水戸芸術館ACM劇場プロデュース アフター・ザ・シアトリカル・デイズ「ECTO」渡邊琢磨×冨永昌敬|実験的怪奇映画から紐解く音楽と映画の関係性

デヴィッド・テュードア「レイン・フォレスト」でラップ現象を経験して

──映画は3日連続での撮影だったんですか?

渡邊 そうです。予備日なしで、雨天になったら作品そのものを雨の設定に変更する。初日を終えたら、足が棒のようになっていました。

冨永 監督って座らないんですよ。

左から渡邊琢磨、冨永昌敬。

──ディレクターチェアでふんぞり返ったりしないんですか?

渡邊冨永 (声を合わせて)ないですよ(笑)。

冨永 せいぜいハコウマ(木箱)に座るぐらいです(笑)。

渡邊 現場のスタッフは全員ヒートテックを着込んでいたんですが、僕だけダウンこそ羽織っていたもののTシャツ、パーカーが基本で、染谷くんにも「寒すぎますよ、その恰好」と指摘されましたから。「大丈夫だよ、俺は暑がりだから」と返したものの最後は寒くて動けなくなりました。

──本編を拝見すると、撮影は屋外が中心のようですが、どのようなロケーションだったんですか?

渡邊 水戸芸術館の委嘱作品なので水戸が中心です。中心地から少し離れたところに不思議な植物園(水戸市植物公園)があって、そこはゴミ焼却場の熱源をスポーツセンターの温水プールや植物園に利用している施設なんです。植物園をロケ地に選んだのは理由があって、以前デヴィッド・テュードアというピアニストで作曲家の「レイン・フォレスト」という電子音楽の作品を聴いているとき、うちでラップ現象が起きた。そんな出来事に目を付けて、熱帯雨林を背景にしたホラーを構想して。映像とともに電子音楽がウワーッと鳴っている映画にするというアイデアが生まれました。そこで水戸芸術館の櫻井さんに、「熱帯雨林を探してきてください」とお願いしたら、おあつらえ向きの場所を見つけてきてくださった。あともう1つ、どうしても使いたかった場所があって。冨永監督の映画「ローリング」のロケ地でもあるソーラーパネルを設置した採石場跡ですね。ロケをしたのはその2カ所です。ほかにもいろいろ候補はあったんですが、3日間でできるのはそこまででした。

冨永 3日間でよくあちこち行けたね。短編といっても撮影3日は短いよ。

渡邊 「ECTO」は上映時間がおおよそ45分で、一般的な映画の半分の尺ですが、それでもかなりの強行軍でした。

映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION
映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION

「あそこに白い霊体があるので狙ってください」

──さきほどラップ現象とおっしゃいましたが、あえて「ECTO」をジャンル分けすると、ホラー映画ということでよろしいですか?

渡邊 実はホラー映画を撮るという企みがあったわけではなくて、実際は何がなんだかわからないうちにスタートしたというのが実感です。構想の段階では音楽先行で考えていたときもありました。最初に音楽を作って、それに沿った物語を構想するつもりが、いつの間にか逆転してしまいました。ちょうど台本の執筆に入った頃、大分県でコンサートを開催したんです。そのコンサートは、弦楽器をまったく弾いたことのない方々に、その場でバイオリンやビオラを持っていただいて、かつスコア通りの演奏をしてもらうという試みだったんですが、そのコンサートの音が持つニュアンスが非常に面白かった。録音したその音源を台本執筆時にサウンドトラック的に流しながらMacのキーボードを叩いたら、20ページぐらいのお話ができてしまった。それでこの感じで書いていこうと思い、水戸芸術館側にも「こんな台本を書いているんですが」とお伺いを立てたら、「いいんじゃないですか」と軽く返されて(笑)。そんな感じで書き進めていきました。

──「ECTO」は物語の側面から考えると非常に抽象的な内容ですが、その点についても説明されたんですか?

渡邊 物語や言語の面から言えば、脚本は言語的な豊かさよりも視覚的な伝達手段と考えていました。川瀬陽太さんからは苦笑い混じりで、読み難いよ!と言われましたが(笑)、台本にはカット割りの参考になるようなスチールなどをところどころ貼り付けたものをお渡ししたんです。それが自分の中でイメージを構築していくのに役立って、撮影監督の四宮さんとも「こういう構図で撮りたい」という話ができるようになりました。物語の膨らみはさておき、映画のイメージが整ったことで制作を開始することができたとも言えます。

冨永 「まがまがしい」という言葉が載っている台本を読んだのは初めてでしたけど、あれは画期的だと思った。僕もその手を使おうと思いましたよ(笑)。琢磨くんは台本と言いましたけど、台本なのかコンテなのか、琢磨くんの映画の設計図みたいなものだと思った。

渡邊 該当のシーンは、いわゆる呪いのビデオみたいなものがバッとインサートされるところで、それについて「まがまがしい」と書いたんです。

左から渡邊琢磨、冨永昌敬。

冨永 普通は「まがまがしい」イメージにつながる具体的な事柄を書き込むんですけど、「まがまがしい」と抽象的に書いておくことでスタッフへの発注を先送りできるんですね。「あとで具体的な説明があるんだな」とスタッフは待ってくれるので。

渡邊 これは完全に言い訳ですけど(笑)、イメージがそこで確定しちゃうより、ちょっと保留にしておくという意味でも、特にそのシーンはあとでVFXや合成が入ってくるので、「ここでこんなことが展開される」とイメージを具体的に書いてしまうともったいない気がしたんです。それと、自分が音楽を作るにあたっても、撮影現場以降の「まがまがしさ」というものを吟味したほうがいいかなと思ったのもあります。

──ポストプロダクションでの作業のために、イメージを限定的にしないようにしたということでしょうか。

渡邊 そうです。ポストプロダクションはもちろん、「ECTO」では合成の素材を足すことになっていたので、スタッフの方とそれを共有するためにも限定的なイメージは避けたかったんです。作中には植物園で煙状の霊体がゆらゆらする場面があって、現場では「あそこに白い霊体がいるので狙ってください」と撮影監督の四宮さんに言うんですけど、霊体を合成するのは後日ですから、台本に詳細に書いても仕方ないとも思ったんです。

冨永 あと台本に写真を使うのはいいと思いました。

渡邊 使っていた写真は映画のスチールや風景の写真で、現場のロケーションに近いものです。結局、台本は撮影監督の四宮さんに「こういうイメージで」とお伝えするためのカット割りとして機能を果たしたのですが、前述のようにキャストの方々は読み難かっただろうなと、反省しました。