ナタリー PowerPush - フジファブリック
映像作家スミス&レコーディングエンジニア高山徹 クリエイターが語るフジファブリックの10年
高山徹(レコーディングエンジニア)インタビュー
シングル「陽炎」やアルバム「TEENAGER」といった代表作や、「MUSIC」以降すべてのフジファブリックの作品に関わっているレコーディングエンジニアの高山徹。今回リリースとなった映像作品「FAB BOX II」「FAB LIVE II」でもライブ録音のミックスを担当している。バンドの制作作業を間近で見てきた高山には、メンバーの素顔や10年にわたるその変遷、そして数々の印象的なエピソードを語ってもらった。
すごくストイックだなって思いましたね
──高山さんはフジファブリックのデビュー当時から一緒に作業されていたんですよね?
厳密にはメジャーデビューして2枚目の「陽炎」というシングルからですね。当時のプロデューサーであるGREAT3の片寄明人さんに紹介されて、そのミックスをやらせてもらったんです。実際に会う前に音源を聴かせてもらって、そのまま作業に入って。で、しばらく作業が終わるまで待ってもらってて、夜中に「できました」って言って聴かせたときが最初の出会いでした。
──バンドの第一印象はどういうものでした?
すごいマニアックなことをやってるし、演奏もうまいし、音を聴いた印象から気難しい子たちが来るのかなって思ってたんですよ。だけど実際会ってみたら今どきのさわやかな子たちで。どちらかと言うとオタクな感じかなと思ってたんですけど、好青年が来たので、勝手に思い描いていた印象と全然違っていたのを覚えていますね。
──デビューアルバムの「フジファブリック」と「FAB FOX」を経て、その次の「TEENAGER」から、高山さんが本格的に関わるようになったわけですよね。
そうですね。がっつり一緒にやるようになったのは「TEENAGER」のときからです。あのアルバムは基本的にはセルフプロデュースだったんですけど、河合マイケルさんにもかなり助けてもらっていて。初期の頃は、志村くんもいろいろ悩んでいた記憶があったんですけど、「TEENAGER」の頃は志村くんからもメンバーからもアイデアがバンバン出てきてるイメージはありましたね。
──なるほど。
初期の頃、スタジオにずっとこもっていたんですよ。その頃は「何か違う、うーん、何かないかな」って口癖のように志村くんが言ってて。レコーディングが終わったあとも、そのスタジオに残ってずっと曲書いてるんですね。で、みんなが「終わったから帰るね」って言っても残ってて。次の日にスタジオ行くとまだいるんですよ。アシスタント用の仮眠室にシャワーがあって、そこでシャワー浴びて「結局泊まっちゃいました」と言ってた。すごくストイックだなって思いましたね。
──「TEENAGER」の頃はそういう感じがなくなっていたと。
そうですね。「TEENAGER」のときはみんなで和気あいあいとやってました。志村くんにとっても、みんなに任せるのを面白く思うようになった時期だった気もします。
──その頃のレコーディングで印象的だったエピソードはありますか?
プロデューサーのマイケルさんが場をすごく盛り上げてくれてたんですよ。いつも「ガハハハ!」って笑ってて、ミックスしてると「いいよ、いいよ!」ってうしろで踊ってるんです(笑)。あるとき、志村くんの横でマイケルさんがいつもみたいに「ガハハハ!」って笑ってたら、マイケルさんの唾が志村くんの目の中に入っちゃって。「うわあー!」って志村くんが泣いてたのは覚えてますね(笑)。
「志村くんだったらどうしたかったんだろう?」
──そして、次に高山さんが大きく関わったアルバムが「MUSIC」になりますよね。これは志村さんが亡くなったあとに、制作途上の楽曲を完成させた形の作品になりますが、まずこれを作ろうという話が始まったとき、高山さんとしてはどう感じましたか?
かなり不安はありましたね。ちゃんとできるのかなとは思いました。志村くんが亡くなる前にアルバムを作る打ち合わせの段階で、彼から僕に指名があったらしいんです。ただその現場には行けてなかったので、志村くんと直接打ち合わせはできなかったんです。なので、残されたものの中から彼がどういうことをやりたかったのかを探るような作業が多かった。そこにすごく神経を使いました。「志村くんだったらどうしただろう?」っていうのを常に考えてやってました。メンバーは志村くんと話をしていたので、もちろんメンバーの意見も聞きつつですが、僕にとってはデモのトラックがすべてだったので。
──志村さんが自分でデモテープを録っていたんですよね。
志村くんは宅録のマニアで、いろんな機材も買ってたりしていて。それもすごくうまいんですよ。その機材の設定の仕方から、「たぶんこういうのをやりたかったんじゃないのかな」って考えたり、編集のポイントから「ここで悩んでたんだろうな」って思ったり。そのへんを探りながらやってった感じです。
──志村さんと録音機材の話なんかも前からされていました?
そうですね。僕のスタジオに来たときに、すごいうらやましがってました(笑)。「いいなー、欲しいなー」ってやたら言ってたのを覚えてます。
──「MUSIC」の制作で印象的だったエピソードはありますか?
最後に入っている「眠れぬ夜」のベーシックだけは、過去にスタジオで録音してたんです。なので、Pro Toolsのデータにいろんなテイクが残っていて、それをさかのぼって聴くことができた。で、聴いてひと通りミックスしたときに、何かの拍子でそのテイクの1つがソロで聞こえてきたんです。
──ソロで聞こえてきたというのは?
ミキサー卓の上に何かモノを落とした拍子にソロモードのスイッチが入っちゃったんですね。歌のトラックだけが聞こえてきた。そこはいわゆる曲のエンディングで、歌うところではなかったんですよ。でも、そこで志村くんの声で「悲しまなくてもいい」っていうワンフレーズが出てきて。それは本当に偶然だったので、その言葉もあって「うわっ」となって。たぶんそれは、EMIのスタジオでみんなでセッションでレコーディングしてて、エンディングに入ったときにほかの歌詞ないかなと思って、マイクから離れてメモを書きながらその歌詞をはめてた中のひと言だったと思うんです。
──なるほど。通常だったら見つからない一言だった。
そう。本当にたまたまだったんです。埋まってて全然わからなかったんで。で、「これ、どうしよう」ってみんなで悩んだんですよね。でも、やっぱり志村くんの声をできるだけファンに聴かせたいっていうのがあって。で、音量を上げて、前に出したんですね。あと、最後にひと言ぼそっと言ってるのも、通常はカットしちゃうものなんですけど、あえて残したんですね。
──でも、あれはすごくいいアルバムの終わり方だと思います。
うん。志村くんの素が出てる感じがしましたね。
- ライブDVD / Blu-ray「FAB LIVE II」 / 2014年5月21日発売 / Sony Music Associated Records
- 2014年5月21日発売 / Sony Music Associated Records
- DVD2枚組] 8640円 / AIBL-9292~3
- [Blu-ray Disc] 9720円 / AIXL-48
高山徹(たかやまとおる)
1967年、千葉県館山市出身 レコーディングエンジニア。10代の頃からスタジオに出入りし、22歳でフリッパーズ・ギターのレコーディングを務める。これまでにCornelius、くるり、スピッツ、androp、100s、Chara、Salyu、二千花、などのエンジニアを担当。2009年には「Sensurround+B-sides」が「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネートされる。
フジファブリック
志村正彦(Vo, G)を中心に2000年に結成されたロックバンド。都内を拠点に活動を開始し、2002年にミニアルバム「アラカルト」をリリース。そのユニークなサウンドと捻りの利いたアレンジ、志村の綴る独特の歌詞が注目を集める。2004年4月にシングル「桜の季節」でメジャーデビュー。「フジファブリック」「FAB FOX」「TEENAGER」といったアルバムがいずれも高い評価を受け、2009年発売の4thアルバム「CHRONICLE」でさらに支持を拡大するも、同年12月24日に志村が急死。バンドは山内総一郎(Vo, G)、金澤ダイスケ(Key)、加藤慎一(B)の3人でその活動を継続し、2011年9月に新体制で初となるアルバム「STAR」をリリース。その後2012年発売の「徒然モノクローム / 流線形」「Light Flight」、2013年の「Small World」という3枚のシングルを経て、3月にニューアルバム「VOYAGER」を発表した。2013年10月にはダンスロックをテーマにした4曲入りCD「FAB STEP」で新境地を開拓した。デビュー10周年を迎えた2014年は、2月に発表されたシングル「LIFE」を皮切りに、「FAB BOX II」「FAB LIVE II」という映像作品を連続リリース。