フレデリックの新作ミニアルバム「CITRUS CURIO CITY」が11月20日にリリースされた。
今年9月にメジャーデビュー10周年を迎えたフレデリック。そんな彼らの新作には、色気ある三原健司(Vo, G)の歌声が響く「ペパーミントガム」やサイケデリックな音像の「PEEK A BOO」など全8曲が収録され、バンドの新境地を見せる1枚になっている。音楽ナタリーでは本作の発売を記念してフレデリックにインタビュー。メジャーデビュー10周年を迎えた心境やバンドの信念、「CITRUS CURIO CITY」の制作エピソードなどを聞いた。
取材・文 / 柴那典撮影 / 望月宏樹
自分の表現がフレデリックらしさになる
──まずはこれまでのバンドの歩みについての話を聞かせてください。今年9月でメジャーデビュー10周年を迎えましたが、どんな心境ですか?
三原健司(Vo, G) 「10年経ったんや」という感覚ですね。気付いたら10年経っていたという。
三原康司(B, Vo) ライブも多かったし、バンドとして充実して駆け抜けてきたからこそ、振り返ると「もう10周年か」と感じるのかも。全国のライブハウスを回ったり、アリーナに立ったり、その都度その都度で大事なライブもあって、そこで得た経験が自分の糧になっていって。あっという間だったけど、フレデリックの筋肉のようなものが付いた10年だと思います。
赤頭隆児(G) 筋肉というのは確かにそうだなと思います。10年前はわからないことが多くて、なんでも探り探りだったけど、今はやりたいことが固まってきていて。もちろん新しいことを取り入れることもありますけど、「やりたいことを実現するためにこうしよう」というような会話が増えてきた。その積み重ねが筋肉になっていった10年だったと思います。
健司 思えば、ひと息ついたことがあまりなくて。アリーナにも立てたし、大きなフェスのトリを任せてもらえたこともあったし、何かをやり遂げたタイミングもあったと思うんです。でも、そのあとに「よし、やり切った!」と思うことがなかった。1つ終わったらすぐその先のこと考えて、常に次を見せてきたバンドだったので。だからこそ「あ、10年経ったんだ」という感じなのかもしれない。
高橋武(Dr) 僕は10年前はまだフレデリックに関わっていませんでしたが、加わった9年前を思い返したら、今とは考え方が全然変わっていることを実感します。3人が言っていたように、1本1本のライブや日々の活動を大事にしてきたから、ふと後ろを振り返ったら「あ、意外とこんな遠くまで来たんだな」という感じなのかもしれないですね。
──これは新作にもつながる話でもあると思うんですけど、フレデリックはいろんなことにトライしてきたし、そのときそのときのアイデアを柔軟に取り入れて曲を作ってきたと思うんです。なのであえて聞きたいんですが、逆にバンドとして変わらなかった部分はどんなところだと思いますか?
康司 自分でも「フレデリックらしさ」とはなんだろう、何が自分たちのオリジナリティなんだろうとよく考えるんです。健司は「変わらないまま変わっていく」という言葉をよくMCで使ってますけど。弾くベースのフレーズも変わっていくし、好きな音楽も変わっていくけど、自分が生きて音で表現する限り、それがフレデリックらしさになる。健司がいて健司の声がある限り、それがフレデリックらしさになる。いつまでも同じことをやるというよりも、いろんな幅の中で楽しく音楽を作っていくことがフレデリックの変わらないところだと思っていて。そんな自由さを、この4人の体で作っている──というのが、僕らがずっと変わらず持ち続けているものなんだと思います。今回の作品でも、そういう自分たちの好きなところを素直に出しながら制作できましたね。そういうところが変わらなかったところかなと思います。
健司 変わらない部分って、自分たちが意識してないところもあると思うので、意外と言葉にしづらいんですよね。ただ、メンバーの姿勢としても自分としても変わってないと思うのは、前回のライブを確実に超えようとするというか、常に何かしら違うものを提示しようとするところだと思います。いい意味で安定を求めないというか。セットリストだったり、歌唱のパターンだったり、アレンジだったり、確実に何か1つは変えようという意識がずっとある。その姿勢は変わらないなと思います。
高橋 僕も健司くんや康司くんと一緒で、変わらなかったところは音楽性というよりは精神性の話だと思っていて。新しいことにチャレンジする気持ちとか、4人がそれぞれ楽しんで音楽をやる気持ちとか、そこが一番変わってない部分かなと思います。それが結果的に聴く人にとって「フレデリックの音楽はこういうものだよね」というふうになっているというか。あとは人に対して真摯なところ。そういうのも音に出てると思います。
赤頭 僕は現状に満足できないところが変わらない部分だと思ってます。アリーナでワンマンライブをしても、そこで終わりじゃない。「次はもっとこうしたい」という思いが自然と出てくる。そういう姿勢は結成時からずっと変わらないですね。あと僕、ギターはインディーズのときからずっと一緒のものを使ってるんですよ。たまに違うギターも弾きますけど、今でも「オドループ」の頃と同じ、19歳のときから使ってるギターがメインです。
10年経っても色褪せない「オドループ」
──これも改めての質問なんですが、「オドループ」という曲について聞かせてください。10年前の曲でありつつ、TikTokからこの曲を知った人もいるだろうし、ライブでも鉄板の曲である。10年前と変わらず今なお聴かれ続けている曲ですが、今、皆さんはこの曲をどう捉えていますか?
康司 10年経っても色褪せない感覚はありますね。あと、フェスに出るときは必ずと言っていいほどやる楽曲なので、その影響をいろんなところで受けていると思います。実際に「CITRUS CURIO CITY」の曲は、フェスでどうやって鳴らせるか、アリーナで、ライブハウスでどういった感じでやれるかを意識しながら作ったんです。そういう気持ちが芽生えたのは、やっぱり「オドループ」という曲があったからだと思う。「オドループ」でお客さんが心から楽しんで踊っている表情や会場の光景が自分の好きなものの一部になっていった。その経験が新しい曲を生み出すアイデアだったり、種や栄養になっている感じがあって。いろんな景色を一緒に見てきた曲なので、改めて好きになってますね。
健司 人生を変えてくれた曲であることは間違いないですね。変え続けてくれている実感もある。デビュー間もない頃の楽曲がバンドの代表曲になると、「越えないといけない壁」として大きく立ちはだかってしまうのでは?と言われることもけっこうあるんですよ。でも俺ら自身はまったくそうは思っていなくて。もともと康司が「長く愛される曲を作りたい」という信念を持っているのもあって、「オドループ」が代表曲であることに対して苦悩を感じた時期は一切なかった。自分たちが作った楽曲が世界で一番好きだし、アレンジも常にアップデートしているし、康司も言ってるようにいろんな景色を見せてくれた曲ですね。この間、韓国の大きなフェス(10月に開催された「2024 BUSAN INTERNATIONAL ROCK FESTIVAL」)に出演したんですが、フレデリックとして韓国に行くのも初めてだったし、お客さんが観に来るかどうかもわからなかったんですよ。でも、出番になったらたくさんのお客さんが来てくれて、一緒に歌ってくれた。中でもやっぱり「オドループ」の爆発力がすごかったです。
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