水戸芸術館ACM劇場プロデュース アフター・ザ・シアトリカル・デイズ「ECTO」渡邊琢磨×冨永昌敬|実験的怪奇映画から紐解く音楽と映画の関係性

染谷将太と川瀬陽太に思うこと

──メインキャストの染谷将太さん、川瀬陽太さんと撮影をご一緒していかがでしたか?

渡邊 染谷くんとは、彼が監督した映画で音楽を担当することもありますし、随分前から面識がありましたが、撮影現場で俳優としての染谷くんを見たのは「ECTO」が初めてでした。僕は現場に入る前日、こうしたいああしたいというのが頭の中でうごめいていて、午前3時に目を覚ましたんです。それでふと染谷くんにこのセリフをしゃべらせたいと思って、A4用紙1枚分ぐらいのセリフをバッと書いてしまった。僕は「これをその場で覚えてもらうのはさすがにムリだと思うので、下でカンペを出しますので、それでいけますかね」とプロデューサーの西ヶ谷寿一さんに聞いたら、西ヶ谷さんは「この分量だったら染谷くんは入ると思います」とおっしゃったんです。僕は恐縮しながら、朝5時に現場に到着した染谷くんにセリフを渡したのですが、あっという間にニュアンスも含めて取り込んでしまったのです! あれは特殊な技術だと思いました。

──冨永監督も、2009年の「パンドラの匣」と4年前に公開した「ローリング」で染谷さんと川瀬さんを主演に起用されています。お二人にほかの俳優さんと違う特徴があるとしたら、それはなんでしょうか。

冨永昌敬

冨永 お二人の特徴というわけではないですが、「パンドラの匣」で染谷くんにやってもらった役と「ローリング」で川瀬さんにやってもらった役には共通項があるんです。これは僕だけが気付いた、彼らに対する願望なのかもしれませんが、二人とも自分のことを「余計者」と考えている主人公だったんです。

渡邊 ああ。

冨永 どっちも世間の中に居場所がなくて、ついに開き直って変身する人物です。僕の中の彼らのイメージはそういうものかもしれない。もちろん染谷くんと川瀬さんは年齢も違えば、積み上げてきたお仕事も違いますが。それと染谷くんはとにかく、いつも目が死んでいるのがいい。高校生のころから森雅之みたいな雰囲気を持ってましたね。川瀬さんについて言うなら、霊の役は彼にぴったりだと思いました。というのは、なぜか服のサイズが合っていないような違和感があるんですね。特別細身でも小柄でもないのに、何を着てもジャストフィットしてる感じがない。それが霊っぽい(笑)。同じ空気の中で、1人だけ空気の違う成分を吸っている感じがある不思議な人ですよね。

──声もいいですよね。

渡邊 いいですよね。僕は「ローリング」では音楽を担当していますが、川瀬さんのナレーションを聴いて、いい声してるなと思いました。「ECTO」ではキャストの皆さんの演技は的確だったのでほとんど演出は付けませんでしたが、川瀬さんには声のニュアンスだけ「ローリング」のナレーションの感じで、と伝えました。

映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION
映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION

「映画 / 音楽」今昔物語

──冨永さんは菊地成孔さん、やくしまるえつこ(相対性理論)さんとも作品でご一緒されていますが、琢磨さんとほかの音楽家を比べるとどのような違いがありますか?

冨永 皆さんすごく違いますよ。やくしまるさんは劇伴を作ってもらったわけではいけど。

──例えば成孔さんだとどう違いますか?

渡邊 なんで菊地さんと比較するんですか?(笑)

冨永 (笑)。成孔さんは前もってスコアを書いて、スタジオに各楽器のプレイヤーを呼んで一気にレコーディングします。だから、僕が音楽づくりに立ち会えるのはレコーディング当日だけなんですね。逆に琢磨くんは仙台の仕事部屋で一人で作ってしまう人なので、僕が訪ねて行きさえすれば、いくらでも立ち会えるんです。ずっと作業中だから。

渡邊 はははは(笑)。

冨永 ずっと作業中なだけに、急に電話してもう1曲頼んでも、1時間後にはデモが送られてくる(笑)。で、僕のほうもいつも作業中なので、琢磨くんが作ってくれた曲に影響されて編集を微調整したくなるんですね。そういうキャッチボールは何回もさせてもらいましたし、翌朝起きたら5曲くらい届いててびっくりしたこともありました。

渡邊 監督の予想以上のものを作るぞという強迫観念があるかもしれません。

──渡邊さんと冨永監督のコラボレーションとしては、2016年放送のドラマ「ディアスポリス 異邦警察」が最新作となりますが、音楽のコンセプトはどう決めていったんですか?

冨永 「ディアスポリス」は同名のマンガが原作で、「裏都庁」という東京の移民社会で生きている人々の物語なんですが、第1話に中国の楽器を使った曲がある。

渡邊 二胡かな。

冨永 琢磨くんってこういう楽器も使うんだ、と思いました。あの曲は裏のテーマ曲だと思ってます。

渡邊 中国語が飛び交う場面では、言語の発話の感じが自動的に二胡や胡弓が入る音楽を想起させたんですね。カンフー映画みたいな音楽が聞こえてくる。冨永監督の回ではそういうふうに音楽を作ったことが多々ありました。

──記号的な要素を取り入れると音楽がチープになることはありませんか?

渡邊琢磨

渡邊 映画の場合はあえてステレオタイプな感じにしたほうが世界観をよく表現できることもあります。歴史や文脈もありますし。最近の映画ではすごくオシャレな音楽の使い方がありますが、僕は映画音楽史の中にあった何かが自分の音楽の中に紛れてきたほうが観客にも面白いんじゃないかなと考えます。

──「ECTO」を作ったとき、映画音楽史は意識されましたか?

渡邊 武満徹さんの音楽を聴いたり、関連する本を読んだりしました。

──なぜ武満徹さんだったんですか?

渡邊 僕は「ECTO」でジャンル映画を作るつもりはなかったんです。とは言え、この映画には霊体や幽霊といった概念が含まれてくるので、「怪談」(1965年発表の小林正樹監督作品)とか、これは武満さんとは関係ないですが「怪奇大作戦」(1968~69年に放送された円谷プロダクション制作の特撮ドラマ)を見直しました。やはり日本の風景で撮影するわけですし、巨匠たちがどのようなことをやっていたか、調べていく中で、改めて武満さんの仕事のすごさを実感しました。特に「怪談」は映画音楽にミュジーク・コンクレートをいち早く取り入れて、しかもそれが手法としての目新しさ以上に映像にハマっている。そこらへんをどういうニュアンスで当時お仕事されていたんだろうかと考えたり、立花隆さんが書かれた伝記「武満徹・音楽創造への旅」を読んだりしました。

──あの本の中に、黒澤明監督に「ボレロ」のような曲を要求されて武満さんが怒りをあらわにする場面がありますね。

渡邊 ブライアン・デ・パルマ監督も「ファム・ファタール」の制作時、坂本龍一さんに「ボレロ」のような映画音楽をリクエストしていますね。

──あの当時の映画監督と音楽家のやりとりに、冨永監督と琢磨さんの関係に似たものを感じませんか?

渡邊 当時はもっとアグレッシブでしたから。最近だと音楽プロデューサーが監督と音楽家の間に立つこともありますし、監督と音楽家がケンカすることも稀かもですが、当時は直接の意見交換なので、やりとりが面白いですよね。

冨永 1950~60年代には、武満さんもそうですが、黛敏郎さんとか現代音楽の作曲家たちが近年では考えられないぐらい普通に映画音楽を手がけていますよね。今そういう大先生みたいな方がどれほどいるかはわかりませんが、「映画の音楽なんかやれるか」みたいな感じがあるんじゃないかな。それに50~60年代はトーキー映画の誕生から考えても20~30年ほどで、映画音楽の分野に手つかずの可能性がいっぱいあったんだと思うんです。