってましたよね。

そこでも「10年ってそういうことか」と思ったんですよ。ただ、明らかに10年前よりは運動してます。

──ああ、体力作りとして。

今日もこのあと、家まで走って帰ります。今は毎日5km走って、週に1回キックボクシングジムに通っています。やっぱり40歳前後ぐらいから明らかに体力が落ちてきたのと、あとは音楽業界の諸先輩方が、とにかく皆さん走っているという話を聞いたんですよね。小田和正さん、長渕剛さん、ゆずさん、B'zの稲葉浩志さんとかも、すごいトレーニングをしているらしいので。衰えを感じたときに何かするかしないかで、今後がだいぶ変わってくるだろうなと思ったので、日によっては「ダルいなー」と思うこともあるんですけど、自分の場合は仕事と割り切って「走ることが仕事なんだ」というふうに思ったら、自然と体が動くようになりました。たぶん今日5km走ることが、自分の音楽寿命を間違いなく伸ばしてくれるだろうなという思いでがんばっています。

ファンキー加藤

ファンモンの再始動

──歌詞のテーマについても聞きます。ソロのファンキー加藤が歌う曲は、ファンモンのトレードマークだった応援歌が中心にありつつ、ソロならではのいろんなテーマが掲げられていますよね。10年経っても創作のネタは尽きないですか?

もう、毎回絞り出してますよ(笑)。アウトプットのために、古今東西の音楽、映画、ドラマとか、ちゃんと自分の作品にもつながることを意識して、観たり聴いたりするようになりました。毎回締め切りというものにケツを叩かれながら、どうにか絞り出してます。自分でも「よく毎回曲を作れるな」と思います、本当に。

──そんな、他人事みたいな(笑)。

本当に毎回ギリギリでやっているので。そろそろ俺にも、何かしら降りてこいと思いますよ。いろんなミュージシャンが言うじゃないですか、「曲が降りてくる」とか。そんなの、1、2回だけですもん。ファンモンの「告白」は降りてきたんですよ、珍しく。もう1曲はソロ楽曲の「花」ですね。

──このベスト盤の11曲目に入っている「花」ですか?

「花」はメロディと言葉が同時に降りてきて、「こんなにすんなり降りてくることなんか滅多にないぞ」と思ったから。だから平均すると、10年に1回なんですよ。2008年に「告白」が降りてきて、「花」を作ったのが2018年か19年だから、次は2028年。たぶんそれまで、曲が降りてくることはないです(笑)。

──そうやって絞り出して、いろんなテーマを歌ってきた中でも、「My VOICE」のように自分の内面を歌ったり、「ブラザー」のように兄弟について歌ったり、最新の「優しい光」のように母親のことを歌ったり。ソロでは歌うテーマがより個人的になってきたことを、このベストを聴いて改めて感じました。

ソロなので、よりパーソナルになっているんでしょうね。あとは、もちろん時代の流れというものをまったく考えていないわけではないんですけど、ソロの曲は自分が10代の頃に聴いていた音楽や、ずっと自分の中に築き上げてきた“芯”みたいなものを、そのまま形にしてますね。それが時代というものから乖離したとしても別にいいや、ぐらいな感じなんです。ファンモンの場合は、これからもいろいろ変化するだろうし、モン吉が新しいもの好きだから、どんどん時代に合わせてマッチさせながら、変化を楽しんでいけると思うんですけど、ファンキー加藤はどんどん飾らなくなってきていますね。

──そういう雰囲気は確かに感じます。近年は特に。

やっぱり、ファンモンの再始動が大きいんですよ。ファンモンは本当に「みんなのファンキーモンキーベイビーズ」でありたいなと思っているので、全員でスクラムを組んで、足並みをそろえてやっていこうと思っているんですけど、その分ファンキー加藤はどんどん身軽に、フットワーク軽く、やりたいことや思っていることをそのまま形にできるアーティストでありたいなと思っていて。そのバランスが精神的にも一番いいですね。

ファンキー加藤

──ファンモン再始動は、ソロ7年目の2021年でした。あそこが大きな分岐点だったと。

そうですね。再始動するまではすべてを背負って、ファンモンのレガシーも背負って、ソロの自分も背負ってがんばっていたんです。ただ、途中で元ファンモンという肩書きが鬱陶しくなったり、地方のラジオに出ると「元FUNKY MONKEY BABYS」と言われたりして、解散から何年経ってるんだ?という思いもありながら、その一方でライブではファンモンの楽曲を歌っていたり。矛盾していた自分の思いが、けっこうぐちゃぐちゃしていた時期があったんですよ。2017、18年ぐらいは一番しんどかったな。だから再始動してからは、ファンモンのことは関係者全員で考えて、令和の時代にもう一発、「あとひとつ」や「ヒーロー」に負けないヒット曲を生み出すことを目指して、時代を読んで、世間の流れを読んで、いろいろと試行錯誤しているんです。一方のファンキー加藤はそういうものとはまた別で、ありのままのノンストレスの自分でありたいなということですね。

──ファンモンを初期から見ている自分にとっても、それは実感する話で。解散前のファンモンはとにかく上昇志向がすごくて、シングルヒットを出すためにすごい労力をかけたり、ライブのキャパシティを上げるためにすごく努力したり。

そこから目を逸らしちゃいけないということでしたね。

──チームとしての推進力がすごいと同時にプレッシャーも大きくて、舞台裏の緊張感は相当に高かったと思います。

そうですね。その分、成し遂げたときの充実感はすごかった。

──その意味で言うと、ソロを始めた頃は、ファンモンのやり方の延長線上として、ファンキー加藤としてヒットを出したいとか、ライブのキャパを上げたいとか、そういう意識もあったわけですか?

ありました。「ソロで紅白に出たい」という夢がありましたね。でもそれはすごくしんどいことで、ソロではいわゆる国民的ヒットみたいなところまでは届かなかったので、そこに対して悔しさはありますね。

ファンキー加藤

──ファンモン再始動の打診を受けたときも、「ソロでまだ結果を出してないから」と、最初は拒んでいたという話も以前聞きました。

そう。でもあのときは事務所の社長が、ちょっとヘソを曲げている俺に対して「お前はソロでまだ何も残せてないって言うけど、何度も全国ツアーをやって、応援してくれるファンの皆さんがいるんだから、何も残せていないということはないぞ」と言ってくれて、すごく救われました。それはこの間の日比谷野音もそうで、あの満員の光景を見たときにはすごく報われた気がしました。

──そういう、10年の間の心の揺れ動きというのは、やはり楽曲に出てしまうものですか。

出ます。ファンキー加藤は自分のままでやっているから。ノンフィクションです。