ヒナタミユ(Vo, G)とトヨシ(G, Dr, Cho)による2人組バンド・エルスウェア紀行が2ndアルバム「ひかりを編む駐車場」をリリースした。
「ひかりを編む駐車場」は、2020年にリリースされた1stアルバム「エルスウェア紀行」以来、2人にとって約4年ぶりのアルバムだ。本作のリリースを受けて、音楽ナタリーはエルスウェア紀行にインタビュー。2人のルーツを掘り下げながら、“悲しみと手をつなぐまで”を描いたアルバムがいかにして完成したのかを紐解いていく。
取材・文 / 金子厚武撮影 / 坂本陽
「魔改造シティポップ」のルーツとは
──ナタリーのインタビューに登場するのは初めてということで、まずはお二人それぞれの音楽的なルーツについて話していただけますか?
ヒナタミユ(Vo, G) 私は2歳ぐらいから母と2人で暮らしているんですけど、子供の頃からブラックミュージックが家の中で流れていて。音楽を仕事にしている母の影響で、自身も中1から高3ぐらいまでクワイアに所属して、ゴスペルを歌っていました。7歳ぐらいから小学校6年生までは地元の劇団にいて、そのときは小坂明子さんの楽曲なども歌っていたので、歌謡曲のエッセンスも血肉になっていると思います。母は松任谷由実さんやシティポップもよく聴いていて、好きな音楽を自分で見つける前に触れていたのはそういうポップス。逆に高校生のときに初めて“自分で見つけた”と思ったのが銀杏BOYZなどの日本語ロックでした。
──ギャップがありますね(笑)。シンガーソングライターとして歌うようになったのはいつからですか?
ヒナタ ゴスペルを歌っていたことがきっかけで、地元の栃木のラジオで1年アシスタントパーソナリティを担当していたんですけど、シンガーソングライターになったのはその番組がきっかけです。番組でオリジナル楽曲を制作した流れでライブハウスも紹介してもらって……そこが始まりですね。ただ、ミュージカルもゴスペルもみんなで歌うものだし、1人で活動することに関してはイメージが湧かなくて、トヨシさんにサポートをしてもらうようになりました。そこから曲作りも一緒にやるようになり、「これはもうソロじゃないからバンドにしよう」と私から提案して、前身のバンド(ヒナタとアシュリー)が始まったんです。
──トヨシさんはドラムだけでなく、ギターもベースも弾くし、録音、ミックス、マスタリングまでご自身でするそうですが、どんなルーツがあるのでしょうか。
トヨシ(G, Dr, Cho) 小さい頃に姉がX JAPANのアルバムを買ってきて、それを奪うような形でずっと聴いていて。それが音楽に興味を持ったきっかけですね。で、そのあと音ゲーにハマったんですよ。「ドラムマニア」がうまくなるために雑誌を並べて家で叩いて練習していたんですけど、たまたま友達がドラムセットを持っていて。ゲームのスキルを応用したらけっこうドラムが叩けることに気付いたんです。高校では軽音楽部に入って、まんべんなく楽器を練習するようになっていったんですけど、その頃の僕がハマっていたのはパンクとかメタルとか。“いかにドラムが難しいか”で曲を選んでいました(笑)。そのあと専門学校に入ったら、その学校の先生がGueenというQueenのコピーバンドを組んでいて、ご縁があって誘われたんですね。そこから10年ぐらいで100曲ほどコピーしたので、その影響もすごく大きいと思います。
──エルスウェア紀行の音楽は「魔改造シティポップ」とも呼ばれていて、曲によってアレンジがかなりプログレッシブですけど、そういう音楽性はそのあたりがルーツにありそうですね。
トヨシ そうですね。Queenのコピーバンドをして、そのあと上原ひろみさんにドハマりしたタイミングで、ジャズバンドにドラムで所属したり。そういう要素が全部混ざって、ミユのルーツとミックスされて「魔改造シティポップ」と呼べる音楽性につながっているのかなと思います。
“バラバラで、どこにもないもの”を作るしかない
──「どこでもない場所を旅する記録」というエルスウェア紀行のコンセプトはどのように生まれたものなのでしょうか?
ヒナタ 「改めてバンド名を考えよう」となったときに、ちょうどヒナタとアシュリーとしてラジオをやっていた影響もあると思うんですけど、初代の城達也さんの頃の「JET STREAM」(TOKYO FMのラジオ番組)を祖父と聴いていたことを思い出して、そこから「アームチェアツーリスト」みたいなイメージが浮かんだんです。本当にアクティブに旅をするというよりは、頭の中で旅をする、ちょっと低温な感じがしっくりきたので、「家にいながらにして、音楽で旅をする」というコンセプトに自然となっていきました。
──なるほど。
ヒナタ あとは、自分たちの楽曲を改めて俯瞰したときに、よく言えば「どこでもない」なんですけど、悪く言えばバラバラな感じがあることに気付いて考えました。ストーリーのあるバンドに対する憧れもあるけど、そうなれない自分たちをポップスに昇華することはできるというか、情けなさや“足りなさ”みたいなものもポップスになり得るかなと思うんですよね。憧れの対象をまっすぐ目指すことはできない。でも逆にそういう部分を強みにしていきたいと考えたときに、もう振り切って“バラバラで、どこにもないもの”を作るしかないよねって。そういうある種の諦念みたいなものと「JET STREAM」を掛け合わせたのがエルスウェア紀行の始まりです。
──つるうちはなさんがエルスウェア紀行について、「2人は朗らかだけど、音楽には悲しみがこびり付いていて、でもそれが美しい」とおっしゃったそうで、実際エルスウェア紀行の音楽は悲しみや内省的な気持ちを内包していると思うのですが、その背景には何があると思いますか?
ヒナタ 当時は本当に自分がなくて。自分が本当に好きなものに気付いたのは5年前ぐらい。自分を出せずに、ずっと周りに合わせてきたから“センサーが敏感な器”みたいな感覚が自分にあるんです。だから今回のアルバムも外から眺めている感覚の曲が多いのかな。栃木も東京から離れてるから、シティポップと言っても、都会の中心にいるわけじゃなくて、都会を外から眺めているような曲になっていると思います。
──トヨシさんはご自身の過去の体験と自分の創作に何か関係があると思いますか?
トヨシ 僕が幼い頃、両親がともに理科・数学の教師をしていたんです。プログレは変拍子を使うこともあれば、“変拍子みたいで実は変拍子じゃない”ということもあるじゃないですか。すごい転調してるけどちゃんとコードが戻ってきているとか、そういう論理的なアプローチに美しさを覚えるのは、親の影響がもろに出ているかもしれないですね。なので、僕がエルスウェア紀行の曲を作るときは理論側から、計算でアプローチすることが多くて。だからこそ、そうじゃないミユの感性がすごくありがたいです。
ヒナタ 最初は「お互いにタイプが違いすぎるので、もっと感覚が近い人とやるほうがいいんじゃないか」と思っていたんですけど、エルスウェア紀行になったタイミングで、「違うからこそいいよね」という温度感になって。バラバラであることを生かした自分たちのポップスをやる覚悟ができました。
寂しさと憧憬と、その先への期待
──1曲目の「少し泣く」には「そこにあったおおげさに青い店探した 今はもう灰色の駐車場 もう一度」という歌詞があって、それが「ひかりを編む駐車場」というアルバムタイトルにもつながっていると思うんですけど、「駐車場」というモチーフにはどんな意味を込めているのでしょうか。
ヒナタ 幼い頃からふとまぶたを閉じるとどこかの地方都市の、光がすごい差し込んだ、広い駐車場が浮かんでくるんですよ。誰もいない広い駐車場があって、周りは森に囲まれていて、カラッと晴れて光が射している。あの光景は何を意味しているんだろうなとふと考えたときに、昼間に地方都市の広い駐車場に行くのって、その先に何か楽しいことがあるだろうから、その楽しい予感をイメージしているんだろうなと思ったんです。「昔そこにあったお店がなくなっちゃった」という寂しさと、「何かワクワクしたことが待っているんじゃないか」という相反するイメージが自分の中にあって。寂しさと憧憬と、その先への期待が柔らかく同居しているのが駐車場で、それが今回のアルバムに合うんじゃないかなって。
──「少し泣く」では「きっと天国に違いない」とも歌われていたり、「天国暮らし」というタイトルの曲もあったり、「駐車場」と「天国」は近いイメージなのかなと思いました。
ヒナタ 確かに、そうかもしれない。ちょっと前の歌詞は動物が出てくることが多かったんですけど、最近は天国とか宇宙が出てくることが多くて。友人や家族を亡くしたりという現実の影響もあると思うんですけど、コロナ禍でより家にこもっていたので、逆に世界に目を向けたというのもありそうですね。「キリミ」でも「眠っている布団から 世界を今日も歩く」という歌詞があったし、「ひかりの国」はミャンマーのサイレントデモも1つのテーマになっていて。大きな視点で物事を考えていた影響がありそうです。
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「方程式ができた!」という感覚