「これだよ、俺が聴きたかったのは!」
──「FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~ by Kamasami Kong」にはカバー曲がいろいろ入っていて、それもまた新鮮で面白いですね。オリジナル音源を使えないという制約もあったのでしょうが、そこがまた時代がパラレルする感じがして楽しい。
そう言われるとうれしいですね(笑)。カバーを聴くことで、オリジナルを思い返すという楽しみ方もできる。
──何よりもカマサミ・コングのトークを媒介にして、時間軸の異なる楽曲で1つの流れを作るのはアイデア賞モノだと思います。カマサミ・コングさんとはどういう感じでやりとりをしていったのでしょうか。
選曲や曲順は僕が大まかに決めたんですけれど、カマサミ・コングに相談したらこの企画をすごく喜んでくれて、「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」とか、アイデアがバンバン出てきたんです。また、FMヨコハマの「PRIME TIME」という番組でDJをやっている栗原治久さんが僕の古くからの友達なんですが、彼にラジオ番組制作という観点で波の音とか、ステーションジングルとか、曲とカマサミコングのトークの兼ね合いとかをディレクションしてもらいました。
──本当にラジオ番組を作るみたいな感じだったんですね。
まさにそうですね!
──お手製のミックステープもそうですが、ラジオ番組仕立てというのも、やはり80年代的というか。
実は大学生のときに、自分でもミキサーのような機材を買ってノンストップミックスのテープを作っていたんです。さすがに自分のしゃべりは入れなかったけれど(笑)、波の音にイントロがフェードインしてくるようなテープを作っていて、社会人1年目のときに会社の上司に聴かせたこともあります(笑)。今回のコンピレーションを作っている最中に、すっかり忘れていたそんなことを思い出して、「自分はブレてないな」と思いました(笑)。実際、波の音とジングル、カマサミ・コングのDJから高中正義の曲が始まるという流れを聴いて震えました。「これだよ、俺が聴きたかったのは!」って(笑)。
──制作者がそこまでモチベーションが高いことは、聴けば絶対に伝わります。
とにかく“青春あるある共感モノ”だから、聴いた人に「わかる、わかる!」と思ってもらえたらうれしいですね。
ラジオで熱心に楽曲をエアチェックしていた中学時代
──DJ BLUEの音楽体験は、シティポップ以外にどのようなものがあるんですか?
本格的に音楽に目覚めたのは小学5年生のとき。78年に始まったテレビの歌番組「ザ・ベストテン」がきっかけですね。そこにバーン!と出てきたのがサザンオールスターズ、ゴダイゴ、ツイストなどのロックバンドだったんです。カッコいいロックな人たちがバンバン出てきたから、木曜9時に「ザ・ベストテン」を絶対観るようになって。
──でも中学生になると少し趣味が変わりますよね。
はい。中学生になっても「ザ・ベストテン」は欠かさず観ていたんだけど、今度はラジオでエアチェックをするようになるんです。中学に入学してラジカセを初めて買ってもらって。憧れだったタイマーをセットしてゴダイゴの「銀河鉄道999」で毎朝起きていた(笑)。で、ラジカセを買ったことで、どんどん音楽を聴きたくなって、「ザ・ベストテン」に出てくるアーティストのアルバムに興味が出てくるんです。でもまだレンタルレコード店はそれほど広まっていなかったから、ラジオでアルバムを特集する番組をエアチェックしてカセットテープに落として、それを死ぬほど聴いていました。
──ナレーションが入らないように待ち構えて、曲がスタートした瞬間に録音ボタンを押すんですよね(笑)。
そう(笑)。その後ミニコンポが流行ったり、ウォークマンが出てきたりして、カセットを外で聴くようになったり、ハードの進化とともに音楽の楽しみ方が変わっていきましたね。個人的には、どんどんアルバム単位で音楽を聴くようになっていきました。
──アルバムを聴き始めた頃は、どういうアーティストを聴いていたんですか?
それこそゴダイゴとかサザンとか。でも、中学時代は、いろいろ雑多に聴いていました。キャンディーズも松田聖子も好きだったし、「順子」を歌っていた頃の長渕剛、甲斐バンドやオフコースもよく聴きました。あんなにアルバムを聴いていた時期ってなかったんじゃないかな。アルバムごとの曲を全部覚えていますから。最近、サブスクでひさびさにサザンの80年代当時のアルバムを聴いたら全曲覚えていて。アルバムをじっくり聴き込んでいたんだなって。
──そうした音楽への情熱が、のちのちオリジナルテープや文化祭の喫茶店のBGMに反映されていくわけですね(笑)。
あと、文化祭のステージで歌も死ぬほど歌いましたよ。バンドじゃなくてカラオケで(笑)。最初は友達とバンドをやろうと言っていたんですけど、全員ボーカルがやりたいということになり(笑)。かつ、たくさんの曲を歌いたかったから1コーラスごとのヒットメドレー形式にして歌ってました。また、もちろん自分の学校の文化祭でも歌いましたが、近隣の女子高の文化祭にも行きましたよ。「次はゲストでこういう人たちです」って紹介されて、シブがき隊を歌って帰るとか(笑)。それも高校時代のよき思い出です。
日々のたわいもない生活に溶け込んでいる音楽は人生の宝物
──高校時代から雑誌「FM STATION」は愛読していたんですか?
もちろん。鈴木英人さんの表紙イラストに惹かれて買っていました。付録にカセットテープ用のインデックスカードが付いているから、とにかくオリジナルテープを作って。インデックスに曲名を書いて「マイベストバラードセレクション」とか「フォー・ユー」とかタイトルを付けて彼女にプレゼントしていました(笑)。今思うと恥ずかしいけれど、でもこれって当時の高校生の女の子との付き合い方の定番中の定番だったんですよね。
──レタリングシートなんかも使っていたんですか。
使っていましたね。とにかくインデックスを作るのが楽しかったから。
──そういえば「FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~ by Kamasami Kong」はカセット版も同時にリリースされますが、このサイズ感がまた、たまらないですね。
いいですよね。なんでカセットって、こんなちっちゃくてかわいいんだろう。
──大学生になるとそういうテープを車に積んでカーステレオで聴きながらデートみたいなイメージがありますが。
そうしたかったんですけどね。僕が運転免許を取ったのは社会人になってからなんですよ(笑)。大学時代はもっぱら友達の車に乗せてもらっていて、そこで達郎さんの「悲しみのJODY(She Was Crying)」をよく聴いていた記憶がある(笑)。あと、高校時代に背伸びして行っていたのが、あの時代に“ナンパ島”として流行った伊豆七島なんですよ。フェリーの甲板で達郎さんのアルバム「FOR YOU」を聴いていた記憶がある。僕にとってあの1曲目「SPARKLE」は式根島のイメージなんです(笑)。
──そういう記憶は音楽とともに残りますよね。
「SPARKLE」のイントロは式根島、「BLUE LAGOON」は高校の文化祭だし(笑)。でも10代に聴いていた音楽は誰もがそうだと思うんです。大人になってきて日々忙しい中で忘れがちだけど、やっぱり10代の青春時代って宝物じゃないですか。高校や大学の同級生と会うのと一緒で、そういう人生の宝物としての音楽を掘り起こすっていうのは素敵なことだし、DJ BLUEはそれを伝えていくことをミッションにしようと決めて活動しているんです。
──「FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~ by Kamasami Kong」のリリース情報がネットに出たとき話題になりましたが、やっぱり同じような経験や記憶を持った人たちが反応したんでしょうね。
それはすごく感じました。今までいろんなコンピレーションを作ってきたけれど、今回は音楽だけじゃなくて、鈴木英人さんのイラストを使用したジャケットや、FMとのマッチング、カセットテープなど、いろんなものを作品に詰め込んだからというのもあるでしょうね。
──当時のリアルタイム世代に受けるのはもちろんなんですが、今のシティポップブームって若い世代が支えていますよね。彼らにこの時代の音楽の聴き方、楽しさを伝えるとしたら、どういうところでしょうか。
10代の若い子が「シティポップがいい」と言って聴いてくれるのは、リアルタイム世代としてやっぱり誇らしいです。だから「FM STATION 8090 ~CITYPOP & J-POP~ by Kamasami Kong」を新鮮に楽しんでもらえると、とてもうれしいですね。でも1つ言っておくと、今現在の音楽も彼らにとっては大事なものなんですよ。ジャンルはなんであれ、日々のたわいもない生活に溶け込んでいる音楽って人生の宝物なんです。世代に関係なく、大人になったら誰だってそうだから。今の10代にとっては、例えばAdoの「うっせぇわ」なんかが青春ソングだと思う。「クラスの友達と一緒に歌ったな」とかね。将来、絶対そういうふうに大切に思う日が来るよって、若い人たちに予告しておきます(笑)。
プロフィール
DJ BLUE(ディージェイブルー)
1980、1990、2000年代の歌謡曲からJ-POPまで「大人達が青春時代に聴いていた音楽を、今、改めて届けたい!」というメッセージを掲げて活動するDJ / プロデューサー。ミックスCDの制作、ラジオ「J-POPパラダイス90's」のパーソナリティ、雑誌「昭和50年男」での連載など多岐にわたる活動を展開している。